【haruyuki】










――****――





 降り積もる雪は一面を塗りつぶす。
 木々も空も湖も、目に映る景色は、白い雪化粧を被り、ただ沈黙していた。


 そんな中、人里から離れた森には妖精達が雪と戯れる。
 寒さが得意な妖精と冬にしか現れない妖怪は、冬を楽しんでいた。



「でね、こうやって冬眠してるカエルを、掘り起こして凍らすと楽しいのよ」


 寒さが得意な妖精――チルノが雪を掘り起こしながら話す。

 それを冬にしか現れない妖怪――レティ・ホワイトロックが微笑みながら聞いている。

「そう。それでどうやってカエルのいる所を見つけるの?」

「決まってるじゃない。地面を掘っていればそのうち見つかるのよ!」

「そう。楽しそうね」

「でも、今はレティと一緒に話してる方が楽しいから、やんない」

「あら、それじゃあ何かお話でもしようかしら」

「うん。あたい最近ね――」

 レティはチルノの言葉に耳を傾けながら、空を見上げる。




 空から、白い雪が、落ちていく。



 この幻想卿で冬にのみ形をもって現れる彼女は、この銀世界が当たり前であり、彼女の世界の全てであった。


 あらゆる生き物が次にくる温かい春を待ちわびる、冬という季節。

 レティはそんな冬に最も力が強くなる、寒気を操る妖怪である。

――もっとも、目の前の少女ーチルノにとってはどうかはわからないが、  チルノならどの季節でも自分の周りに冷気を発し続け、四季を楽しんでいられるのだろう。


 何故、冬の季節にしかいられないのかと自分を呪った日はもう遠い昔。


 レティは冬の妖怪という自分を享受し、秋の終わりを感じ取れば支度を始め、  春の芽吹きを感じる頃には何処かへと消えていく、そうやって幾年も暮らしてきた。

「じゃぁ、あたいそろそろ帰る。じゃあね!」

 チルノはレティに別れを告げ、雪の空の中を元気に飛んでいく。

 湖上の氷精であるチルノにとって、冬はどこへ行っても涼しく楽しい季節なのだろう。
 頭はあまり良くはない彼女は、まだまだ冬の幻想郷で遊び続ける。

 レティは薄く笑み手を振って見送った。




 レティは、近くの木の、大きめの枝に腰かける。自分の手足の感触を確かめると、心なしかいつもより大きい。

 寒気が強いほど彼女の力は強くなり、それに応じて少し体が大きくなる。
 それは人で言うと太ったような外見になるのだが、彼女は気にしていない。

 レティは、冬である限り幸せなのだから。


 しかし――

 今年の冬はちょっと長すぎる気がする。
 例年通りなら春の陽気が少しづつ感じられ、名残惜しくなる頃なのだが、一向に暖かくなる気配が無い。
 しんしんと降る雪。小さな池が雪に埋もれている様をレティは今年、初めて見た。


 普段と違うこの状況を、チルノは気付いているのかしら、と考えていると、空を飛ぶものが見えた。

   それは、今までレティが見たことのない妖精のようだった。


 白を基調に赤い刺繍が入った服を着、頭にはお揃いの模様のとんがり帽子を被っている。

 妖精(?)は弱っているようで、飛び方がおぼつかない。

 様子を見ようとレティは声を掛ける。

「あなた、どうかしたの?」

 妖精はレティの姿を確認すると、力無く答えた。

「……春ですよー」




 レティは素直に疑問を口にした。

「今年の春は雪が降る寒い季節なのかしら?」

「でも、いつもならもう……」

 話し切る前に妖精は力を失って、地面へと落下していく。

「ちょ、ちょっと、あなた、大丈夫?」

 素早く回り込んで、レティは妖精を受け止めた。

 妖精はうなされたような表情をして、レティに抱きかかえられている。
 体は震え、顔色は青ざめていた。

「寒いみたいね。仕方ないわ」

 レティは自分の性質をよく理解している。
 寒気を操る彼女は、基本的にチルノと同じように体から冷気を発し続けている。
 レティが妖精を抱きかかえる程に、その妖精はどんどん体温を奪われていくのは当たり前、である。

 レティは雪のかからない木陰に妖精を下ろし、出来るだけ体温を温める事にした。




――****――





 春を告げる妖精、リリーホワイトは、根本的に冬が苦手である。

 夏も秋もそんなに好きでは無いが、冬の厳しさに比べれば我慢できるものだった。

 リリーホワイトは、春が来ると自然と湧いて出てくる。
 そうして春の温かい風の中を飛んで、地上の植物、動物、人間、妖怪と、幻想郷全てのものに春を告げて回るのだ。




 今年も、いつも通り春が来る季節に目覚めた、はずだった。
 しかし、リリーホワイトに飛び込んできた景色は、一面雪に囲まれた銀世界。

 そんなハズがない、リリーホワイトは幻想郷中を飛び回った。

 しかし、どこも地面は雪で埋まり、ひどい所では猛吹雪がリリーを襲った。

 まだ冬の様相を呈した春に対してのショックと、普段慣れない冬の寒さに当り続けた結果、  リリーは憔悴しきっていた。

 何より、いつもは顔を出し始める生き物たちが、  ひっそりと寒さに耐えるかのようにリリーの前に現れないことが、春を伝えることを使命と思い、  喜びを感じているリリーにとって最も悲しいことだった。



――どうしよう、このまま春が来なかったら――

 リリーにとってとても恐ろしい考えが頭から離れない。

 春が無い、ということは彼女の存在意義が無いのことと同義であり、  意味の持たない妖精がいつまでも存在し続けていられるはずも無い。

 焦り、不安、恐怖。
様々な負の感情をないまぜにして、リリーは雪の中平然としているレティに出会い、  そこで気を失ってしまった。

――****――





――困ったことになったわね。
 レティは誰に伝えるでもなく呟く。
 本来、寒さを糧とする彼女にとって、熱は苦手なものであった上、自らそれを生み出すことも難しい。
 冬の雪山に遭難したような人間は力尽きれば彼女の食料となるのだが、まだ生きてるものに手を出すことはあまり無い。


 いっそこのまま妖精を放っておいてしまっても、彼女にとってデメリットとなるような事は何もないのだが。
 しかし、妖精の言葉が気になる、ともレティは思っていた。


 いつもなら春が来るはずの時期に振り続ける雪。
 そして場違いに春だと伝えた妖精。


 もしかしたら、これはちょっとした異変かもしれない。
 冬であり続ける幻想郷の異変を、彼女は何か知っているのかもしれない。


「――仕方ないわね」

 レティは寒気を操ると、局部的に雪を積もらせた。
 小山となった雪の塊を、手を使ってドーム状に掘り進めていく。

 正味五分ほどで出来上がったそれは、よく人間の子供たちが作って入るかまくらだった。
 レティは、人里を見に行った時にそれを見て、かまくらの中が外よりも暖かいことも知っていた。


 木陰に横たわる妖精を抱き上げ、かまくらの中に招き入れる。
 確かに外に野ざらしにしておくより寒気は入ってこないが、冷えた地面は、妖精の体温を徐々に奪っていく。


 レティは内心焦っていた。
他人を凍えさせる術はいくらでも思いつくが、  降りしきる雪の中、誰かを温めるということがここまで難しいとは。

 方法を模索するレティの背後で、草をかき分ける音が聞こえた。
 彼女が振り向いて見たそれは、問題を解決する糸口となった。




――****――





 リリーホワイトは夢を見ていた。
 幻想郷の春が来たことを、みんなに伝えに行くところだった。
 リリーが春を伝えた所から、春の陽気が降り注ぎ、大地には花が芽吹き、  冬眠から覚めた動物たちが元気よく野原を駆け巡る。

