【香霖堂の妙な日々-Small solar-】










 平和なある日。
 そう言うと語弊があるかもしれない。
 幻想郷は大体いつでも平和である。
 間欠泉センターと呼ばれる場所がある。
 この場所には幻想郷でも目新しい、新しいエネルギーの管理、運用が行われていた。
 それは、太陽の力と呼ばれる事もあった。
 大いなる危険を内包しながらも、外の世界ではもはや無くてはならない存在。
 原子力。
 プルトニウムを原料とし、原子の分裂を熱に、膨大なエネルギーを生み出す仕組みは核分裂と呼ばれる。
 外の世界では核分裂を運用する原子炉は、発生する放射能への対策などを含めて、巨大な設備で運営される。
 それは、先人の、いや今も研究を続ける科学者達の努力の結晶である。

 しかし。
 その研究に一生をささげたような科学者が幻想郷を訪れば、その景色を見てどう思う事だろう。
 神の存在を信じるか、まやかしと否定するか。
 幻想郷の核の力を運営するのは、少女。
 実現には数百年かかるかもしれない、理想のエネルギー、核融合をその身ひとつで行う。
 かつてはただの鳥だった。
 今は八咫烏の力を飲み込んだ、神の力を持つ。
 彼女は、霊烏路空と呼ばれていた。


 彼女は目覚める。
 その身は普段と自分とは違っていて。
 あるいは、彼女が彼女自身をどう把握するかは解らない。
 彼女は、少し勝手が違うな、と思う。
 顔なじみの顔が大きく見え、それに連れられて、何処かへと行く。
 深く考えず、彼女は自分の足で歩いてみたいと感じ、実行した。




――――――――――――/一日目/―――――――――――――――――




 店内は相変わらず寒い。
 燃料の切れかけたストーブを見て、僕は半分本気で厭世感から出る溜息を吐いた。
 吐いた息が白いのが、何となく恨めしい気分にさせてくれる。
 当たり前の事だが、冬は寒い。
 そして、僕、森近霖之助は、寒さをあまり好まない性格だった。

 特に僕の住む香霖堂に関しては、防寒対策が十分とは言い難い。
 おかげで、昨日降り積もった雪の冷気は、遠慮なく建物の隙間へ遠慮なく侵入してくる。
 どうも、寒いのは苦手だ。
 思考が鈍るというか、何かに集中する時に寒さで削がれる感覚が、僕にはどうしてもいい気分がしない。
 吹雪いている時ほど強烈な寒波は襲ってこない今は、読書に気を回す程度に余裕があるのがまだありがたい。


 そう思考を切り替えて、僕は雑誌のページをめくった。

 『廃棄燃料の行方。プルトニウムは何処へ行くのか?』

 そう書かれた雑誌記事は、どうやら外の世界で使われている原子炉についての論文のようだった。
 ウランという原料を使用したあとに残るものが、再利用できず、放射能物質のそれをどう処理するか、
 が論文のテーマになっているらしい。
 記事を詳しく読み込んでみると、なかなか興味深いと僕は感じる。
 もちろん、この雑誌は外の世界から流れてきた品物だから、そこに書かれた内容全てを理解する事は出来ない。
 それでも、僕の持つ知識から補う事で、おおよその意味を感じ取る事は可能だ。
 その能力を生かして、今の商売を続けているようなものだ。
 放射能は、単位の幅はともかく、人間に有害な瘴気のようなものだと解釈できるし、
 廃棄燃料は固まったコークを連想すれば理解もしやすい。
 そうして、一ページ一ページ、僕なりの解釈を加えてそれを読んでいく。
 知識欲が満たされていくこの感じは、いつでも僕をわくわくさせてくれる。
 だから、僕はこんな寒い部屋でもひっそり一人で居られるだろう。
 もともと人付き合いが面倒だとは思っているが。


 一通り読み終わって、僕はふと今まで読んでいた内容からか、彼女の事を考えてみた。

 今までは地下の灼熱地獄に棲み、現在は地上の者との交流を少しずつ始めたという、太陽の神の力を持つ妖怪少女。

 霊烏路空。

 元々鳥だったせいか、あまり深い事を考えずに、自分の中にある力を制御しているようだが……
 そもそも彼女に対面した事は無い為、僕の知る内容は、
 新聞で見た容姿と、知り合いに聞いた上辺だけの情報だけなのだが。
 僕の仕入れた情報だと、外の世界では核と呼ばれる原子の力を利用するには大きな手間がかかるようだ。
 特に、核のエネルギーというのは膨大で、外の世界でも使い方を誤って失敗した例もいくつかあるらしい。
 ニガヨモギ、ヒロシマという言葉が有名らしいが、どれも被害を受けた人の命にかかわるほど深刻な傷を与えた。
 とは言ってみても、詳しい事は僕もよく知らない為、断言はできないが、
 大きな力を扱うには制御も難しくなる事は想像に難くない。
 そんな強大なエネルギーを、あの体一つで扱っているらしいのだから、僕としては感心せざるを得ない。
 願わくば、その力が間違った方向に扱われない事を祈るだけだ。

 そんな事で、たまには僕も間欠泉センターの方に足を運んで、冷えた体を温めようかとも考えていた。
 現在、彼女はほとんどが間欠泉センターにいて、そこの管理を任されているらしい。
 核の力は熱のエネルギーだから、そこを管理する場所は寒いという訳では決して無いだろう。
 そう思いついて、僕はすぐに諦める。
 そこにたどり着く前にすでにさんざん寒い想いをする訳で、
 帰って来るころには体は出かけたときよりも冷え切っている事だろう。
 実際に彼女に会った事は無いが、出来れば熱のおこぼれでももらえればいいのだけど、と僕は考えていた。
 結局思考は気をそらせるだけで、寒い事には変わりない。
 解ってはいたが。
 僕の吐いた息は、白く視界に映っていた。




――一方その頃。

「あー! もう! 一体何処に行ったんだい」

 灰色の空に停滞する、一人の少女が、苛立ちを隠さないで呟く。
 焦りによる為か自分の頭を掻いて、冷静になろうと試みるが、効果は薄い。
 周囲の色調にはおおよそ合わない真紅の、ニ方向で三つ編みにした髪が、ふわりと揺れる。
 いつもは押している愛用の手押し車を置いていかざるを得ないほど、現在彼女の状況は逼迫していた。

「なんにせよ、早く見つけないと。手遅れになったらあたいの責任だしなー……」

――それだけは絶対に阻止しないといけない。
 ご主人様に叱られるのは怖いから。
 そう決意して、少女、火焔猫燐は捜索を再開した。
 頭に生えた猫の形状をした耳が、僅かに動く。

「無事で居てくれよぉ。おくう」

 懇願するような呟きは、誰に届く事は無く、冬の空へと吸い込まれていった。




――――――――――――***――――――――――――――――――




「うん? 冷えてきたな――」

 急に冷気を感じ、僕は雑誌へ向けていた視線を上げた。
 ふと、愛用のストーブへと目を向ける。
 稼働の際には熱を発する部分が赤く光るはずだから、今僕の目に映る情報では動いていない、という事だ。
 故障だと困るので、面倒だが僕は立ち上がって点検に向かう。
 距離はそう離れていないのだけど、寒いと動くのが非常に億劫に感じる。
 愚痴を言ったところで仕方ないので、僕はストーブの前でかがんだ。

――予想通り、ただの燃料切れである事が判明した。
……解ったのは良いのだけど、少し困った事になった。
 最近、燃料を仕入れた覚えが無い。
 という事は、替えの燃料が無いという事だ。
 このままだと、いつもより気温の低い部屋で過ごさなくてはならなくなる。
 別に命に関わる問題ではないが、快適な生活を過ごせないのは困る。
 何か代替物でも作ろうか、と考えていたところ、僕はもう一つの変化に気づいた。


 店の玄関口の戸が、中途半端に開いている。

 それを見て、僕は僅かに首を傾げた。
 家屋の中で一番開く機会が多いのが玄関扉である事は解るが、
 今日みたいな寒波が厳しい日は特に戸締りに僕は気を使っている。
 窓の一つでも閉め忘れたら、それだけ寒い思いをする訳だから当然の事だが、何も神経質になるほどの事でもない。
 訝しりながら僕は玄関の戸を閉めに行く事にした。
 妖精の悪戯とでも思え住む事ではあるので、戸を閉めたら暖房器具の対策でも行おう、とその時の僕は考えていた。

 妙なものを目撃するまでは。

 まず、戸を開けた者がいたという事。
 これは少しの驚きと共にすぐ対応する事が出来た。
 次に、それが未だに戸を開こうと押している。
 それは店に身体が半分入っているから、もう開ける必要は無いのだが、と思考する。
 そして何より、それをしている張本人が、面識があるが、僕の記憶の中の姿と相違がありすぎるという事。

 僕にとって予想外だったのはその一点。

 戸を開けているのは、霊烏路空……だと思う。

 その姿は、身体的特徴の一致があるにはあるのだが、決定的に違う要素を見つけた為、断言は出来ない。
 黒髪にリボン、白のシャツに緑のスカート。
 マント状に広がった羽など、部分的な要素はそれを「霊烏路空」だと僕に認識させる。
 それでも僕がそれを霊烏路空だと断定できないのには、そのサイズにある。
 その身長は、大まかに見ても僕の膝に届かないほどだった。
 三、いや二頭身のその体は、頭が大きく、他の部分は適度に小さい。
 赤子の身体バランスだと言えば解りやすいかもしれないが、
 僕の目に映るそれは赤子よりもバランスは取れていないように思う。
 手足のデフォルメ具合は、人形と言った方が見る側としては納得がいくほどだ。
 そんな、人形のようなアンバランスなプロポーションの相手が、何故か僕の店先にいて、その戸を開こうとしている。
 小さな体は非力な為か、一生懸命押しているのだが、引き戸はそれに素直に答えようとはしていない。
 僕が近づいても振り返る様子が無い。
 夢中になっているのだろうか。

 湧きだす疑問にきりは無いが、これ以上寒気を店内に招くのはいい事では無い。
 という訳で僕は、戸を開けようと頑張るそれをつまみあげた。
 鷲掴みにするのは何となく躊躇われたので、僕は服の首の辺りをつまんで持ち上げる。
 持ち上げられたそれは、手足をだらんと下げ、少ししてからパタパタと辺りをかき回すようにせわしなく動いた。
 しばらく様子を見、おとなしくなったそれと、僕は顔を合わせた。

「……うちに何か用かい?」

 片手で戸を閉めながら、僕は尋ねる。
 外の音が遮断された店内で、それは不思議そうに僕を見つめていた。

「うにゅ?」

「質問を質問で返さないでくれないか」

「うにゅ。うにゅにゅ」

 何を解ったのか、それはこくこくと首を上下に振る。

……これは面倒な事に巻き込まれたのではないだろうか?
 と感じ、僕は腰を据えようかと頭の片隅で思考する。

「それで、うちの店に何か用かな」

「にゅ、うにゅー」

 それは首を左右に振った。
 つまりは客では無いという事らしい。

「質問続きで悪いが、君は霊烏路空か?」

「うにゅ」

 肯定の意だろう、首を縦に振っている。

「僕の知る霊烏路空は、もっと体が大きいはずだが」

 それは、記憶の中にある霊烏路空の姿を映した新聞を持ってきて見比べるまでも無かった。
 どう見ても、小さい。
 いくら新聞の写真の出来が酷くても、ここまで実物と印象が違うようには撮れないだろう。

「うにゅ! うにゅ!」

 空似の小さなそれは、手足をバタバタ動かして、激しく抵抗する。
 ストロークが短い為僕の身体への物理的接触は無かったが、僕の発言に怒っている事は解った。

「にゅー!」

 視線だけなら敵意満々に感じる事も出来るが、人形のような風貌に迫力を求めるのは野暮だろう。

「解った。失礼な事を聞いて悪かったよ」

「にゅ?……にゅ」

 許してくれる、という事なのだろう。
それは首を縦に振った。
 僕が今つまみ上げているのは、霊烏路空だ……とりあえず僕はそう思う事にした。
 さっきから鳴き声のようなものしか発していない彼女だが、一応意思の疎通が出来るらしい。
 僕の問いに答えているのが何よりの証拠だろう。今のところ、食い違いは見られない。

「にゅーにゅーうにゅー」

 地面を指さして、空は僕に何か語りかける。

「下ろしてくれ、という事かい?」

 こくこくと首を振ったのを確認して、僕はしゃがんで床に足がつくように取り計らった。

「うにゅぅ」

 せわしない様子で空は走り出した。
 小さな体は、走り出してもそこまで速度は出ないものらしい。

 飛ぶ事は出来ないのだろうか、と僕が疑問を口にしようとした所で、
 彼女は小さな身体をつまずかせ、吹っ飛ぶように転がった。

 突っ伏すように、空はその場を動かない。
 あまりにも突然だったので、僕は反応が少し遅れた。

「大丈夫かい?」

 手を差し伸べた先で、僕は思わず手が止まった。

「にゅ……? うにゅ……にゅぅぅ――ふぇぇぇ」

 うるんだような声で、空は呻いた。
 その後、声は悲しさに満ち満ちて、まるで世界の終わりのような絶望の感情。

「ぇ……ふぇぇええぇぇ!!」

 赤子のそれと同じように、空は大声を出して泣き始めた。

 もしかしたら、彼女は何が起きて、どうして悲しいのか、解らないままにままに泣いているのではないのか。
 と、僕が勘繰るように、彼女は『ただ』泣いていた。

「ぇぇぇぇん!! にゅー!!」

 僕の方こそどう対応していいか迷っていたが、起きてしまった事よりもこれからのすべき事を、と口に出していた。

「まずは、転んだ部分の治療だ。
 擦過傷なら、異物が入って感染症を招く危険があるから、まずは消毒を。
 打ち身なら患部を冷やして内出血を抑え――」

「ふぇぇぇぇ!」

「と、とにかく、手当てだ」

 現在説明口調で話す必要は全く無い、どうやら僕は大分平静を失っているようだ。
 転んだままの空を持ち上げ、傷口と思わしき場所を診なければならない。
 ぶら下げるように持つのは相手に悪いと感じ、僕は抱っこするように空を持ち上げる。
 そんな状況で、いきなり後方で大声が聞こえてきた。
 何も考えずに、僕は振り返った。

「おくうの匂い、見ぃいっけぇぇ!!」

 勢いが良すぎるんじゃないかという引き戸を開ける音と、壁にぶつかる音に負けない声量で、突然の来訪を僕に告げた。

 僕が疑問を口にする前に、彼女は僕に向かって駆け、僕の手にあったはずの空を奪い取る。

 店内に侵入してきたのは、火焔猫燐、だろう。
 こちらは記憶にある姿と相違は無かった為、すぐに判断出来た。

 彼女は地下で怨霊の管理を担う、火車という妖怪である。
 容姿は元々の姿であるらしい猫又の特徴を一部引き継いだような格好で、
 少女の外見に、頭部に猫の耳、また二股に分かれた尻尾も見える。
 彼女は僕とは一応面識がある程度で、あまり客としてここに訪れる相手でも無い。
 それが今、僕にとって当面の疑問と問題である空を抱き寄せ、頬ずりせんばかりに大事そうにしている。

「いやー心配したよまったくー。今のあんたは危なっかしいんだからあたいから離れちゃ――んにゃ?」

 おそらく空の表情で解ったのだろう。
 今確認は出来ないが、先程まで空の顔は涙と鼻水で覆われていた。

「あれ、おくう? もしかして――」

 そして、僕に視線を向けて彼女は恫喝した。
 その視線は状況を把握しきれていない僕にも解るぐらい、敵意がむき出しで。

「お兄さん、何の真似だいこれはっ! 答えようによっちゃ即刻お兄さんはあたいの猫車行きだよ」

「い、いや、まずはお互いに情報を共有した方がいいと思うが。
 君は誤解しているみたいだけどそもそも何を誤解しているのかが僕にはさっぱり」

「ふぇぇ……………うにゅぅ……?」

「何をって、か弱いおくうを泣かせて、弁解の一言も無いのかい!」

「……悪いけど、僕には予想出来ない事だった。すまない」

「すまないって、先に言い訳?……そんなんであたいが許すとでも思ってるのかいっ!?」

 感情の臨界を超えんばかりに、燐の様子は攻撃に向けて、身構えているように僕には見えた。

――落ちつけ、こういった状況は一度や二度じゃない。
 似たような出来事を回想して――心当たりが多すぎる為、途中で回想は諦める。
 それよりも大事なのは、すれ違いをお互い認める事だ。

 努めて僕は冷静に、言葉を選ぶ。
 握った手は少し汗ばんでいたが、今はそれに意識を割く余裕は無い。

「彼女が転んだのを止められなかったのは僕のせいだ。
 だけどその先急に彼女が泣きだしては、どうする事も出来ないだろう?」

「責任を――!って、へ?」

 憑きものが落ちたかのように、烈火の如く怒りの感情を高ぶらせていた燐は、
 呆気に取られたようにきょとんとした表情を覗かせた。
 彼女に話を聞く態度は残っていた事が、現在の僕にとってこの上なくありがたい。

「……………」

「……あ、えーっと……」

「……にゅー?」

 しばらく、僕と燐は次の言葉を探し、そんな僕らを見上げて空が不思議そうな声で鳴いていた。
 とりあえずは泣きやんでいたのは、僕と燐の様子が興味を持つようなものだったからだろうか。
 ただ単純に泣き疲れただけかもしれない。
 先に口を開いたのは、僕の方だった。

「……とにかく、まずはやる事があると思う。それが済んでから、お互いの事情を話すとしないか」

「え? ああ、そうだね。で、やる事って?」

 気がついたように相づちを打って、燐は僕に尋ねる。

「まず、彼女の身体に、外傷があるか確認してほしい」

「傷?――うんにゃ、無いけど?」

 良く観察した様子の後、燐は答えた。
 ようやく会話が成り立ち、僕は心中で溜息をつく。

「よし、では……だいぶ汚れているようだから、服を洗い、僕は毛布を用意する。
 君は洗い場で湯を用意して空を洗ってくれないか?」

 ただ僕の店で転んだだけが原因ではないだろう。
 先程彼女を持ち上げた時に気づいたのだが、空の全身は泥が付き、雪が解けた湿り気もあり、
 さらには涙やその他諸々のおかげで彼女は大分ひどい様相を呈していた。
 抱き上げた空の姿を確認して、燐は心地良く肯いた。

「ふんふん。解った。じゃ、奥の部屋借りるよ」

「うにゅ、にゅ?」

 なにをするの?
 と尋ねているような、彼女の鳴き声は僕にそう聞こえた。




――――――――――――***――――――――――――――――――




 手ごろな毛布を裁断する僕に、奥の座敷から燐の声が届いた。

「湯を入れる桶って無いのー?」

「下の開き戸の中にあるはずだ。無かったら炊事場だと思う」

「あ、これか。お湯はあるのー?」

「水ならすぐに用意できるが、悪いが適当にあるものを使って温めてくれ」

 んー?
 と半疑問形で答えた燐の様子は、特に困っているようには感じられなかったので、僕は自分の作業に意識を戻した。


 体の小さい彼女に合うような大きさの毛布を作り終わった頃、燐は奥から出てきて僕の前に布の固まりを差し出す。
 見覚えのあるそれは、空の服だった。
 洗ってくれ、と暗に言っているのだろう。

「まったく、カラスの行水とは良く言ったもんだよ。おくうはお風呂入れられるの嫌いだからなぁ」

 苦笑しながらも、燐の口調は楽しそうに声が弾む。
 燐から空の服を受け取り、僕は先程まで自分の手に在ったそれを渡す。

「湯ざめは良くないだろうから、これを使ってくれ」

「うん。こういうのをすぐに用意できるだなんて、お兄さんは気がきくねぇ」

 燐は悪戯を思いついた猫のように目を細めて、僕から毛布を受け取った。

 僕のやった事など大したものでもない。
 布を切り出して切り口を縫い合わせただけ。
 言ってみれば雑巾を作る手間を同じくらい造作も無い事だ。
 それよりも、空を湯に入れて体を洗う方が僕にとっては負担が大きいものになっただろう。
 彼女がいなければ僕がやる羽目になった訳だから、ありがたいと思う。




――――――――――――***――――――――――――――――――




 机を挟んで向かいあうようにして、僕と燐は椅子に座っている。
 空は先程僕が用意した毛布に体をくるませ、湯気と共に頭だけを外に出し、机の上でくつろいでいた。
 服は先程の残り湯で洗濯し、外に干している為、乾くまでの辛抱という訳だ。

「はー疲れたー。ようやくあたいも一息つけるよ」

 先程から机に突っ伏して、顔だけ僕に見えるように頭を上げる燐が、上目遣いで僕を見る。
 僕が用意した湯のみには、湯気を立て、その中身はまだ彼女の口に含まれてはいない。
 店内は結構寒いはずだが、猫舌には酷だろう、と思い、僕は何も言わなかった。
 実際彼女が猫舌なのかどうかは僕は知らない。

「ちょっと目を離した隙におくうがどっかいっちゃってさ、あの時は焦ったよ」

「そうか。今までこの寒い中探していたんだろう? 御苦労さま」

「んにゃ、寒かったのは別に苦じゃなかったんだけどね。
 むしろおくうに何かあったらどうしようって思ってそれどころじゃなかった」

「うにゅ」

 同意を求めるように、空は肯いて僕を見つめ続ける。

……いや、僕にどうしろと?