「春ですよー」

 みんなが元気で、リリーはうれしくなる。
 生命力にあふれた空気を大きく吸い、どこまでも、どこまでも――

 そこで景色は変わる。強風がリリーを襲い、あまりの強さに目を瞑る。

 再び開いた眼には、灰色に塗りつぶされた、冬の世界。
 木々は枯れ、大地は地肌を露出し、湖は氷が張っている。

――違う、わたしは春を伝えに来たのに、こんなの、違う――




 夢から覚めたリリーホワイトは、白い天井を見つめている。

「ここ、は――」

 寝呆けた頭は良く回らず、上体を起こした彼女は、周囲に暖かいものが付いているのを感じた。
 特に腹の上に重さを感じる。
 様子を確認すれば、乗っているものの正体が分かった。


 それは、白い兎だった。
一匹だけでなく、リリーの周りを囲むように、丸まり、リリーに体を寄せている。
 彼女の腹部の上に乗る兎を持ちあげれば、心地よいぬくもりが手に伝わる。

 リリーに抱きかかえられた兎は、鼻をしきりに動かし、瞳はリリーの顔を窺っているようだ。

「心配してくれるの? 温めてくれて、ありがと」

 リリーは兎に頬ずりする。
 彼女はふかふかの毛並みに心地よさと安堵を感じていた。




 ところで、ここはどこだろう。
リリーは周囲を見渡してみる。
 兎の他には何もない、白い壁、白い天井。
 ドーム状のそれは、触れてみると冷たい、雪だと解る。

 それにしても――
 雪で囲まれているのに、そこまで寒くない。
 温かさは兎の体温によるものだが、外気による肌寒さを感じないことに、リリーは驚いていた。

 雪のドームから、出口を見つけ、くぐって外へ出る。
 両手には兎を抱き抱え、後から残った兎たちも付いてくる。

 雪は降り積もっているが、空から雪の結晶は落ちてはこない。


 小さな池が見える。



 その先に、誰かがいる。



 それは、雪を従えて舞う、一人の少女。


 青味がかかった紫と、白を基調にした服が、彼女がくるりと回ると、服もそれに合わせて踊りだす。

 雪は彼女と戯れるように、しんしんと彼女の周りだけに降り注いでいた。

「わぁ、きれー」

 思わず口に出たリリーの言葉に反応し、少女は雪原の上に立つリリーの存在に気付いたようだ。

「あ、ええと」

 邪魔をしてしまったと思ったリリーの予想に反して、少女はリリーの姿を確認すると笑みを見せた。

「よかった。どうやら峠は越えたみたいね」

「あの、あなたは?」

「私はご覧のとおり、冬の妖怪よ。そういうあなたは誰?」

「えっと、わたし、リリーホワイトです」

「私はレティ・ホワイトロック。奇偶ね、同じ『白』い名前なんて」



 レティ・ホワイトロックは薄く笑んでリリーホワイトの様子を観察する。

 顔色は悪くない。
寒いのか頬を紅潮させて、白い息を吐いている。
 胸元で抱えるように兎を両手に持ち、リリーの足元には数羽の兎が彼女に身を寄せている。


「あの、わたし、あなたに助けられたんですか?」

 リリーの瞳にはレティを窺うように、不安の色が見える。

「そうね。
こんな寒い中、あなたは何をしていたの?」

 何をしていたの、というレティの問いに、リリーは自分の使命を思い出した。

「そうだ、わたし、春を伝えに来たんです!」

 レティの質問に対し、急に勢いを強めたリリーホワイト。
 その様子にレティは少し驚き、目を見開く。

「あら、それじゃあ今年の春は寒いままなの?」

「そうじゃなくて、もう春になっていないとおかしいんですよ!」

「そうね」

「『そうね』って、あなたは変だと思わないの?」

「いいじゃない、こんな風に春が来るのが遅くても、とは思うわ」

「でも、わたし、春を伝えないと。そもそも何で今年はこんなに冬が長いのですか」

「さあ、私は知らないわ。それだけ長くいられるのだから、文句はないもの」

「長くいられる、ですか?」

「ええ、私は冬の間だけこの姿でいられる冬の妖怪だから」


 リリーホワイトは、驚いた表情を隠さない。

「そういうあなたは、春の妖精さん?」

「ええと、はい」

 委縮して応えるリリー。

「でも、幻想郷はまだ冬よ。
あなたの出る幕は、無いわ」

 ちょっときつく言い過ぎたかしら、とレティは思う。
 そんなことはリリーホワイト本人が一番よく解っている筈で、  彼女は何か理由があってこの寒空の中を飛んでいたのかもしれないのだから。