「それより、僕はさっきから解らない事ばかりなんだけど、質問していいかい」

「にゅ」

「にゃ。いいよ」

 空と燐の言葉は綺麗に声が揃った。
 だからどうという事でも無いが。

「どうして霊烏路空はこのような恰好をしているんだい?」

「裸にタオル一丁のこれ? お兄さんはそういうのが趣味なの?」

「少なくともそんな趣味を持った覚えは無いのだが」

「真面目に答えなさんなってー。冗談冗談」

 楽しそうに、燐は目が細まり、笑みを見せる。

「理解はしているつもりだよ」

「うにゅー?」

「お兄さんは真面目だねぇ。そ―ゆう所、あたいは嫌いじゃないけどさ」

 そう言って、燐は頭を机から離し、背筋を伸ばした。
 あらたまった話になる事を充分僕に理解させて、燐は口を開いた。

「おくうは今ね、身体を診てもらってるんだよ」

「それは言葉のままの意味と取っていいのかい?」

「うん。本当のおくうの身体は、今お兄さんが見ているちっこいおくうじゃない。それは借り物の身体さ」

 机の上をせわしなく歩く空の身体を掴み、燐は自分の胸元で抱き寄せた。
 持たれた当の本人は満足そうに眼を瞑っている。
 それは多分、空にとって居心地がいいという事だろう。

「お兄さんは知ってるかな?
 おくうは元々は核の力を持っていなくて、神様を飲み込んでその力を手に入れたって」

「知り合いから聞いた事はあるよ。確か八咫烏だったか。太陽の力を持つ神様だったね」

「そうだね。元はただの鴉の妖怪な訳だから、大幅なパワーアップを果たしたって訳さ」

「それが、今の彼女と関係あるのかい?」

「それが大ありなんだよねー。というか間欠泉が沸いたのはおくうの増長が元々の原因だった訳だし」

 ふう、と長い溜息を燐は吐いた。

「おくうは鳥頭なだけあって、あんま覚えちゃいないんだろうけど、
 近場で見ていたあたいにとっちゃ、あれは暴走していたとしか思えないんだよ」

「核は膨大なエネルギーを生む訳だから、それが誤った方向に向けられては一大事だね」

「あれ、お兄さんそういった話に興味あるの?」

「そんな事は無い、と言ったら嘘になるかな」

「ふぅん、そっか……」

 燐が考え込む素振りを見せ、会話は唐突に切れた。
 燐はちらと僕を見て、すぐに僕に向けられた視線はその手に抱く空に向けられる。

「あー、まだ僕は状況が理解できていないんだが」

 無粋だとは思うが、ここまで中途半端な話で別れても僕としては正直困る。

「まーそうだろうね。あたいはまだ核心を話した覚えは無いもん」

「それだったら、続きを話してくれないか?」

「――これ以上聞くと、お兄さんは戻れなくなるよ?……うーん」

 意味を含んだような視線で僕に視線を絡める燐は、探りを入れているように僕は感じた。

「にゅ?」

「秘密にしたいのなら、最初から僕に話す事は無かっただろうに」

 あえて投げやりな感じで吐いた僕の言葉に、燐は笑って反応する。

「あはは、やっぱり見破られちゃったか。そうだね、あたいはお兄さんの手を借りたいと思ってる」

「うにゅー……」

 会話に参加しないのは内容を理解できないのか、それともする気が無いのか、
 空の相づち(?)は段々力無くなっているように聞こえる。

「だったら、君が情報提供する代わりに、僕は無理ではない程度の頼みなら聞く……これでどうだい?」

 解り易い虚言を僕は吐いて、僕は燐を見る。

 僕に遠慮するという事は、はっきり言って必要が無い事を相手に悟らせるのも、
 互いに無理しない良い関係を築くには重要な事だ。
 燐が気後れする点は、おそらく僕を巻き込んでいいのかと、考えあぐねているのだろう。
 いきなり巻き込むには、事情はそれなりに大きな責任が伴うものかもしれないし、
 僕が危害を加えられるような状況も考えうる。
 彼女は、そんな事をなし崩し的に僕に協力を要請したくないと思ったのかもしれない。
 全ては僕の推論で、本当かどうかは解らないが。

 燐は驚いたように目を見開き、瞳孔の狭い猫の目が僕の目に映る。

「それでいいのかい?」

「ああ。ただし、僕が出来る範囲だ、という点は念を押して言っておくよ。
 それに、君が話したくない部分があるなら言う必要もない」

「あ、ああうん。まさかそんなにあっさり引き受けてくれるとは思わなかったよ」

 営利関係を照らし合わせたら、僕の方に得になる事が多い、とは口にしない。

「事情が事情だからね。このままだと気になるし、
 たまたまさっきまで読んでいたものと関連が無いとも言えないから、つまりそういう事だ」

「はぁ。ま、お兄さんは何処までもマイペースなのは相変わらずだねぇ」

「そう生き急ぐ歳でも無いからね」

「ま、信頼関係とか、そういうのは置いとく。とりあえず、話の続きをしよっか」

 信頼関係、というよりは、共謀関係と言った方が今の僕にはしっくりくる。
 恩を売る、では無いが、借りを作っておけば、僕には意味がある。
 これを機に地下の妖怪とも親交が深めれば良い。
 ここには地下に無い物を取り扱っているだろうし、地上に無い珍しい物が手に入るかもしれない。
 その為に必要な事なら、可能な限り彼女の頼みを叶えても損は無いだろう。

 理由はともかく、ギブアンドテイクという奴だ。

「ああ」

 燐が口をつけた湯のみと同じように、僕の用意した茶は生ぬるくなっていた。

「う……にゅぅ…………にゅ……」

 脇に置かれた空は、気持ち良さそうに寝息を立てていた。

「あー、疲れちゃったか。にゃ、まったく気楽なもんだ、おくうは」

「一応聞くけど、今回の事件は霊烏路空、彼女が中心に起こっているんだよね?」

「その通り、だよ。おくうの力は強大で、初めは制御も危うかったんだよ。ざっくり言うとね。
 で、おくう本人はそれに気づいていないようだった」

「僕はてっきりその力を掌握しているものだと思っていたよ」

「なんたってただの地獄鴉がいきなり神様の力を手に入れたんだ。
 最初は戸惑うのもしょうがないって皆はそう思ってた。あたいもね」

 力の暴走が原因で間欠泉が沸き、さらに地上に出て幻想卿を焼け野原にしようとしていた、
 というのは人づてから僕の耳に入っていたのだが、それは制御不能が招いた事態だと思うと恐ろしい。
 僕は思考を行いながら、話し手に対し相づちを打つ。

「調子に乗ったおくうをこてんぱんにしてくれたおかげで、おくうの核の制御も少しはうまくなってるよ。
 まぁやたらめったら強大な力を使わなくなっただけだけど」

「それが、今の彼女の状態と、どんな関係があるんだ?」

「つまり、おくうの核の力はおくう自身にかかってるって訳。
 でも、元々一つの地獄鴉に突然神様の力を与えられたから、身体への負担が大きいみたいでねぇ」

 ちら、と燐は空を見る。
 すやすやと寝息を立てる空は、僕から見ても気持ち良さそうに寝ていた。

「おくうは大丈夫だって言ってたけど、何しろ核だからね。
 何かの歪みで取り返しのつかない事になったらそれこそ収集がつかなくなるから、
 一回身体にお休みを与える事にしたんだよ」

「だったら、今本当の霊烏路空の身体は何処にいるんだ?」

「間欠泉センターはいったん運転を休止、河童たちが点検していて、
 おくうの身体は力を与えた神様が神社に運んで行ったのは見た」

 間欠泉センターの設立者は山に神社を置く神様、八坂神奈子と守矢諏訪子であるはずだから、
 燐の言う神様とはこれのどちらかまたは両方だろう。

「どうやら神様の力とおくうの身体が合うように、力のすり合わせをしているみたいだね。
 あたいとしちゃ、いきなり手に余るもんを与えたんだから、アフターケアは当然だと思うがね」

 そういう燐は、少し憤慨しているように、頬をふくらませて腕組みをする。

「そういえば、僕は君たちの関係を聞いていなかったけど」

「んにゃ、あたいとおくうは同じさとり様のペットってだけだよ。
 あとは地下の管理の一端を担ってるけど、部署が違うって感じかな」

 さとり様というのは、地霊殿の主、古明地さとりの事だろう。

「まー付き合いも長いし、腐れ縁ってやつだねぇ、きっと。だから、ちょっと心配ではあるんだよね」

 照れ隠しのように、燐は笑う。

「話を戻すと、おくうの調子を診る間は、おくうの意識が目覚めていない方が都合がいいみたいで、
 おくうも『ずっと眠らされたままなんてつまんない』て言うもんだから、代わりの身体が用意された訳さ」

「それが今僕が見ているこの身体の事か?」

「うん。同じ体格だと魂が定着する恐れがあるから、違和感を感じさせる程度にバランスを変えたらしいよ。
 作ったのは河童だとか、有名な人形師だとか。色々な奴が協力して作ったみたい」

「そうか……これが作り物だとは、正直思わなかったな。
 僕としてはどういう構造で動いているか気にはなるけど」

「分解とか駄目だよー」

 鷹揚な口調だが、燐は目つきを鋭く、険しいものへ変えて僕を見つめる。

「しないしない。興味だけで誰かを不幸にさせる程、僕が思慮に欠けているとでも思うかい?」

「いんや、念を押しただけ。それに、今この身体にはおくうの魂が入っているのさ。
 だからなおさら危険が及ぶ状況は避けたいの」

「魂が?」

「そう。だから本体の方は抜け殻みたいなもんと言ってもおかしくはないね。
 そこらへんも色々苦労したらしいよー?」

 魂を別の器に移しかえるとは、一体誰がそんな高度な処置を施したのだろうか?