「……違います。
もう春になっていないとおかしいんです!冬は終わらないといけなくて」




――冬は終わらないといけない。

 リリーの悪意のないその言葉が、レティに鈍い痛みを感じさせる。

 悲しみ、諦め、寂しさ――? 感情の種目は彼女自身にも解らなかった。




「それで、あなたはどうしたの」

「幻想郷中を回って、異変の原因を探していて、」

「そして体力を使いきって私の前で気を失った訳ね」

「……はい」

 俯き、小さな声でリリーは答えた。
 遠慮がちな彼女を見て、ついため息が出たレティは、冗談でも言うことにした。

「それだったら、雲の上を探せばいいじゃない。もしかしたら、空はもう春かもしれないわ」

 おどけた様子をリリーは感じ取れなかったのか、レティの言葉に目を輝かせて反応した。

「そうです! もしかしたら雲の上は暖かくて、春になっているかもしれない」

 少し予想外のリリーホワイトの反応に、レティは釘をさす。

「ちょっと待って、今はまぎれも無く冬よ。
 雲の上だって少しは暖かいかもしれないけど、意味はないと思うわ」

 レティの忠告は逸るリリーの心には響かず、リリーは自分の羽根を広げ始める。が。

「とにかくわたし行かなくちゃ。早く春、を、あれ――?」

 飛び立とうとする姿勢のまま、リリーの体はぐらりと傾き、リリーは地面に倒れそうになる。

 足でバランスをとり何とか転ばずに済んだが、リリーの顔には疲労の色が強く表れていた。

 レティは、リリーに近づきながら、忠告する。

「まだ無理しちゃ駄目。あなた、本当に危ない所だったのよ。」

「でも――」

「自分の体を大事にしなさい。あなたがいなければ、みんなに春を教えることが出来ないのでしょう?」

 優しく諭している自分をくすぐったく感じるレティは、リリーから無意識に顔を背ける。

――不思議ね、他人のことなどどうでもいいのに――

 結局、リリーは現在の幻想郷について、何も知らないようであったから、レティの興味の焦点は無くなった。

 それでもこうして彼女を助けるのが、どうしてなのかはレティ自身も解らない。


 リリーは、叱られた子犬のように、しゅんと縮こまってしまう。
 先ほど飛び立とうと勢いよく開いた開いた羽根も、今は下がりきっている。

「あの、ごめんなさ――」

 リリーは言い切る前にくしゃみをしてしまう。

 レティが見るとリリーは慌てた様子で鼻周りを袖で隠す。

「体が冷え切ってるみたいね。
とにかく、今は休むことだけ考えなさい」

「……はい」

 リリーは再度くしゃみをする。

 レティはそんなリリーの頭をポンと叩く。

 白い帽子が潰れ、リリーは驚いた表情を見せる。
 その仕草と表情が妙にかわいらしくて、レティは意識せずに置いた手の平をかき回す。

「え、えっとぉ」

 困ったような、恥ずかしいような顔でレティに何か言おうとするが、リリーはうまく言葉に出来ない。

 レティは微笑み、手を離す。

「ごめんね、ついつい」

 レティにくしゃくしゃにされた帽子を直しながら、リリーは上目遣いでレティを見つめ、答える。

「あ、はい」

「それと、鼻水。これで拭きなさい」

 レティのスカーフを渡されたリリーは、少し躊躇してから、鼻をかむ。

「すみません、何から何まで」

「別に構わないわ。それよりも、早く中に入りなさい」




 リリーの体調はまだまだ万全とは言えない状態のようだ。
 歩かせるのも酷と感じたレティは、軽々とリリーを抱き上げる。

「ひゃっ」

「ごめんね、寒いだろうけど、我慢して」

「い、いえ、その……」

「何?」

「……何でもないです」

 リリーは先程より顔を真っ赤にして、俯いている。
 レティは自分の冷気が彼女を冷やしているのだろうと感じ、温かさを持たない自分が、少し嫌になる。

 おそらくこの状況を現代の人間が見れば、『お姫様だっこされている』と表現できるのだろうが、 レティは担ぎ方に恣意的なものがあるなど知らない。


 気付けば、リリーの周りを囲んでいた兎たちはいなくなっていた。

 春の暖かさの周りには集まるが、冬の寒さには離れていく。
 当たり前のことが、今のレティには、少し悲しい。




 かまくらの中で下ろし、リリーは地べたにちょこんと座る。
 リリーの腕には抱いたままの兎がしきりに鼻を動かしているが、リリーの胸元でおとなしくおさまっている。

「とりあえず、後で何か食べ物を持ってくるわ」

――寒気を操るのにも、距離と集中力がいるものだわ――

 レティはリリーから離れていく。


 しばらくして、自分の周りに雪が降らず、冷たい空気が入ってこないことに、リリーは気付いた。

「もしかして、雪がわたしにかからないように……?」

「寒気を集めて遊んでるだけよ。あなたの為では無い」

 リリーに背中を向いているレティの台詞はそっけない印象を与える。

 だが、リリーは優しさを感じ、胸の奥が暖かくなる。

「あの、ありがと、レティさん」



 こうして、冬の妖怪と春の妖精の一見奇妙な日々は始まった。




――****――





   幻想郷に、雪が降り続ける。




 あるところは猛吹雪に襲われ、家で大人しく過ぎるのを待つものもいる。
 あるところは穏やかに雪が降り続け、子供や妖精たちが無邪気に雪と遊ぶ。


 本来なら春が訪れてもおかしくはないこの異変を、多くは受け入れていた。



――そのうち誰かが解決するだろう――



 だが、『誰か』に頼らずに異変を解決しようとする者もいる。
 非力で、今は体を休ませている春の妖精。
リリーホワイト。
 彼女は雪に囲まれた空間で、静かに体を休ませる。



 レティ・ホワイトロックと出会って数日。彼女が寒気を抑えてくれなければ、今頃は凍死してかもしれない。

 リリーはレティに何度も礼を言い、それはレティに『お礼はもういいから』と彼女をうんざりさせる程だった。



 リリーは、レティのことが少しずつ解ってきた。


 とても優しい、妖怪であること。

 そして、一人でいることが多いこと。



 たまに水色の妖精が遊びに来るようだが『あの子は力加減を知らないから、まだ会わない方がいいわ』
 と諭されたため、リリーはかまくらから覗いていただけだったが、
 レティに会いに来るのはその水色の妖精ぐらいだった。


 今、レティはリリーの近くにはいない。
 補充のために香霖堂にでも行っているのだろうか。


「もうすこし待っていようね」

 リリーに抱えられた兎――ユキは耳を垂れて眠っている。
 名前はリリーが考えた。
 名前を付けたの、とレティに伝えたら彼女は情が移るわよ、と優しくほほ笑んでくれた。




 リリーは考えていた。
どうすればレティに恩返しが出来るだろうかと。
 思えば、リリーはレティに迷惑をかけっぱなしだったと思う。

 初めのうちは熱が出て、風邪のような状態になった時は、毛布をかけて、
 頭に彼女の手のひらを乗せてもらって看病してくれた。
 他にも、兎のユキのために野菜を持ってきてくれる。

 極端に言うと、レティに任せればずっと冬でもかまくらから出ずに生活していられる、
 そこまで何もかも世話をしてくれていた。




「あら、起きていたの」

 かまくらの入口からレティが顔を出す。
 手には袋を持っていて、中から何かを取り出す。

「あ、おかえり、レティ」

 リリーは、レティの姿を確認すると、無邪気な様子で声を掛ける。


――おかえり、か――


 特定の場所に帰る所などないレティは、リリーの言葉が妙にこそばゆく感じる。
 だから、レティはつい頬が緩み、優しい声でこう答えた。

「ただいま、リリー」


 レティは袋から香霖堂より調達してきた湯たんぽと、小さな白い袋を手渡す。

「これ、なんですか?」

 それを手渡されたリリーは、不思議そうに白い袋をまじまじと見つめる。

「面白いわよ、それ。縦に振ってみなさい」

「こう、ですか?あ……わぁ」

 湯たんぽを膝の上に置いて白い袋を振っているリリー。
 彼女はそれがどのような道具か分かったようだ。

「それね、『使い捨てカイロ』っていうのよ。
 振れば熱が発生するように出来ていて、一回使ったらそれまでらしいのよ」

「わぁ、これすごい、どんどんあったかくなってくる!」

 リリーは夢中になって『使い捨てカイロ』を強く振り続ける。
 レティの説明を聞いていたのかも怪しい程に、一所懸命になっている。

 体も強く揺れてきた彼女に抱えられていた兎のユキは、驚き、目を覚ましてリリーの手からこぼれ落ちる。

 ぽふ、と兎が地面に落ちる音が雪のドームに響いた気がした。
「あ、ごめん。つい夢中になって。びっくりしたでしょ?」

 リリーはユキを両手で抱き抱え、湯たんぽの上に置く。
 先ほどまで振っていたカイロには目もくれず、両手で膝の上にいるユキを持つ。

「まったく、仕方ないわね。
ほら」

 レティは地面のカイロを取ろうと触れる。

 しかし、レティは冬の妖怪。『熱』や『暑さ』に耐性はほとんど無い。
 激しく振られたカイロは、かなりの高温、レティは触れた瞬間、自らの手が融け始めるのを感じた。

 大きな苦痛を感じるが、顔には出さないように平静を装う。

「ハイ、放っておいたらもったいないわ」

「あ、すみません。
あれ、レティ、その手」

「ああ、気にしないで」

 心配させないように素早く隠そうとレティは融けた手を動かそうとする。が。

「大丈夫ですか!?」


 リリーは動揺し、レティの腕をつかむ。
 顔には真剣に心配することがはっきりと表れていた。


 レティは、リリーの性格を、短い付き合いだがある程度把握していた。


――この子は、無邪気で、少し思い込みが強くて、向こう見ずな所があるけれど、優しい子だ――


 事象だけを言えば、リリーの手から伝わるぬくもりは、レティを傷つけてしまう。
 それはちょうど、人間が魚に触れ、人間の体温で魚が火傷することに似ている。


 リリーは心配そうに融けたレティの腕を覗き込んでいる。
 彼女にレティを治癒することなど出来ない、無駄な行為だとレティは考える。
 しかし、こうして痛みを押されながらも気分は悪くはない。

 誰かに真剣に想われているということが、レティの気持ちを少し変えるきっかけになったのかもしれない。

 レティは薄く笑んでリリーを諭す。

「大丈夫よ。
外の寒気に当たればすぐに治るから」



 見ると、リリーは眼に涙を浮かべている。



 意外と感じたのはレティだが、リリーはかすれた声で、言う。
「ごめんなさい……わたし、レティに迷惑ばっか、かけてる。」

「そんなことないわ」

「ううん。だって、こうやって温かいものや、食べ物だって持ってきてくれる。レティには必要ないものの方が多いのに」



 ずっと庇護され続けてきた情けなさや、不注意な自分が悔しい。
 リリーは感情があふれてくる。


 不意に――


 リリーの額にひんやりとしたものが当たった。


「!……?」

 驚いたリリーの眼に、レティの優しく微笑む顔が映る。
 額に当てられたそれは、レティの無傷の方の手の平だった。

「頭を冷やせば少しは落ち着くのって本当かしらね?」

「え……?」

 レティはおどけたように、真剣に考える表情をコミカルに表していた。

「私はずうっと頭が冷えたままだからね、よく解らないわ」

「あのぅ……」

「ん? もう大丈夫? じゃあ手を離すわよ。両手が融けたら大変だわ」



   それは、あくまでも道化に徹して、リリーを和ませようとするレティの気遣い。

 冷たい、冬の妖怪なのに、とても心を温かくさせてくれる。


 リリーは涙で潤んだ瞳を一所懸命笑わせる。少し涙が頬を伝うがリリーは構わなかった。


「もう大丈夫です。だけど……」

「何?」

「もう少しだけ、このままがいいです。」




――仕方ないわね。

 レティは慈愛に満ちた目でリリーを見つめ、彼女が初めて自分から甘えてきてくれたことに喜びを感じた。

 レティは考える。私は彼女にとってどんな存在なのだろう?




 思考をまとめる前に、おてんばな声がレティの耳に飛び込んできた。

「レティ! 遊び来たよ! ――!?」

 チルノは文字通り、固まった。
 チルノの視界には、レティと、見たことのない妖精。



 実際チルノはリリーの姿を春に何度か見たことはあるのだが、
 チルノの頭は自分に直接関係あるもの以外を覚えているほど良く出来てはいない。

 レティの手は、溶けていて、しずくとなって地面を濡らしている。

 思考が体と共に止まっていたチルノは、『レティの手が溶けている』という一点のみで結論をはじき出した。



――レティがいじめられている!!――



 チルノは、無意識に自身の能力をフルに使い、大気を瞬時に凍らせ、無数のつららがチルノの周りに出現する。

 チルノの行動を察知したレティは、すぐにリリーを抱き抱え、行動を始めた。

 レティの行動と、チルノの行動は、ほぼ同時に起こった。

 チルノは発生させたつららを、まっすぐ正面の敵にぶつけようと発射する。
 仮にレティが動いてなければ、間違い無く彼女を貫くコースだったが、チルノはそこまで考えていなかった。



 チルノの大量のつららが、かまくらを中から貫き、崩れていく。
凍った湯たんぽが、宙を舞い、つららにぶつかり、はぜる。



 かまくらが崩れ終わるころには、レティはリリーを抱え、チルノと距離を保って対峙していた。

「レティ、なんでそんなやつ助けるの!?」

 間髪入れずにチルノが叫んだ。

「そういうあなたこそ何故いきなり攻撃したのかしら?」

 レティの質問に答えずにチルノはリリーを敵意の眼差しで見つめて、叫ぶ。

「あんた、あたいのだいじな友だちのレティをいじめて……許さないよ!」

 リリーはさっぱり状況が理解できなかったが、あの水色の妖精が自分を邪魔ものだと思っていると考えた。

「ちょっと待ってください! わたし、レティをいじめてなんかいません!」

 憤慨する氷精にはリリーの言葉は届かない。

「うるさい! レティからはなれろ!」

 氷の結晶が、弾丸となってまっすぐリリーホワイトの方へ向かっていく。

 リリーはとっさに避けたが、服は回避しきれずに、スカートの一部が凍る。

 力を抑えている余裕なんてないと判断したリリーは、ユキを抱えたまま羽を広げ、数日ぶりの空を飛び始めた。

 しかし、本調子では無い羽根は高度がうまく上げられず、地面を滑空する形になってしまい、
 徐々にリリーはチルノの弾幕に追い込まれていく。




――まずいわ、あの子、完全に我を忘れてる――

 チルノの弾幕は容赦がない。

 ただの弾幕ごっこにしては、相手に逃げ場所を与えない程に、チルノはいつも以上の力を出していた。

 さらにリリーはまだ完治したわけでもなく、今は彼女が苦手な、寒い冬の中である。
 チルノの弾が直撃したならば、生死にかかわるかもしれない。


 リリーに加勢しようとすれば、チルノの神経を逆なでするだけであると判断したレティは、チルノの弾幕を相殺することを決めた。

 そうと決まれば早速スペルカードを、――!

 レティは、出現した自身のスペルカードを手に持つことが出来ない。

 レティの両手は、リリーの体温で温まった結果、手として満足に機能しない程になってしまっていた。



 リリーは、寒さを必死にこらえ、氷で出来た弾を紙一重で避け続ける。

 かすって当たった羽が痛いが、構わず飛び続ける。
 上空からつららが落ちてくる。
 正面の雹弾との同時攻撃に、リリーは高度を地面すれすれに下げた結果、地面にバウンドし、体勢を整えて何とか受け身を取ることが出来た。

 しかし、リリーはもう満身創痍で、服もあちこち破れている。
 それでも両手で抱いたユキはじっとしている。

 リリーはユキに声を掛ける。不安を抑えようと、声を掛ける。

「ごめんね、何とかユキだけは逃がしてあげるから、もうちょっと我慢しててね」

「よそ見してるよゆうなんてないよ!」

 声に気づき、リリーはチルノを見上げる。
 チルノは空中に浮き、腕組みをして、勝ち誇った表情をしている。

「最強のあたいの攻撃をここまでよくよけたもんだわ。
でも、これであんたもおわりね!!」

 チルノは手に持った紙きれを正面に投げ広げる。
 同時に両手を開いたチルノは、叫ぶ。

「くらえ! ダイヤモンドブリザード!」



 チルノが叫ぶと同時に宙に浮いた紙が光を放ち、大きな氷塊が空中に出来上がる。
 それに亀裂が入り、はじけ始めた。

 無数の氷のかけらとなり、太陽の光に反射する氷はさながら宝石のようであり、それらがリリーの眼前に降り注ぐ。




 リリーは避けることしかしなかった。
 リリーは弾を出してチルノに攻撃する意志は始めからなかった。

――レティの友だちを傷つけたくないよ――

 自らの生死にかかわる状況においても、春の妖精は相手を傷つけまいと必死に避ける。



 地面に落下した氷塊がはじけて、そのうちの一つがリリーの足元に向かってきた。
 予想外の方向からの攻撃に回避がうまく出来ず、弾は避けれたがバランスを崩し、地面に転倒する。

 その衝撃で、リリーの腕から兎のユキがこぼれ落ちる。
 地面に落下したユキは一目散に駆け出した。
 狂い散る弾幕の中は危険すぎる状況で、小さな兎ならどのような弾でも当たれば命を落としかねない。

「危ないっ!」


 駆けだしたリリーはユキに追い付き、両手で強く抱き寄せる。

 その先に待っていたのは、不可避の弾幕。

 もはやリリーには、弾を避けるだけの時間的余裕も体力的余裕も無かった。
 リリーに出来ること、それは自分を盾に、ユキを守ることだけだった。



 無数の氷塊がリリーを襲う。リリーは目をぎゅっとつむり、弾の飛来に耐える。いくつもの弾が当たり、はじける音が発生する。

「あたいに逆らうとどうなるかわかったでしょ! レティ、もうだいじょう――」

 チルノが寄越した視線の先に、レティはいなかった。

「レティ?まさか――」

 視線を戻したチルノの瞳に、信じられないものが映った。

 リリーの手前に、レティがいる。

 それは、リリーを守るために自らを盾にした、冬の妖怪の傷だらけの姿だった。
 体のいたるところでチルノが放った氷のかけらが刺さり、そのうちの大きな氷塊が、
 右肩をえぐるように深々と刺さり、見ているだけで痛々しい。