「……なんというか、この身体には幻想郷の技術の粋が集まっている気がしてきたよ」

「ものがものだからね。核の暴走は恐ろしいらしいからねぇ」

 その言葉は、実感がこもっていないように聞こえた。

「さて、こっからが問題なんだ。御覧の通り、いまのおくうはすごく危なっかしい。
 行動も予想できないし、何より力が弱い。でもね、中身は間違いなくおくうなんだよね。
 それが、本来の体とも密接につながっているらしくて」

「こちらの彼女になにかあれば、本体の方に影響が出ると?」

 話が早いね、と燐は嬉しそうに瞳を僕に向ける。

「大当たり、だよ。下手するとここら一帯が焼け野原になるかもしれないしね」

「それは非常に困るな」

「あたいだって困るよ。素敵な死体が出来上がるのはうれしいけど、跡形も無くなっちゃたらもったいない」

「今物騒な事を聞いた気がしたが」

「気のせい気のせい。とにかく、今のおくうには保護者が必要なのよ。
 でも、あたいは地下の管理を、不在のおくう分もやってるから正直手が足りないんだにゃー」

「……成程。つまり僕に子守りをしてくれという事か」

「いや、ホントに話が早いね。そういう事なんだけど、頼めないかい?」

 彼女を預かる事で得られる利点、被りそうな被害は何か――少し思考してから、僕は口を開いた。

「条件がある」

「条件、って。あたいもそんな難しい頼み事は引き受けられないよ?」

 広げた手をひらひらさせて、気負う様子を隠すように明るい口調で燐は答えた。

「いや、そこまで難しい事ではないんだ。むしろこれは君にとっても有益な物になると思う」

 前置きを述べて、燐は一応の形で肯いた。

「うーん――解った。それで、条件って何だい、お兄さん」

「今の空の身体について、詳しい情報が欲しい」

「…………………………………………………はい?」

 面食らった表情を隠さない燐は、理解が追いついていないように、疑問符で応対した。

「何、難しい事ではないだろう。関係者から話を聞くだけでいい」

「それって、おくうの身体の事を聞けばいいって事?」

「何しろ借り物の身体で、僕の予想しない事態になりそうだからね。
 預かる身としては、危機管理はしっかりしておきたいんだ」

 僕の言葉を咀嚼したかのように、燐は大きく肯いた。

「ああ、成程。お兄さんも素直じゃないね」

「……そうかい?」

「危機管理だなんて大仰な事言ってるけど、つまりはおくうの身体目当てじゃないか」

 悪戯っぽく、楽しそうに燐は言う。

「語弊が無いように言っておくけど、僕は今の彼女の身体が出来るまでのプロセスが知りたいだけだよ」

「解ってる解ってる。お兄さんは朴念仁だもんにゃー」

 燐は手を差し出した。
 同意の握手を僕たちは交す。

「じゃ、交渉成立って事で。嘘付いたら針千本のますよー」

 彼女の場合の場合本当にやりかねない。
 僕はそう思った。

「ところで、空の診察はいつまで続くんだい?」

「あたいは一週間て聞いたけど、もしかしたら予定が狂うかもしれないね。何しろ、初めての事だし」

「解った。何か変更や異変があったら早めに連絡をくれると嬉しい。
 僕はここから離れる事は多分無いだろうから」

「あいよ。<それじゃあたいはこれで――っと」

 席を立った燐は、思い出したように声を上げた。

「そうだ、お兄さんにこれを渡しとくよ。あたいには必要無いものだからね」

 そう言って、彼女は寝息を立てる空の傍にそれを置く。
 山吹色に近い色合いの、細い棒状の物体。

「これはなんだい?」

「ちっこいおくう用の制御棒。おくうに使わせれば、暖房代わりにはなるんじゃないかなぁ」

 そう言って、燐は軽い身のこなしで、店の玄関口まで歩いて行く。
 最後に振り返り、猫のような飄々とした表情で僕を見て、燐は去って行った。
 そう言えば、猫は寒がりな動物だったな、と何故か僕はそんな事を考えていた。

 火焔猫燐が去った後、僕は適当な大きさのかごを探す。
 流石にこのまま放っとくのは、空の身体に良い影響は与えない。
 仮の寝床を用意する僕に、暇はあまり無かった。

「うにゅ……」

 寝言らしきものに気づいて、僕は空の頭をなでる。
 なでられると嬉しそうに頬を緩ませて、空は満足そうだった。
 僕はこの先の漠然とした不安が、少し薄れたような気がした。




――――――――――――/二日目/―――――――――――――――――




 翌日、目が覚めると、僕はすぐに彼女の様子を見に行った。
 普段は寝間着を普段着に変えてから行動を起こすが、念の為に早めに見るのも悪くは無いだろう。

 僕の布団からそう離れていない位置に置いてある、編みかごを上からのぞく。
 幾重に重ねられた布に、身体の一部をあらわにして、小さな身体の霊烏路空は寝息を立てていた。
 ひとまず安堵の息を吐く。
 白い息は窓から指す朝日に吸い込まれるように消えていった。

 普段着に着換えたのち、僕は洗濯しておいた彼女の服の様子を見に行った。
 予想通り、まだ完全に乾くには時間がかかる湿り具合だった。
 昼ごろには問題無く乾くだろう、と見立てて、僕は炊事場へと足を運んだ。




――――――――――――***――――――――――――――――――




 陽も上がって、光が窓から差し込んでくる昼ごろ。

「こんにちはー」

 元気の良い、人懐っこい声が耳に届き、僕は顔を上げる。

「ん……いい匂いだねぇ」

 店先から奥の座敷まで遠慮なく入ってきて、彼女は満足そうに顔を綻ばせた。

「君の分も一応あるんだけど、良かったらどうだい?」

「ありゃ、何だか悪いね」

 躊躇う様子は見せずに、軽い足取りで火焔猫燐は座敷に座る。

「にゅーにゅー」

「おう。おくうも元気だねー。良かった良かった」

「にゅぅ」

 頭を撫でられた空は、嬉しそうに嬌声を上げる。

「ところでお兄さん。おくうの服はまだ乾いてないの?」

 箸を僕から受け取りながら疑問を口にする燐。
 そう感じるのも不思議ではないだろう。
 現在、空の見た目は、リボンこそ付けているものの身体全体を覆うように一枚の布で覆われている。
 動きやすさを考慮した上で、頭が通る部分を切り抜いて僕が作った即席の服なのだが。
 それ一枚で覆われていれば、下に何を着ていても見えるものではない。

「いや、ちゃんと服は乾いていて、着ているよ」

「うにゅ。にゅ」

 僕の言葉に答えるように、空は布をたくしあげ、中を見せた。

「あ、そうなんだ。でも何でこんなのをつけたままにしてるんだい」

「彼女の様子を見れば何となく解るんじゃないか?」

 再び食事に精を出すように、手に食べものを持つ空を見て、燐は成程、と声を漏らす。
 元々綺麗な布地でも無いのだが、今空の身につけるそれは、食べカスや調理によって付随した油等で大いに汚れている。
 空の口元にもご飯粒がついたままで、これでは『行儀よく食べている』とはお世辞にも言えないだろう。

「せっかく洗った服をすぐに汚されてはいい気分はしないからね。
 しかし、まさか彼女が食事を必要とするとは、最初は思わなかったよ」

 口に含んだものを良く噛んで、咀嚼を終えてから燐は肯く。

「お兄さんも、よく解ったねぇ」

「ああ。彼女の腹が鳴ったのと、表情を見ていれば何となく」

 最初に彼女が食事を要求してきたのは、僕が起き一刻ほど経ってからだった。

――炊事場で顔を洗っていると、足元に引っ張られるような違和感を感じた僕は、眼鏡をかけて確認をした。
 そこには、布にくるまった空が、懇願するような目で僕を見上げていた。
 視線を合わせるように僕はしゃがんで、空に尋ねる。
 「どうしたんだい?」という僕の問いに、空は「にゅう……」と力無く答えるだけだった。
 体調が優れないのではという僕の危惧は、きゅう、と空の腹の虫が鳴いてから一気に霧散した――

「――という訳で、一応きちんとした食事を用意した訳さ。
 僕は普段嗜む時ぐらいしか食事はしないから、そこまで料理らしいものは出来ないけどね」

「あらーそんな謙遜しちゃってお兄さん。上等なもんじゃないか」

 そう言って、燐は僕の皿に盛られた山女の唐揚げを鮮やかに奪い取り、口に含んだ。

「にゅうにゅう」

 便乗するように卓上に置かれた僕の皿へ向かう空に、僕は溜息をつきながら一つを取り、空に渡した。

「うにゅー♪」

「おくうもおいしいって喜んでるよ。自分の腕に自信を持ちなって」

「褒められる為に作った訳ではないんだが、気持ちはありがたく受け取っておくよ」

 そう言えば、賑やかな食事はいつぶりだったかな、と思いながら、僕たちは食事を済ませていった。


「ふー。御馳走さん」

 満足そうに、座敷で横になる燐へ、空が小走りで駆ける。
 せめて後片付けくらいはやって欲しいのだが、とは僕は言わず、無言で食器をまとめ始める。

「空、君は手や顔を洗いに、僕について来てくれ」

「にゅー」

 炊事場まで食器を運び終わった頃、空は小柄な身体を元気よく動かして、僕の足元まで来ていた。
 僕は割と綺麗なふきんを湿らせて、空の口元や手を拭く。

「こうやって、食事で汚れた部分は綺麗にしないとね。今度からは自分からするんだよ」

「にゅ」

 まるで赤子に諭すようだな、と僕は内心苦笑してしまう。
 不十分な情報ではあるが、僕の持つ霊烏路空の印象は破天荒な面はあるが、概ねは普通の女の子だと思っていた。
 少なくとも、食事をする際に手づかみで、服が汚れても構わないような豪快な食べ方はしないようには思う。
 なんというか、それは生活をするうえで当たり前の事で、いちいち問題にするものでは無いのだろう。
 とは言っても、燐の箸の使いようは手慣れていて、それに僕はいささか驚いたが。