「どう、して?」

 リリーとチルノ、計らずとも同じ台詞が口からこぼれる。

「決まってるじゃない」

 レティは、外観とは裏腹に、平然とした様子で答える。

「二人が傷つくのを黙って見ているほど、私も無関心じゃない、ってことよ」


 チルノは、脅えた様子で、レティを見つめる。
 自分の大事な友だちを傷つけたことに、ショックを受けているようだ。
 リリーは、急いで立ち上がり、レティの名を強く呼ぶ。


「レティ!」

「大丈夫よ。弾が冷たかったのが不幸中の幸いね。これならすぐに治るわ」

「でも――」

「私は平気よ。
それより、リリーこそ怪我はない?」

「うん。
わたしは大丈夫。ユキも無事ですよ」

 レティの無事を確認できたからなのか、リリーの涙ぐんだ瞳は、落ち着きの色を取り戻していた。

「そう、それは良かったわね」



 それよりも――レティはチルノを見つめる。

「レティ、なんでそいつをかばったりなんかしたの?」

 動揺の色を隠さずにチルノが尋ねる。
 対してレティは、優しく諭すように、静かに応える。

「チルノ、この子は、私をいじめてなんかいないわ」

「でも、レティの手、そいつのせいで溶けちゃったじゃない」

「融けたのは私の不注意よ。額に当てていたのだって、私の意志でやったことなの」

「何で? 何でそんなことをレティがするのよ!」

 チルノは自分が何でこれほどまでに苛立っているのか理解できずに、感情的にレティを問い詰める。

「レティ、なんでそこまでムチャしてるの!? その妖精が、レティの力を弱めて助けるほどだいじなの!?」

「え――?」

 チルノの言葉が理解できなくて、リリーが声を漏らす。

「レティ、そんなやつほっといて、あたいと遊ぼう。ね?」

「それは出来ないわ」

「いいじゃない。ひとりじゃ何もできない弱い妖精なんかほっとこうよ」



 チルノは不安になる。レティからあの妖精を離してしまえば、きっといままでみたいに、一緒に遊んだりお話したりできる。

 でも、目の前にいるぼろぼろのレティは、いつもと違って、少し、怖い。

 自分たちが、実は友だちとしてつながっていないような、そんな感覚。



「チルノ」

 そして、不安は的中する。

 レティの瞳は、普段より何十度も低い、冷たい目でチルノを見つめていた。



「私はあなたがそんな冷たい子だと思ってなかったわ」



 友だちの、自分への拒絶。

 それは、チルノにとって何よりも応えた。
 レティが自分を選んでくれなかったこと、失望させてしまったこと。

 そして友だちを自分より非力な、彼女を傷つける存在にレティを奪われたこと。
 性質の近い自分が彼女の何よりの理解者だと自負していたチルノにとって、それが何よりも、つらかった。



 チルノの目から涙が溢れる。
 頬を伝うそれは、あふれて止めることが出来ない。涙交じりの声でチルノは絶叫する。

「レティのばか! ばか! レティなんて、さっさと春になっていなくなっちゃえばいいんだ!」

「……」

「レティなんて、だいっきらい!!」




――困った事になったわね。

 レティは泣きながら飛び去っていくチルノを見送って漠然とそう考えていた。

 実際レティの体に蓄積したダメージは大きい。
 冷えた弾はレティの体にとって害では無いが、被弾時の衝撃はかなりの深手を彼女に与えていた。

「レティ……」

 見ると、リリーホワイトがレティを見つめている。
 彼女はこの状況にどうしていいか分からず、おぼつかない足取りでレティに近付こうとする。


 しかし、レティはそれを許さなかった。

「来ないで」

「え――?」


 自分は冬の妖怪。厳しい寒さの中、一人でいる存在。それが当たり前なのだ。
 レティは自分に言い聞かせる。

「これ以上、あなたの温かい陽気に当てられたら、私も無事じゃ済まないわ」

「でも、その怪我を何とかしないと」

「あら、あなたにこれが直せるというの?」

 レティは右肩に突き刺さった氷塊を、力任せに引きはがす。
 それを見せられたリリーは、小さく短い悲鳴を上げた。

「残念ね、私は寒気にさえ当たれば自然に治るわ。
そこにあなたの温かさは、不要よ」



 そう――

 春の陽気のような、あの子の暖かな笑顔。

 野原を駆ける子供のような無邪気さ――



 それは、私にとって初めから必要無い。レティは自分に強く言い聞かせる。

「私は冬の妖怪。春になれば道端の融けた雪と変わらないわ。春の暖かさは、あなたの体温を奪うこの冬の寒さと同じ」

 これ以上は、踏み込ませない。レティの寒気を抑える力も、限界が近付いてきた。



――言葉にすれば、彼女を傷つけるだろう。
 それでも言わなければならない。彼女の為に――


 痛い、と感じる。
 もう永く感じなかった痛みが、レティを襲う。
――体の痛みには慣れたのに、これだけはどうしても駄目ね。




「あなた、私にとって邪魔なのよ」



「――!!」


 リリーは絶句する。

 レティの言ったことが信じらず、その表れか力を緩まった両手からユキが落ちた。
 ユキはリリーの手から離れると、しばらくリリーの様子を覗いていたが、冷たい風が吹くと駆け出し、草むらで見えなくなった。

 だが、リリーはユキがいなくなったことに気付かない。
 レティの言葉は、それほどまでにこたえ、リリーは自分でもわからずに乾いた笑い声を立てた。

「やっぱり……そうだったんだ。わたし、レティに迷惑ばっかかけて……」

 呟くリリーは、そうであってほしいという思いと、そうじゃないと抵抗する二つの思いに自我が揺れる。

 強い動揺を、リリーは隠すことが出来ない。



――わたしは、レティにとっていらないんだ。

 そうだと解ってしまえば、簡単なことだ。

 レティから離れることが、わたしにとって唯一彼女のために出来ることなんだ――


 強い風が、レティとリリーの間に吹く。

 リリーは、まるで風など吹いていないかのように無反応で立ち尽くしている。


 そうやって、一つのことに集中して、周りのことが解らなくなる。
 レティはリリーとチルノを重ねて見ていた。


 伝えなければいけないと判断したレティは、寒気を乗せて、リリーに言葉を放つ。

「これから寒気を呼び込むわ。ここから離れなさい」

 レティの言葉に気づき、リリーは我に返った。

「西の森には冬を過ごす妖精の小屋があるわ。あなたは、そこで春が来るのをじっと待っていればいいわ」

「――!!」


 そのレティの言葉に、リリーは彼女の優しさを感じてしまう。
 リリーはやはりレティのそばにいたいと強く思う。
 でも、それは叶わない願いで、不意に強い悲しみがリリーの胸にこみ上げてくる。
 徐々に強くなる風は、レティの周りから少しずつ、吹雪のように、雪が舞い始める。


「早く、行きなさい」

 レティの姿は舞う雪に隠れ、リリーの瞳には写らない。

「……はい」

 リリーはぺこりとお辞儀をして、レティから離れていく。


 吹雪と化したレティの周囲は、徐々に寒気を強め、そしてレティの傷を癒やしていく。

 リリーが飛び去るのを確認してから、誰にも聞こえない声で、レティは呟く。



「さようなら、春の妖精さん」



 この日、冬の妖怪は、日常に戻った。
 寒さと一緒に、一人ぼっちで過ごす日々に――




――****――





 今年の冬は少し長い。簡素な小屋の窓は、風が吹くたびにカタカタ鳴る。
 霜の降りた窓を触ると、冷たいと感じる。

 そろそろ春が恋しいと感じる大妖精は、暖炉の前でじっと座っているチルノに声を掛ける。

「チルノちゃん、そこにいると体に良くないよ」

 チルノは振り返らず、動きを変える気配が無い。

「いい、あたいはここでいいの」

「でも、チルノちゃん暑いの苦手でしょ?」

「いいったらいいの!」

 大妖精は困った様子で、チルノに気をかけている。



 チルノはレティに嫌われたと思いこんだ日から、ずっと考えていた。

 あの日、レティに怒られて、チルノは泣きながら飛び続けた。
 無我夢中でたどり着いた所は、いつもチルノが住む湖の上で、凍った湖に一人きり、膝を抱えて泣き続けた。

 しばらくしたら、友だちの大妖精が心配してチルノに近づいてきた。
 チルノは涙と少量の鼻水に覆われた顔を破顔させて大妖精に抱きついた。

 大妖精は、チルノの様子がいつもと違うことに驚き、冬を越す為に住む小屋にチルノを招き入れた。

 チルノがどうして泣いていたのか大妖精は気になったが、チルノが自分から話すまで待とうと決め、
 2日ほどチルノと一緒に冬を越すために探した小屋に住んでいた。



「大ちゃん」

 チルノが大妖精を愛称で呼ぶ。

「何? チルノちゃん」

「暖炉の火、弱くなってるよ」

「あ、うん。
でも」

「大ちゃん、あたいがいるから寒くなっちゃうんだよね」

 大妖精は気を使うチルノの様子を見て、心配になる。

 いつも大妖精や他の友だちと一緒にいる時は、元気よく冷気を放っているチルノが、
 今はそんな彼女のイメージとかけ離れている程に、ふさぎ込んでいる。

 大妖精の心配をよそに、チルノは考える。

 レティは、こうやってわざわざ熱さを選んでいた。
 暑くて、嫌なだけなのに、どうしてこんなことをしていたのだろう? あれからずっと考えても、答えは出てこない。

「そんなことないよチルノちゃん。あたしは平気だよ」

「うん、ごめんね」

 考え事をしているチルノは、受け答えも曖昧になっていく。

 大妖精は一人にさせた方がいいだろうと思い、音を立てないように
 小屋から出て行った。




 大妖精は、冬がそこまで苦手では無かった。
 普段からチルノと一緒に遊んでいるせいだろうか、他の妖精に比べて寒さへの耐性が高いらしい。

 だから、穏やかな天気の日は、冬でも外に出て、氷を張った湖の近くに腰かけて景色を見ていることが多い。

 大妖精はこうして、四季の湖を見ていることが好きだった。

 小屋から出た大妖精は、いつも通り湖を見て過ごそうと思う。




 湖に近づくに連れて、誰かが湖の上にいる事に大妖精は気付いた。

「あれ、リリーホワイト……だよね?」

 白に赤を配した服装は、所々に補修した跡がある。
 翼を広げて、湖の上を停滞している。この距離からでは、表情は読めない。

 リリーホワイトは自分に近づく大妖精に気付いた。
 戸惑った表情を見せたリリーに、大妖精は笑顔で話しかける。

「こんにちは、リリー」

「大ちゃん。あ……こんにちは」

「リリーがいるってことは、もう春が近いんだね」

「そう、だと思うけど」

 歯切れの良くない口調で、リリーは話す。
 心なしかリリーには元気がないように大妖精の目に映った。

 いつもの彼女は所構わず『春ですよー』と陽気に駆け回るイメージが強いせいか、それがより協調して見えた。

「リリー、何かあったの?」

「その、ええと……」

 困った様子のリリーを見て、大妖精は勘付く。

――リリーは何か悩み事があるみたい――

 友だちであるリリーが心配になった大妖精は、リリーに提案を持ちかけた。

「何か悩みごとでもあるみたいだけど、よかったらあたしの小屋に来る?」

「いや、お邪魔したら悪いよ……」

 リリーは遠慮がちに目を伏せる。それが、大妖精の心配をあおる結果になることを、彼女は知らない。

「大丈夫。」

 大妖精は、前で結んでいたリリーの両手をつかむ。

「一緒にお茶をして、お話しよ!」

 大妖精はリリーを引っ張る形で小屋へと急いでいく。

 リリーの様子を気遣うのに頭がいっぱいで、大妖精は小屋にチルノがいることをすっかり忘れていた。




「何であんたがここにいるのよ!」

 小屋に入っていきなり、チルノの怒鳴り声が聞こえた。

「何であんたがいるの!」

 繰り返し怒鳴るチルノに、驚いた大妖精は慌てた様子でチルノに尋ねる。

「ど、どうしたのチルノちゃん? リリーは悪い子じゃないよ?」

 大妖精がリリーの方へ向くと、リリーは目を見開き、立ち尽くしている。

「あなた、この間の――」

 リリーは、この間自分を攻撃してきた時と同じ、敵意の眼差しで睨むチルノと対峙する。

 チルノは、こみ上げる感情を止めることはせずに、叫ぶ。

「あんたのせいであたいは、レティとケンカしちゃったじゃないの!!」

「え、レティさんと?」

 大妖精は意外な名前が出てきて思わずおうむ返しに尋ねる。
 だが、大妖精の問いは怒りに満ちたチルノの耳には届かなかった。

「あたいはあんたを、絶対にゆるさないんだから」



 罵倒するチルノの言葉が、リリーの胸に深く突き刺さる。

――わたしのせいで、わたしがいたから、レティも、チルノも、
 傷つけてしまって、どうしていいか、わからない。――

 リリーは自身の両手を強く握り、唇を噛む。

「帰って。
あんたなんか、レティの所に帰っちゃえ!」

 チルノは、本心からの思いをリリーにぶつけた。

 普段行わない考え事をしていた頭は、知恵熱で熱くなっていた。
 最も、チルノにとって、だが。




 リリーは俯いて、呟く。

「――ないよ。





「リリー?」

 大妖精には、リリーが肩を震わせているのが見えた。

「レティの所に帰るなんて、わたし、出来ないよ。」


 話してしまうことで、それが現実であると思い知らされる。
 口にするほど、本当にあったことなんだと解ってしまう。
 それでも溢れる言葉は涙と共に止まらない。


――どうしてこんなに苦しいの?――


「だって、わたしが近くにいたら、レティのこと傷つけちゃう。それに、レティはわたしが邪魔だって言った。
 わたし、いらない子だもん」

「え――?」

 予想外の答えに、チルノは小さな声を漏らす。
 それはちょうどレティに問い詰めた時にリリーが漏らした声に、よく似ていた。

「わたし、わたしは――」

 リリーは涙を手で拭う。拭いきれない涙は、乾いた木の床に落ちて少しずつシミが出来ていく。

「リリー……」

「な、何よ。
泣いたからってあたいがゆるすと思ったの?」

「ちょっと、チルノちゃん!」

 大妖精に咎められたと思ったチルノは、大妖精に問い詰める。

「大ちゃんも、こいつの味方をするの? なんで!?」

「いいから落ち着いてよ!!」

 目をつぶって大きな声を出した大妖精に、チルノは驚き、一瞬動きを固めた。

「チルノちゃんも、リリーも、何があったのかよく解らないけど、二人とも今は普通じゃないよ。
 いつもならチルノちゃんもリリーもそんなこと言わないよ」

「だって、それは」

 大妖精の語気に圧倒されて、チルノは気遅れし、後ずさる。

「まずは落ち着いて。
それで、落ち着いたら、何があったのかを話して。
あたしだけ仲間外れなんて、いやだよ」




 日が落ちる頃には、大妖精は大体の事情を理解した。

 大妖精の前に、二人が向かい合って座っている。
 彼女が仕切ることで公平にお互いの主観が入った証言をまとめ、状況を理解することが出来た。
 初めのうちは意見の食い違いやチルノの思い込みで見方が全く変わったりと、  何が違うのかさっぱり要領を得なかったが、大妖精は何とか事実をまとめ、現在に至る。