「それと、どこかに行きたいときは、僕に声をかけて、出来るだけ解りやすく伝えてくれ」

「うにゅ?」

 どう見ても解っていない表情の空は、疑問符を即答で付け、小首を傾げた。

「……例えば、こうやって、両手を上げたら、厠に行きたい、という事にしておこう」

 解りやすいジェスチャーで、僕は空に要件を伝えた。
 実際彼女の身体が排泄を必要とするかは解らないが、他に例えが思い浮かばなかったので仕方が無い。
 空は肯いて、両手を上げた。

「もしかして、もう厠に行きたいという事かい?」

「うにゅ」

 肯定の肯き。
 考えうる最悪の事態を回避する為に、僕は空の首根っこを掴んで厠へと急いだ。




 なれない事の連続からか、まだ昼過ぎだというのに僕は徒労感を感じていた。
 小用を済ませた空は、元気よく駆けて、店内で遊んでいる。
 「なるべく店の品物を壊さないように」と促したが、振りかえって見せた空の表情は、
 理解しているのか僕に疑聞を抱かせるには充分だった。

 座敷に戻ると、火焔猫燐は気持ち良さそうに寝ていた。
 卓の上に『半刻たったら起こしてにゃー(はーと)』と、落書きと一緒に書かれた紙が置かれていた。
 何処から用意したこんなもの、と思いかけて、僕は燐を起こす事にする。
 卓に置いてある紙と筆記用具は、見間違いで無ければ店の備品だろう。




――――――――――――***――――――――――――――――――




「……それでねー、おくうの身体は『生体部品がベースで量産するにはコストがかかる』らしいんだよ」

 眠そうに時折眼をしばたたせながら、間延びした声で燐は説明を続ける。
 生体部品、という物騒な言葉が気になるが、僕は燐の情報を紙にまとめる。

 現在霊烏路空の魂が入っているとされる身体は、基本的な部分は生物の持つ機能と同じである。
 髪から目、肌、内臓まで、それは生き、生物との差異は広義的に人工的に作られたかどうかである、ぐらいである。
 ただし、身体能力はその大きさに見合ったもので、元の魂の能力に左右される事はあまり無いらしい。
 その為、霊烏路空に関しては、元々核のエネルギーで十分なのだが、
 この身体にはそもそもそんな力を蓄える場所が無い為、生命維持に食物を必要とする。
 製作は河童が基本的な機能を、装飾に関しては森の人形師に任せたらしい。

 今日火焔猫燐がここに来たのは、さっそく仕入れてきた情報を僕に教える為だった、のだが紆余曲折を経て現在に至る。

「つまりは、限りなく生物に近い容れものだと解釈すればいいのかい?」

「うん……大体あってるにゃー」

 欠伸を噛み殺し、気合い付けをするように自分の頬をぴしゃりと叩いた燐は、問題は、と前置きをした。

「身体能力は人間かそれ以下しか無いって事だね。
 あとはおくうの能力が一部使えるようにはなってるらしいけど」

「一部、と言うと核の力は使えるのか?」

「それは無理だけど、擬似的なものとして熱のエネルギーを生み出す事ぐらいは出来るらしいよ。
 ちなみに空も飛べるって」

 空を飛べる、という事実は僕にとって意外だった。
 今まで小さな身体の空は歩くだけが可能な移動手段として認識していたからだ。

「なんかねー、おくう、新しい身体に慣れていなみたい。使い方を覚えれば、飛べるようにはなるはずだよ」

「そうか……それと、昨日君が渡した制御棒というものだが、あれにはどんな意味が?」

「あれは安全装置として、装備しないとおくうの熱を生み出す力が使えないようになっているんだって。
 付ければ多分小っさい炎なら出せるんじゃないかな」

「何故そんな機能を?」

「あたいに聞かれてもなぁ。護身用に付けたはいいけど、変なトラブルを避ける為じゃない?
 今のおくうを見てると何となく解る気もするけどね」

 確かに、原因は解らないが、今の空は精神的に幼い印象がある為、やたら能力を使われたら、僕だけで対処は難しそうだ。
 そう思う僕に、不穏な匂いが鼻を通して感じた。

「んにゃ? この匂いって……」

 焦げ臭い、何かが燃えて発生する匂いである。
 嫌な予感は、僕の回想と同時に訪れる。
――彼女の制御棒は、机の上に置きっぱなしだった……!――

 勢いよく立ちあがった僕は、駆け足で店先のショウケースへと急ぐ。

「なになに? 急に――あーあ」

 間延びした声で、燐が僕の後に続き、感想を漏らした。

 僕の目には、先程話に上がった制御棒をつけた空が、机の上で楽しそうにはしゃいでいる。
 そのすぐそばで、炎を上げるモノがある。
 僕は急いで適当な布を持ち出し、叩いて消火を試みる。
 苦戦を強いられたが、なんとか鎮火にこぎつける事が出来た。

 慣れない急な運動に、僕は息を切らせて、机に寄りかかる。
 空が火をつけたであろうものは、昨日僕が裁断して放置したままの布地だった。
 大方、店内を探検していて制御棒を見つけ、試しに火をつけてみたのだろう。

「こらー駄目だろおくう。火を点けちゃ」

「にゅーうにゅにゅー」

「ん? ……はぁ成程なるほど」

 机の焦げ具合を確認しながら、僕は何となく燐と空の会話を聞いていた。
 しかし、早く気付いてよかった。
 もし発見が遅れたら、ボヤどころの騒ぎではなくなっていただろう。
 引火性の強いものを置きっぱなしにしていたら、空の身体にも危険にさらされていた可能性もあったが、
 不幸中の幸いか、そのようなものは机の上には無かった。

「だけどおくう、今度からは気を付けなよ。あんまりお兄さんを困らせないように」

「にゅ! うにゅ!」

「子供扱いするなって? 今はまんま子供じゃないかおくう」

「うにゅー!」

 顔を近づけていた燐に向かって、空は右手に装着した制御棒を向ける。
 制御棒の先端が薄く光り始めた瞬間、僕は空の首根っこを掴んでいた。

「……うにゅ?」

「うにゅじゃない。危険だからこれは没収する」

 そう言って、半ば強引に空の手に装備された制御棒を引き抜いた。
 案外抵抗も無くするりと抜けた事に、僕は多少驚き、空は反発の声を上げていた。

「にゅーにゅーうにゅにゅー!」

 手足を乱暴に振り回し抗議する空。
 僕は念を押すように、あえて空に顔を近づけた。

「いいかい、君が何で僕に所持品を取られたか解るかい?」

「にゅー!」

 いいから返せ、と言わんばかりに、空はまっすぐな瞳で僕を睨みつける。
 迫力は皆無なので僕が物怖じする事は無い。

「その意味が解らないのならば、これを渡す事は無い、と思ってくれてもいい。
 とにかくこれを君に返すつもりは僕には毛頭ない」

「う〜にゅー!」

 感情をせきとめようとしなければ、それは身体に影響を及ぼす。
 思い通りに行かない悔しさは、空の目のうるみで何となく解ってしまった。
 だが、僕は彼女が納得するまで何をされようと下した決定を変えるつもりは無い。

「まぁまぁお兄さん、そこらへんにしとこうよ。おくうだって反省してるって、多分」

 間に割って入ったのは、予想外に燐自らだった。

「うにゅにゅ!」

 僕に持ち上げられたままの状態で、空は力強く頷いた。

「僕には反省しているように見えないよ」

「いや、ね、おくう自身だって使い方が解らなかったんだよ。
 それにそんな危ないものを置きっぱなしにしてたのは、誰かニャ?」

 わざと強調するように、燐は猫のような表情で僕に問う。
 言い換えると、非常に楽しそうな顔である。

「……こういう事になるのなら、もっと厳重に保管している」

「だろ? だから、お互い危機管理がしっかりしてなかったんだよ。
 手遅れになる前に気づいて良かったじゃないか」

「うにゅ?」

『なら、君にも責任はあるのでは?』と僕は答えなかった。

 知らなかったから仕方ない、という言い訳は、今回の事態に対して無責任すぎる。
 核エネルギーの暴走による被害というのは、僕の知る程度のものでも相当危険な事は解っているつもりだった。
 それを端的にも知っていたから、燐は僕に空を預けようと思ったのかもしれない。
 だから、考えうる限り最悪の事態を想定して、念には念を入れるべきだったのだろう。
 それなのに、この体たらくだ。
 今の霊烏路空についての詳細を聞くのに気を取られて、彼女そのものに注意を払わずに、隙を僕は見せていた。
 燐は、それを飄々とした体で、僕に気づかせてくれた。

「むう……言われてみるとそうだな。済まない」

「あたいに謝られてもなぁ。とりあえずおくうの事を許してあげなよ」

「にゅ」

 そうは言っても、僕はこの制御棒を彼女に無条件で返す訳にはいかなかった。
 空は得意げに、僕を見つめ、『さっさと返せ』と言っているように僕の目に映ったからである。

 危険だと判断したのなら、それなりの対策は必要だろう。

「空、これを君に返す前に、一つ約束をして欲しい」

「うにゅ?」

 机に下ろされた空は、不思議そうに瞳を輝かせて僕を見上げる。

「僕の目の前以外で、これを使わない。そして、僕の目の届く先で危ない事はしない」

「にゅーにゅ、うにゅ」

「約束が二つじゃん、っておくうが言ってるよお兄さん」

「……とにかく、この二つの条件を破らない。それを約束してほしい。それなら、約束は一つだろう?」

「にゅ? ……にゅぅ」

 少し自信が無さそうに、空はかしげつつも肯いた。

「よし、それじゃふたりとも仲直りだよー。ほらほら」

 燐は急に僕の手を取って、空と握手をさせる。
 大きさの違う手が触れ合うだけだったが、燐は満足そうに僕と空の姿を見ていた。

 結局、制御棒は空の元に返される事になった。
……僕も甘いな。
 そんな事を思い、つい溜息が漏れた。




――――――――――――***――――――――――――――――――




「じゃ、あたいはそろそろ仕事に戻るよ。しっかり働かないとね」

 ガッツポーズを僕たちに見せ、燐は踵を返す。
 そんな燐の元へ、空はぱたぱたと足音を立てて歩く。
 空の気配に気づいて、燐は振り返った。

「にゅーうにゅうにゅ」

「いや、おくうの分も頑張るけどさ、あんたはまだ仕事が出来る身体じゃないからねぇ」

 お空を持ち上げて、燐はくるりと一回転した。

「まぁ、休みをもらったと思って、思う存分羽を伸ばしなよ」

「にゅ――うにゅ」

 優しそうにほほ笑んだ燐は、空を抱いたまま僕へ向き直る。

「なんか随分お邪魔しちゃったねー。悪かったよお兄さん」

 僕はかぶりを振って、ずれた眼鏡を直して答える。

「有益な情報を教えてもらっているんだ。このくらいの施しは当然の対価だろう」

「やーっぱり素直じゃないなーお兄さんは」

 実に楽しそうに、燐は目を細めた。

「そうだ、今度来るときには、何故空が言葉を話せないかについて調査をしてくれると嬉しい」

 コミュニケーションが出来ない訳ではないが、やはり言葉を交した方が意思の疎通は楽である。
 たった一日と少しで僕はそれを確信した。

 燐は空を床に下ろし、手を振って応えた。

「うん、ばっちり調べとくから、おくうの事よろしく頼んだよー」

 香霖堂から去って行った燐の足取りは、やはり猫のように軽やかだった。

「うーにゅー」

 手を振って見送った空は、少しだけ寂しそうに羽を下向きにおろしていた。




――――――――――――***――――――――――――――――――




 子供の相手をするのは、そこまで苦手では無い。
 そうは思っていたのだが、それを彼女に適応する事は無意味のようだ。
 身体が小さいと言えども、彼女を御そうとしたのは浅はかな考えだったのかもしれない。
 というより、彼女が僕に制御棒を向けると、こっちとしても対応が難しくなる。

 そういう訳で、僕の店内は空の好きなように遊ばれている訳だ。

「頼むから、危ない真似だけはやめてくれ……」

 半分懇願する気持ちで、所せましと暴れまわる空に注意を促した。
 こないだのように転んで泣かれてもこちらとしては困る為、僕は気が気でなかった。

「うにゅ」

 律儀にも僕の言葉の一つ一つに反応して、肯いたり首を横に振ってくれるのは、多少ありがたいが。


 しかし、そんなに楽しいものなのだろうか?

 空は結局、夜になっても昼間と変わらず元気に遊んでいる。
 飽きていない、という事はそれだけ彼女の夢中にさせるものがあるという事だ。
 確かに僕の店には色々な品物が置かれている。
 それは幻想郷由来のものだけでなく、外の世界から流れてきたものも多い。
 空にとっては、見た事も無いものがたくさんあって、探検するだけでわくわくするのだろうか。

「にゅーにゅ」

 ふと、空が僕の方へ何かを持って僕の方へ駆けてきた。
 彼女の歩幅では離れた距離を走らせるのは酷だと感じ、僕は彼女へ近づく。

「うにゅ。にゅうにゅ?」

 多分、空は『これはなんだ?』と言いたいのだろう。
 緑色の半透明な円柱に、中心に糸が通ったシンプルな物体。
 僕は空からそれを受け取り、一通り眺めて、説明を始めた。

「これはアロマキャンドルというものだね。お香と蝋燭を合わせた、比較的横着な品物だ」

 確か、これは外の世界の代物だったはずだ。
 似たような品は人里の道具屋でも取り扱っていると思うが、これが割と貴重な品である事には変わりない。

「うにゅー」

「……点けてみたいのかい?」

「うにゅ」

 眼を輝かせて、空は僕を見つめてくる。

「だが、これは結構貴重なものでね、火を点けるのは少しもったいないな」

「うにゅ?」

「代わりが利かないものだからね。また同じものがここに流れつくとは思えないから」

「うにゅにゅ?」

……本当に僕の言う事が解っていないだろうか。

 そう疑いたくなるほどに、空は不思議そうに首を傾げて、僕を見つめる。
 その眼は、やはり期待に満ちたものだった。

「……という訳で、これは元の場所に戻しておこう」

「んにゅ」

 空は首を勢いよく横に振り、否定の意を示した。

「君は僕の言っている事が解っているんだろう?」

「うにゅー?」

 白々しく首を傾げる空。
 都合のいい時だけ解らない振りをしないでくれ、と言いかけて、僕は息を吐いた。
 意見の衝突と言えど、要は蝋燭を点けるか点けないかだ。
 そんな些細な事に大人げなく意地を張る必要は、僕には無い。

「……解った。湿気てたらそれまでだけど、一応点けてみる事にしようか」

「にゅ。うにゅぅ♪」

 空は嬉しそうに頬を綻ばせ、僕の周りをぴょんぴょん跳ねまわる。
 蝋燭一つでここまで喜びを表現されると、僕もまんざらではない気分になる。

「では、火を点けるか。ちょっと待っててくれ」

「うにゅ!」

 いつの間にか僕の目の前に立っていた空は、自信満々に自分の胸を叩く。
 まるで『大丈夫!』と胸を張るような、そんな印象を僕に与えた。
 空は自分の右手に制御棒を装着すると、地面に置かれたアロマキャンドルの導火線に向けた。
 瞬間、制御棒の先から、小さな炎が噴きあがる。
 オレンジのフレイムは、揺らめきながら対象に接触し、やがて火はそれに燃え移った。

「にゅーにゅ、うにゅ!」

 点火作業を終えた空は、勝ち誇ったような表情を僕に見せて、胸を反らして尊大そうにしている。

「……ああ、上手く点いたね」

「にゅぅ……♪」

 撫でる僕の手の感触を感じてか、空は満足そうに眼を瞑っていた。
 その瞬間。
 店内に『くぅぅ』と小さな、絞るような音が店内に響いた。

「…………にゅううぅ」

 自分の腹を押えて、空はしおれるように俯いた。

「……夕飯にしようか。少しの間我慢できるかい?」

「うにゅー……」

 元気が無い調子で、空は肯いた。
 辺りに漂う香りが、何かこの店には合っていない気がする。
 僕は空を抱きかかえ、蝋燭の炎を消して、炊事場へ向かった。



 夕飯を食べ終えた空は、遊ぼうという気持ちはきっとあったのだろうが、眼が虚ろになって行き、身体が弛緩していく。
 つまり、はたから見ても非常に眠そうにしていた。
 とりあえず僕は昨日作った即席のベッドへ空を運び、籠の中に彼女の身体を沈めさせて、毛布をかぶせた。
 彼女が寝静まるのを確認した僕は、いつもの作業机兼カウンターの机へと向かう。


 今日の日記をつけたら、もう寝る事にしよう。
 思ったよりも疲れを感じる身体に、僕は伸びをして緊張を和らげさせた。




――――――――――――/三日目/―――――――――――――――――




 誰かに起こされる環境にいる事は、おそらく幸せな境遇なのだろう。

 起こされる側には、睡魔を振り払ってでもやるべき事があるはずであるし、
 起こす側にもそれをするだけの価値があるのかもしれない。
 何が言いたいのかと言うと、他人に起こされるのは、当の本人は気付かずとも幸せであると考えても良いという訳だ。

……起こす方法が普通であるならば。

「……まさか起きた際、眼前に炎があるとは思わなかったよ」

「……うにゅ」

「君が僕より早く起きて、僕を起こす事に何の不満も抱いていないよ。むしろありがたいぐらいだ」

「うにゅ」

「ただし、方法だけは頼むから考えてくれ。あと、僕が見ていないときは制御棒の力は使わない約束だったよね?」

 はっきり言うならば、今日の目覚めは最悪だ。

 眼を覚ました瞬間、目の前には小さな炎があり、しかも前髪に火がかかり、焦げ臭い臭いが鼻に障った。
 ピントが合った視界には、嬉しそうに僕の顔を覗く空の顔があった。
 僕は急いで空に火を消すように言い、そして仕度もそこそこに、空と面を向かい合って座っている。
 髪が焦げてはいたが、気にしなければ、まぁ何とかなる程度の被害だった。
 視線の高さを合わせる為に、空は現在座敷の卓の上に正座をさせている。
 普段と違い元気が無いのは、流石に僕が少なからず怒っている事を察知したからだろう。

「いいかい、霊烏路空」

 あえて本名を、厳粛な印象を持ち出して声に出す。

「どんな目的があったにせよ、火は他のものを燃やす危ないものだ。
 少なくとも僕を起こすだけの事に、そこまで危険を冒す必要は無い」

「うにゅ……?」

 良く解っていない表情を空は見せる。
 一つ一つ理詰めで解らせようにも、これは骨が折れるかもしれないな、と僕は思った。
 危惧通り、例え話や事実を伝えて見たが、空の表情は理解していない事は僕には充分解った。
 最後に僕は、こんな言葉でまとめる事にした。

「――だから、もう約束は破っちゃ駄目だよ」

「――! うにゅ」

 はっとしたような空は、僕の言葉にしっかりと肯いた。
 『約束を破ってはいけない』という事は、解ってくれたようで、僕は少し安堵した。
 安心するのはほんの一瞬だけだったが。
 身体を震わせる空に、僕は少し戸惑った。

「……どうかしたのか?」

 少し口調が投げやりになってしまったが、空は僕を見上げる。
 空は顔を赤くして、身をよじらせて我慢しているように見受けられる。

「……どうかしたのかい? 言いたい事があれば――」

 素早く、空の両手が上がる。
 僕の説教に遠慮していたのか、と思いつく前に、僕は空の首根っこを掴んで厠へと駆けだした。




――――――――――――***――――――――――――――――――




「さて、と――そろそろ出かけるよ」

 僕の呼びかけに、空は数秒経て「うにゅー」と声で応えた。

 僕はふと、机の上に仮として置いた道具品の束を見る。
 やはりいつも身につけたものが無いと、少し心もとなくなる。
 まぁ、初めての事では無いのだから、そこまで不安なものでは無いのだけど。

「にゅー」

 空は僕の傍に来て、元気よく鳴いた。

「よし、それじゃあ、出かけるよ」

「うにゅ!」

 元気よく肯いた空を僕は持ち上げて、目的の場所まで移動させる。
 その場所は、僕がいつも腰に下げている、道具品を入れるポーチ。

「うにゅ〜」

 僕が空をポーチに誘導する際、空は不機嫌そうに顔をしかめて、頭を左右に振る。
 どうやら、彼女は狭い所に入れられる事に不満を感じている、そう僕は判断した。
 昨日も同じようにポーチに彼女を入れて出かけたが、その時は寝ていたせいか問題は起きなかった。