「それじゃあ、レティはあたいのことが嫌いになったんじゃないってこと?」

「多分、わたしをかばうためについきついことを言ったんだと思います」

 平静を取り戻したリリーは敬語でチルノの疑問に答えた。

「でも、あたいレティを傷つけちゃったし、やっぱり怒ってるのかな……?」

 不安そうに頬杖を突くチルノ。
 勘違いでも、結果的にレティを傷つけたことに気を病んでいるようだ。

「大丈夫だよ。レティさんは解ってくれると思うよ」

「そっか、うん――あたいレティのところに行ってくる!」

「どうするんですか?」

「決まってるじゃない! なかなおりしに行ってくるのよ!」

 チルノは自信たっぷりな表情を湛えて勢いよく椅子から降りて、小屋を出て行った。

「いってらっしゃーい」


 大妖精はうれしそうに手を振ってチルノを見送った。


 リリーは大妖精に淹れてもらった紅茶を口に運ぶ。
温かさが体に広がり、心地よい。


「よかった、チルノちゃん元気になって」

「うん、そうだね」

「後は」

 大妖精はリリーの方へ体ごと向ける。

「リリーホワイト、あなたも元気にならないとね」

「うん……」

 リリーは目を伏せて、大妖精から視線をそらす。



「ねぇ、リリー、あなたは何をしたいの?」

「何、を?」

「そう。チルノちゃんはレティさんと仲直りがしたいから出て行ったけど、リリーはどうすれば、元気になるのかな?」

「わたしは……」

 春が来ていることを確かめたい。それがリリーの願いであった。
 でも、リリーの心には、レティを想うだけで胸がいっぱいになってくる。
 それでも、レティは自分を拒絶したことに変わりはない。

「よくわからない。でも」

「レティさんのことが気になる?」

「……はい。わたし、ずっと迷惑かけっぱなしで」

「話を聞いてる限りでは、そうじゃないと思うんだけどなぁ」

「え?」

「レティさんは、きっとリリーのことがとても大事だったんだよ」

「どうして?わたし、レティに迷惑かけて、傷つけてしかいないよ。何もレティにあげてないよ……」

「レティさんがリリーからもらったものって、多分形に無いものじゃないかな」

「――形に無いもの?」

「なんて言うかな、きっとレティさんはリリーと一緒にいる事で、楽しかったんだと思うの。
それがレティさんが、リリーからもらったもの。」

――それはちょうど、あたしとチルノちゃんのように――

 大妖精は自分とチルノとの出会いを重ねる。

「わたしと一緒にいて、レティは楽しかった――?」

「そう。
だから、レティさんは自分の力を削ってまで一緒にいたかったんだと思うよ。
 それが、レティさんがリリーの事を大事に思ってた証拠じゃないかな」



――だって、友だちって、そういうものでしょ?


 大妖精はそう言って話を締める。



――友だち――


 きっと、そうだったのだろうか。友だちだから、一緒にいて、お話して、具合が悪ければ看病してくれて。
 そうした無償の愛が許されるのならば、リリーを縛る理由は無い。


 でも、リリーは想う。


――わたしは、レティに恩返しをしたい。

 冬はまだ苦手だけど、綺麗な雪の結晶や、澄んだ空気に囲まれた冬の美しさを教えてくれたレティに、わたしは――



 リリーは決心する。もう、揺るがないようそれを、大妖精に伝える。

――わたしがやりたいことは――

「わたし、春を見つけに行ってきます。それで、春をレティに見せてあげたい」

 少しずつ、リリーからいつもの明るさが戻っていくことに大妖精は気付き、安堵する。

――やっぱりリリーは元気な方が素敵だね――

 大妖精は自然な笑顔で、リリーを送る。

「頑張ってねリリー。気を付けてね」

「はい!」


 リリーは小屋から出て、冬の空へ飛び立つ。
冷え込みは厳しく、吹く風も冷たかったが、リリーはもう迷わなかった。

 ひるまずに、まっすぐ、雲の上を目指していく。




 夜の空に、白い妖精が飛んで行くさまを、大妖精はきれいだと感じた。




――****――





 吹雪はやみ、今は静寂だけが冬の妖怪の周りを包む。



 レティ・ホワイトロックは、雪に覆われた岩の上に座り、空を見上げている。

 こうして何も考えずに空を眺めていることは、レティにはよくあることだった。
 それだけでも、瞳に映る鉛色の空でさえレティは冬を感じることが出来て、冬の妖怪は幸せだった。



 チルノが放った弾幕の傷は、傷跡を残さない程に完璧に治っていた。
 かつて破れた服も、新品同様、汚れ一つも見当たらない。

 レティは特に他意も無く自身の腕を触ってみる。ほんの少し大きい腕は、かつてリリーに出会った時と同じ感触。

 寒気を操り、特定の場所のみ当たらないように力を出し続けた結果、レティは眠ることも無く、力の減衰は大きかった。

 それは、リリーを凍死させない為にレティが決めたことだったが、そうして力を使い続けたレティの体は、
 リリーの体温にも耐えられない程、人間で表現するならば、衰弱していた。