「仕方無いだろう? 君が歩いて行くには距離がある。しかも外は寒い」

「にゅー」

 それでも嫌だ、と空は言っているようだった。
 彼女に頑固な面があるのは、今までの付き合いで把握している為、僕は条件を出す事にした。

「そうだな、君が空を飛べるようになれば、ここに入る必要は無いのかもしれないな」

「うにゅ?」




――――――――――――***――――――――――――――――――




 雪の降っていない地面は、耐えるように固く、冷気を蓄えていた。
 日が昇れば少しは暖かくなるだろう、と僕は思考する。

 道を歩く僕に、時折腰のポーチがガサガサと音を立てて揺れる。
 ポーチの開いた口の隙間から、空が目を輝かせて僕と景色を見る。

「落ちたら危ないから、おとなしくしてくれないかい?」

「にゅ、うにゅにゅ……」

 僕の注意に頬をふくらませながらも、空は律儀にポーチの蓋を閉めた。
 これから向かう先では、彼女の存在は知られない方が都合はいい。
 僕が目的地と決めた場所は、人里の食料品店。
 突然の来客と予想よりも消費量が多かった為、一日と置かずに食糧が底を尽きた為だ。
 正直、普段は無い出費は僕にとって痛い。
 が、仕方が無い事だろう。
 僕はともかく、今の空には文字通り背に腹は代えられない状況である。




――――――――――――***――――――――――――――――――




「空、聞こえているかい?」

「うにゅぅ?」

 帰り道、空はポーチの蓋を開け、僕の顔を覗きこんでくる。
「今度からは、余り外では騒がないでくれると嬉しい」

 人里内で、不規則に鳴く空の声に、傍にいた人里の人間は訝しげな表情で辺りを見回していた。
 僕にとっても、妙な噂が立つのは好ましくない。

「……うにゅ?」

……この表情は、多分解っていないのだろう。

「……静かにしてくれたら、おいしいものを用意するよ」

「うにゅ。にゅーにゅ♪」

 肯いて、空は楽しそうに両手を上げた。
 交換条件を持ち出して、甘やかせていいのだろうか、と空の様子を見るまではそう思っていた。
 両手を上げるジェスチャー。
 それの意味するところは。
……もう厠か。
 両手に持った荷物は重たいが、どうやら走って帰る必要があるようだ。

「にゅーにゅー」

 足に力を入れた瞬間、空の声が耳に届く。
 空は手を上げているが、首を左右に振っていた。

「……まだ大丈夫なのかい?」

「うにゅ」

 肯いた空を見て、僕は緊張を解く。
 おそらく、嬉しさのあまり両手を上げてしまったのだろう。
 そう考えて、僕は冬の空の下を歩んでいく。
 いつの間にか、僕は空との会話に対し難儀であると感じなくなっていた。




――――――――――――***――――――――――――――――――




 何故か店先に、馴染みの客が立っていた。

 その客は、「準備中」と立てかけた店先の札を不思議そうに眺めていた。
 ぶしつけに追い返しても悪いだろう、そう思って、僕は声をかける。
 結局、その客、というより知り合いに、昼食を奢る羽目になってしまった。
 少しは楽しいと感じた自分に、僕は思わず誰にも見えない炊事場で、苦笑してしまった。




――――――――――――***――――――――――――――――――




 来客も帰り、食器を洗う僕の傍で、空は力を込めて何度もジャンプをしている。
 ジャンプして、着地。
その繰り返しを、空は何度も何度も行う。
 僕の目の届く範囲で安全な行為なら、僕は何も彼女に言う事は無い。
 しばらくして、用事を済ませた僕は、なんとは無しに空に尋ねる。

「何をやっているんだい?」

 振りかえった空は、顔に汗を浮かべて、悔しそうな表情で答えた。

「うにゅ。にゅう、うにゅ。うにゅにゅ?」

「あー、聞いておいて済まないけど、三つ以上はちょっと理解が出来ないんだ」

「うにゅぅ」

 ふてくされるように、空は手を床につけて、肩で息をする。
 本当に生物と変わらない生理現象だと、僕は見当違いな方向で感心する。
 さて、炊事場に僕がいる必要も無くなった事で、僕は空を持っていつもの机に座る。
 僕の眼に届く範囲、という事で空は机の上に滞在してもらう。

「うにゅー」

 息が上がった空は、机の上で座り込み、その目は遠くを見るように、視線を集中させていた。
 僕はそんな空の状態を気にかけつつも、本を手に取り、読書を始めた。


 いくらか時間も経過し、冬の短い陽も落ちかけた頃。
 相変わらず頬杖をついて読書をする僕だが、いつもと違って読む行為に集中が出来ない。
 少し眼を放してしまうと、予想もつかない事態になっているのではと思うと、捉えた文字は僕の頭に入ってこないのだった。

「うー、にゅー、にゅー!」

 一際大きな声で鳴いて、空は机の床にあおむけに倒れた。
 僕が心配するほどのものでも無い。
 空は自ら投げ出すように横になったのだから。
 とは思ってみても、僕は何となく彼女の様子が気になる。
 息を荒げて、全身で呼吸する空の様子は、僕なら全力疾走の後に疲れて倒れるような状態なのだろう。

「にゅー……!」

 空は天井を睨むように険しい表情で、駄々をこねるように手足をバタバタとせわしなく動かす。
 見ているだけなら愛らしい印象に見えなくもないが、放って置きっぱなしでは僕だっていい気はしない。
 周囲を確認する。
最小の労力で効果のあるものを探す僕は、横着者と呼ばれても文句は言えない。
 僕は引き出しからマッチ棒を取り出して、火を点けた。

「――うにゅ?」

 空は変化に気づいたのだろう。
 小さな鼻を動かせて、ゆっくりと起き上がる。
 彼女が対象を見つけた時、僕は一人ごとのように声を発した。

「この香りには、どうやら気持ちを落ち着かせる効果があるようだね」

 店内には、ハーブのような、爽やかな香りが漂う。
 昨日感じた通り、この店にはふさわしくない臭いのような気はするが。
 僕が火を点けたのは、昨日空が見つけて、火を点けたアロマキャンドル。
 少しもったいないかもしれないが、その効果を活かせる場面であれば良い、と僕は思っていた。

「にゅ……うにゅ」

 鼻をふんふんと動かして、空は眼を閉じる。
 香りを楽しんでいるのかどうかは解らなかったけれど、僕は効果はあったと感じる。
 彼女が夢中になっているのは、揺らめく火を見るより解りやすい。

「君が何をしようとしているのかは僕には解らないけど、時には肩の力を抜くのも大事だ」

「うにゅ?」

「全力疾走しっぱなしでは、すぐに息が切れてしまうからね」

 僕は視線を活字に戻し、それ以降は何も言わなかった。
 空は不思議そうな顔で、「うにゅぅ……」と唸っていたのだろう。
 見なくても想像できてしまうほど、僕は彼女に慣れてしまっていたのだろうか。
 僕の些細な考えは、まとまる事も無く、ただ時間が流れて行った。




――――――――――――***――――――――――――――――――




 夕食の席で僕が初めに開いた言葉である。

「……今日は良く食べるね」

 額面通りでは無く、半分以上は呆れた念が強い。

 空用食事エプロン(仮称)には、これまで以上に染みが拡散していく。
 とはいっても、頭の通る穴を開けただけの布をエプロンと呼んでもいいのだろうか。
 いや、今はそれを考える場面じゃない。

 現状は、その布が僕の予想以上に汚れているという事だ。
 汚れが付くのは構わないが、それがエプロン以外に付着するのは良いはずがない。

 しかし、僕は今までこれ以上に『食い散らかす』という表現を体現したものを見た事があるのだろうか。

 そう考えるほどに、空の食事には勢いがありすぎた。
 掻き込むように器の料理を食べ、あふれる汁に構わず汁ものを飲み干す。
 大量に食糧の残滓をその身と付近に食い散らかした後、空の眼は僕を鋭く捉えていた。

「にゅー!」

「あ、こら! それは僕の分だ!」

 卓上に用意された僕の料理まで取るのは百歩譲って許すとしよう。
 とはいえ今の彼女の行為は許容の範囲を超えている。
 今空が行った行動は、僕が箸で捉えたものに食らいついたからだ。
 幾ら僕が食事を必要としないと言えど、今の空のマナーの悪さは群を抜いている。

「にゅーにゅー!」

「駄目だ! 他人のものまで奪うように食べるんじゃない!」

「うにゅ!」

「制御棒を向けるな!」

 何を彼女がそうさせるのか。
 恐らく食欲だろう。
 それ以外の可能性を思いつくのはお互いに良くは無い……筈だ。
 僕は片手に持った茶碗を高く掲げ、空からの奪取を阻もうとする。
 空は唸りながら、勢いよく僕へ飛びついた。

「にゅいうにゅー!!」

「何で僕の方を狙うんだ! 目指すならば茶碗だろうに――危ない!」

 飛びついた空から避けるように身体をひねった僕への効果は、回避という意味では成功していた。
 しかし、僕から避けられた先には、遮るものが何も無い。
 今の彼女の身長の数倍の高さから、霊烏路空は落下していった。
 急いで僕は彼女を受け止めようと、片手に持った箸を放り出す。
 僕の手が落下する身体を受け止めようと動かしたが、そこに彼女の身体は無かった。

「にゅー!」

 一瞬、僕の視界から空の姿が消失した。

 代わりに僕が知覚したのは、鳥のような羽ばたきの音。
 見上げた視線の先には――

「うにゅ」

 宙に浮く空の姿があった。

「空、飛べたのかい?」

 間抜けにも僕は確認をしてしまう。
 空は満足そうな表情で、強く肯いた。

「うーにゅ。にゅー」

 しばらく空は飛行を楽しむように、様々な方向へ身体を飛ばす。
 僕は、それを感心するように見ているだけだった。

「うにゅーにゅ♪」

 ひどく上機嫌な様子空は卓の上に降り立った。
 まるで憑きものが落ちたかのように、空はいつもの天真爛漫な表情を見せる。
 何が彼女をそこまでさせたのか、僕が理解するには少し難しい。
 僕はふと、一日中飛び跳ねて、精一杯頑張っていた空の姿を思い出す。
 彼女は多分空を飛ぶ為に、慣れない身体を力いっぱい動かしていたのだろう。
 それは、今の空の満足そうな表情を見て、何となく僕はそう感じた。

「うにゅ」

 僕は先程の問いに、自分で答えを付けた。

「飛べるようになった、か――」

 ただし、僕にはやるべき事がある。
 僕は周囲を確認し、食べものの散乱した部屋で、この後空を説教する事となる。
 食器を洗う以外の後片付けを彼女に要求したとき、空は涙目で渋々肯いた。