 自らの体に無理し続けたから、リリーを助ける事が出来、彼女との日々を過ごすことが出来た。

 しかし、それは逆にリリーとレティを別れさせる原因にもなってしまった。



――慣れないことはするものじゃないわ

 誰もいない雪原の上で、レティは呟く。

 彼女は初めから理解していた。

 春の妖精であるあの子と、そう長くはいられないことも、近付けば近付く度にお互いを傷つけてしまうことも。


 だから、あの子との別れは必然で、それが当たり前なのだと。


 レティはいつか思いついた疑問に、回答を見出していた。

――あの子にとって、私は偶然居合わせただけの存在であり、私が代わりの利かない存在では無い――


   レティはもう戻ることのない、春の妖精との日々に別れを告げて、本来の冬の生活を受け入れていた。




 レティの近くで草をかき分ける音が聞こえる。
 音の方向に視線を向けると、白い兎がいた。

「ユキ、あなたの飼い主はもうここには来ないわ」

 レティは、その兎がリリーが名付けたそれとは見分けはついていない。
 レティにとってはどっちでも良かった。

 ただ、レティの周りは、集まった寒気のせいで、幾分寒い。
 そこに兎が近づくはずも無く、兎はまた草むらへ姿を消した。




 リリーホワイトがいた日々に比べて静かすぎるレティの周りから、元気に彼女を呼ぶ声が聞こえた。

「――レティ!」

 レティの元へ近づいてきたチルノは、レティに謝る。

「あの、ね。レティ…… レティのこと、傷つけちゃって、ごめん!」

 ギュッと目を閉じて、頭を勢いよく深く下げる。
 レティはそんなチルノに微笑みを見せて許す。レティはチルノの頭に優しく手のひらを載せた。

「そう。見ての通り、完治したわ。そこまで気にしなくて大丈夫よ」

 頭を撫でられ、レティと仲直りが出来たと感じたチルノは、いつものおてんば娘に戻っていた。

「うん! よかった。あたい、レティとなかなおり出来たわ!」

「ただし」

 レティは喜ぶチルノに釘をさす。

「あなたが勘違いして攻撃した子にも、ちゃんと謝るのよ」

「うん!」

 満面の笑みで、チルノは答えた。




――***――





 そうして、何もかも日常に戻っていくのだ。

 レティは想う。

 自分が冬にしかいられないことを呪ったのはもう遠い昔。

 冬でいる事が幸せな、冬の妖怪。それが、私。



「そろそろ私も春眠したくなってきたわ」


 この長い冬ももうすぐ終わる。漠然とそうレティは感じる。
 おそらく自分と弾幕ごっこを行ったあの妙な人間が、この異変を解決してくれるのだろう。



 今年の長い冬の終わりを想い、春の訪れを、レティは感じる。




 少し、春の陽気に当たって、今年はいなくなろう。
 その春の陽気は、きっとあの子のように暖かなものだろうから。

 それがきっと、あの日々への供養になる。

 レティは目を瞑り、穏やかな風を肌で感じていた。




 次に目を開いたとき、レティの世界は変わっていた。

 木々に緑が覆い、地面の雪は大体が溶け始めている。

 それは、冬の終わりと、春の始まりとの間の、曖昧な世界。




「不思議ね」

 驚きは隠せなかったが、レティは素直に感想を口にする。
 そもそも長すぎた冬が、唐突に終わってもおかしくは無いかな、とレティは考える。

 強い風がレティを襲う。


 人間から春一番と呼ばれる強風に、レティは帽子を抑え、目を細める。




「春ですよー」



 懐かしい、それでも今まで聞いたことの無い明るい調子のあの子の声を、レティは聞いた。

 レティの瞳には、出会った時のように、きれいな服に、出会った時とは見違えるように元気な春の妖精が映った。




「リリー、どうしてここに?」

「決まってます」

 リリーホワイトはいつかの冬の妖精の口ぶりをまねて、無邪気に答える。

「レティに春を見せるために、そして伝えに来たんですよー」



 それは、春の暖かさの象徴のような、春の妖精。

 舞う新芽の匂いや生命の息吹を、幻想郷に伝える、白い服の女の子は、その子自身が暖かな色彩を春の息吹と共に放っていた。



 その姿を、レティは綺麗だと感じる。
 そして、本来のリリーの姿を見れたことが、とてもうれしかった。


――ああ、この子は本当に春そのもののようだ――



 春の陽気は、少しずつレティの体から冬の寒さを奪っていく。
 もうリリーとの別れの時は近い。

 でも、その前に、一つだけ――


「ねぇ、リリー、お願いがあるの」

「何?レティの頼みなら何でもしますよー」

 両手を広げて、うれしそうに答えるリリーホワイト。
 レティは、言ったら驚くだろうな、となぜか悪戯っぽい気持ちが芽生えていた。


「私のこと、抱きしめて」

「……え?」

 案の定、春の妖精は予想外の発言に一瞬、体が固まる。

「あら、やっぱりダメかしら」

 おどけた様子のレティは、心配そうな表情を演技っぽく作る。

「そ、そんなことないです。でも、どうして」

「あら、顔が赤いわよ」

「え、え、ええ!? そ、そんなことないですよー」

 体全体であたふたと慌てるリリーの姿が、レティには愛おしく思える。

「ふふ。」

「……うう」

 悪戯っぽくほほ笑むレティと、恥ずかしそうにうつむくリリーホワイト。

「ごめんね、ついからかいたくなっちゃって。
でも冗談じゃないのよ」

「何で、ですか?」

「私もね、春の暖かさを感じてみたくなっただけよ」



 そう、レティは素直に、自分の気持ちを伝えた。

 今年は、リリーの温かさに包まれて消えてしまいたい。



 リリーはしばらくどうしようか逡巡していたが、レティの願いを叶えてあげたいと、心を決めた。

「わかりました。でも、それでレティは平気なの?」

 きっと無事には済まされないことは、リリーも解っていた。

 でも――

「ええ、私は春になれば何処かへ消える雪と同じようなものだから、心配しなくても大丈夫」

――身体が傷ついても、得たいものが、あると春の妖精は理解した。



「うん。それじゃあ……いきます」

 緊張した面持ちで、リリーはレティをそっと抱き締める。

「ありがとう、リリー」

「これで、お別れなんですね」

 リリーは確認するように、寂しさを混ぜて呟く。

「違うわ」

「え?」

「冬と春の間だったら、短いけど毎年会えるわ」



 それは、きっととても短い、冬と春との境界。
 でも、春の妖精と冬の妖怪は、そこで再び会うことが出来る。

 それは、あるかどうかわからないくらい、短いスキマ。

 それでも、また会える。
その一点がリリーにはたまらなくうれしい。



「そう、ですよね。きっと来年も会えますよね!」

「ええ、また来年、会いましょう」

「はい! 来年も、再来年も、これからもずっと――!」

 確認するように、嬉しさを込めてリリーは笑って答えた。




 リリーに抱きとめられたレティの存在が少しずつ薄くなっていく。
 春を告げる妖精が見たレティの顔は、とても優しい、冬の妖怪の笑顔だった。

 そうして、冬の妖怪は、最後に春の温かさを感じて、どこかへ消えて行った。




――****――





 季節は過ぎて、春の穏やかな暖かさはやがて夏の暑さに変わる。

 夏の暑さも時期が過ぎれば徐々に涼しくなり、紅葉舞う秋となる。

 その豊穣の季節も終わり、春に備えて、澄んだ空気の冬が訪れる。




 そして、冬が過ぎれば――




「おかえり、レティ・ホワイトロック」

「いってらっしゃい、リリーホワイト」




――幻想郷に、春が訪れる――









〜 完 〜





2009/1/28 修正版掲載しました。





◆著者コメント◆

 はい、あとがきです。初めての東方SSは東方妖々夢よりレティ×リリーなお話です。一応妖々夢本体のお話の事前に出会って、終わりごろに別れるように、妖々夢のサイドストーリー仕立てになっているのがミソ。いや、何がミソかはよく解りませんが。
 さて、とりあえず今回書いてみたきっかけは、『知人がやっていたから』の一言に尽きます。だって、とても楽しそうだったんですもの。ただ、簡単に仕上げようと思ったらずるずる引きずって、結果的に読みずらい文章が無駄に長い、という印象はぬぐえません。テンポアップは今後の課題にしようかと。

 お話のテーマはもどかしい優しさを持って、相手を思いやるというものです。
チルノの扱いがひどい気がしますが、これは完全に作者の技量不足です。ごめんよチルノ。
 ただ、今回の登場人物には、あまり細かい公式設定がないようなので、好きに書くことができました。「こんなの大ちゃんじゃねぇ!」等のツッコミは厳粛に受け止めたいとは思います。
作者のイメージはこんなんだよ、という感じで読んでくれればうれしいです。
 最後に、この東方SSは多分に2次解釈が含まれています。公式設定と違う部分も多々あるかもしれません。これを東方の一つの楽しみ方というスタンスで書いたもの、ということをご了承ください。
 今後も書きたい情景が幻想郷から見えてくれば、言葉にして編んでいこうと思っています。

 最後に、作業中に聞いていた『作業中BGM』の紹介をば。

 ただ春を待つ:スピッツ
 喪失の雪夜:セブンスヘブンMAXION
 シャングリラ:チャットモンチー
 紙吹雪:レミオロメン
 氷結娘:いえろ〜ぜぶら
 人間が大好きな壊れた妖怪の唄:びーとまりお

 普段は一曲をリピートして聞いて書いてます。


 お話は、夢茶がお送りしました。



◆管理人コメント◆

 春の妖精と冬の妖怪。
 本来であれば擦れ違う事こそあれど、交わる事は決して無い二人の友情が素晴らしかったです。
 レティは皆のお姉さんみたいな感じで包容力を感じました
 流石はふとま(リンガリングコールド!

 今回、私にわざわざSSを提供していただいた友人の夢茶氏には永久不滅の感謝を!






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