 良く学び、良く遊び、良く眠る。
 今の霊烏路空は、その言葉を体現しているようだ。

 空を寝かしつけた後、そんな内容を日記に書きこんで、僕は疲れた目を閉じてその上から指で揉んだ。
 普段の身体の彼女の生活形態は解らないが、現在の空は早寝早起き、三食の食事を取っているという点では、
 健康的な生活を送っていると言える。
 はたして、彼女の身体の休息が終えた時、僕の店で過ごした期間は彼女にどんな影響を与えるのだろうか。

 しばらく考えて、僕は結論を出す。
 あまり彼女を甘やかせすぎないように、と。

 日記を閉じた時、久しぶりに身体が睡眠を欲しているような錯覚を受けた。




――――――――――――/四日目/―――――――――――――――――




 打撃による衝撃で眼が覚めるというのは、余りいい気分はしない。
 空は制御棒を装備した腕を力いっぱい振り下ろし、僕の頭を覚醒させた。

「……昨日よりも早いお目覚めだね、空」

「うにゅ」

 元気よく片手を上げて、空は満足そうに肯いた。
 じんじんする頭を押えて、僕は溜息をついた。

 着替えを済ませ、頭部の被害が微々たるものだった事を確認して、僕は空を見る。
 空は昨日までと違って、宙に浮いた状態が基本になっていた。
 食事時と休む時以外は、飛んでいた方が彼女にとって楽なのかもしれない、と僕は思う事にする。
 おかげで自発的に厠に行けるようになったので、僕の手間が一つ減った事は素直に嬉しい。
 朝食を済ませ、しばらく経った後。

「うにゅ。にゅー」

 空は店先の扉の前で、僕を呼んだ。

「どうしたんだい?」

「うにゅにゅ、うにゅ」

 空は扉を指さして、僕を手招きする。
 何となくだが、外に出たいのだろう、と僕は理解できた。

「散歩に出たいのかい?」

「うにゅ」

「君だけを外に出す訳には行かないから、僕もついて行くしかないだろうね」

「うにゅ♪」

 空は嬉しそうに、僕に笑顔を見せた。
 戸締りをしっかりと確認し、店先に準備中の札を掛けて、僕たちは散歩へと出かけた。

「にゅーにゅー♪」

 犬は喜び……という言葉が頭に浮かぶ。
 外ではしゃぐ空は、心から楽しそうに駆け回っていた。
 吹く風は冷たいというのに、元気な事だ。
 相変わらず外は冬の様相を呈していたが、それも徐々に暖かくなっている。
 気のせいかもしれないが、それでも今年の冬もそろそろ終わるころだ。
 春になったら……なっても僕はいつもと変わらないだろう。
 気温の変化が店に影響する事と言えば、庭の桜が咲くかどうかくらいだ。

「……春はまだ、か」

 冬空の下、はしゃぎまわる空を見て、僕は思わず口から言葉が漏れていた。

「空、そろそろ帰ろうか。そろそろ正午になる」

「うにゅー。にゅ」

 空は僕に近づいて、僕の肩にぶら下がるように掴まった。
 大方はしゃぎまわって疲れたのだろう。
 そうでなければ空腹かだ。
 僕は両手で抱えるように空を持って、香霖堂への道を歩く。




――――――――――――***――――――――――――――――――




「……いやはや、うちに炬燵は無いはずなんだけどね」

 最近すっかり生活の中心になりつつある座敷の光景を見て、僕は場違いな感想を漏らしていた。
 普段店のカウンターに座っている事が多い為か、奥の座敷の整理はそこまで頓着していないのが原因だろうか。

「うにゅー」

 僕の頭の高さで浮遊する空は、嬉しそうに顔なじみの姿を見つめている。

 戸締りを確認して出たはずの香霖堂内には、侵入者がいた。

 とは言ってみても、侵入者という物騒な響きには似合わないほど、彼女はぐっすりと寝込んでいる。
 座敷に用意された座布団を集めて、布団のように敷いた上に、身体を丸めて眠っているのは、火焔猫燐だった。
 思う所は色々あるのだが、とりあえず僕は盛大に溜息を吐く。

「うにゅ?」

 僕の様子を不思議そうに窺う空に、僕は言葉を重ねた。

「空、僕は昼食の支度をするから、君のやり方で彼女を起こしてくれ」

「――にゅ!」

 僕が炊事場で準備をする頃、離れた場所で猫が尻尾を踏まれたような素っ頓狂な声が響いた。




――――――――――――***――――――――――――――――――




「あたた……もうちょっと優しく起こしてくれよ、もう」

 半覚醒した眼を瞬かせ、燐は頭を押えて身体を起こす。
 その隣で、空は自信満々と言った表情で僕を見ていた。

「うん、ちゃんと起こしてくれてありがとう、空」

「うにゅぅ♪」

「おーい、そこは叱る所じゃないのー?」

「君は寝つきは良いけど寝起きは悪いだろうから、一気に起こした方が効果的と思ってね」

「それはたまたまぐっすり寝てただけだってさ。むぅ、なんかおくうがお兄さんに毒されてる気がするー」

「うにゅ?」

 卓の上に用意された三人分の食器を見て、燐は少しばつが悪そうに、頭を掻く。

「……まったく、気が利くんだか無神経なんだか……」

「必要ないなら食べなくても問題は無いよ」

「いただきます」

「……即答か」

 どうやら、火焔猫燐とは良好な関係を築いているようだな、と僕はどうでもいい確認をする。

「にゅー」

 燐の声に合わせて、空は両手を合わせてから、食器に盛りつけられたものへと手を伸ばした。
 僕も箸を取り、食事を始める。
 ここの所すっかり馴染んできた食事の感覚は、僕にとっても満更でも無かった。

「……それで、今日はどんな用で来たんだい?」

「へ? 聞きたい内容はそれだけ?」

「にゅ?」

「――ああ、そうだね。君はどうやってここに入る事が出来たんだい?」

 待ってましたと言いたそうな、そんな表情を燐は見せる。

「猫は頭さえ入ればどんな穴だって通り抜けられるって知ってた?」

「いや、もっと具体的に教えてくれると嬉しいんだが」

「そう? じゃ、今日は帰る時もそこを通るよ」

 それより、と燐は机に肘を置き、組んだ両手に顔を載せた。
 食事中にその態度はどうかとは思うが、僕は何も言わなかった。

「今日は結構大事な事を伝えに来たんだよ。もともと言うつもりだったけど」

「何か不都合な事でも起きたのか? その、空の身体について」

「んー、おくう本体は問題無いよ。むしろこれはいいニュースってやつかな」

 二つの視線に気づいてか、空は顔を上げて、不思議そうに鳴いた。

「うにゅ?」

「間欠泉センターの点検は完了、それに合わせておくうの体も調整が済み、
 問題は無いだろう、って事で、そろそろ元に戻すみたいだよ」

 つまり、僕の子守りのような日々もそろそろ終わる事になる。
 燐の言う『いいニュース』とは、つまり、そういう事なのだろう。

「そうか。正確にはいつ頃彼女は元に戻るんだい?」

「何のトラブルも無ければ二日後だってさ。ありゃ、お兄さんもしかして寂しかったりする?」

「そうは思わないよ」

 猫のような表情で、燐は小さく笑んだ。
 何をからかうのかと思いきや、彼女は普通の調子で続けた。

「そうかいそうかい。いやー、あたいにとっては待ちに待ったって感じだけどね」

「うにゅ」

 空は肯いて同意している。

「地下の管理は結構大変でねぇ、灼熱地獄で後任の奴はまだ仕事を覚えきれてないから心配で心配で」

 彼女の言った事をまとめると、元々は霊烏路空の仕事を今は代わりの者が務めているが、
 経験が浅く、内容を知っている燐が手助けしている、という事らしい。

「まったくあいつらったら、ちょっと目を離すとすぐ遊んで。
 おくうはきちんと出来る子だった分手間がかかるんだにゃー」

「ここ数日眠そうにしていたのはそのせいだね?」

「うん。こんな寒い日にゃ、温泉にでも入ってぬくぬくしたいねー」

 自分の発言に心躍らせ、夢見るようにうっとりと燐は頬を綻ばせた。
 風呂好きという猫も珍しいなとは感じたが、僕は特にどうだとは思わなかった。

「んにゅ」

 空は首を横に振っている。
 どうやら燐の意見には賛成できないようだ。

「あ、それと、ちっこいおくうはお風呂に入れた方が良さそうだねぇ。
 お兄さん、あたいの鼻はごまかせないよ」

「にゅ! うにゅ〜」

 思い返せば、ここ二日ほどは空の身体を洗ってはいない。

 服はあり合わせで代わりを作って着換えさせてはいたが、僕自身汚れる事があまり無いせいかすっかり失念していた。

「彼女の入浴は後で頼むよ。それで、他には教えてくれる事はあるのかい?」

「おお、忘れてた。今日まで仕入れていた情報も結構いいネタだよ?」

 何処ぞの新聞記者のような口ぶりで、燐は話を続ける。

「ちょっと前にちっこいおくうにはおくうの魂が入ってるって言ったけど、あれ、厳密には違うんだって」

「うにゅ」

「えーとね、確か『魂を定着させるのは送り手と受け手双方に影響を及ぼす為、
 今回の目的には沿って無かった』……と」

 あらかじめまとめておいたであろう紙のメモをポケットから取り出し、机の上に広げて燐は説明する。

「『目的は意識を覚醒した状態にしておく事だから、受け手を通じて意識に情報が入るようにすれば良い。
 だから、元の魂はそのまま』……えーとつまり」

「彼女の意識だけが、この容れものに通じているという事だね」

「ああ、うん、そんな事言ってた。
 『解りやすく言うと、夢を見ているようなもの』だって。
 あの魔法使い、言ってる事が解りづらかったからそのまままとめてきたんだけど、
 お兄さんが解るならいいや」

 僕としては、その説明のおかげで疑問が解決した為、よかったとは感じる。

 魂を抜く事で元の霊烏路空の身体は、死者に限り無く近づいてしまう上、それをまったく別の身体に移す際、
 定着するという確証もない。
 つまり、魂を移し替えるという事は、危険が伴う上に高等な技術を必要とする為、
 それを行った魔法使いは余程の技量をもっている筈だが、それならばこんな無謀な方法を行う道理が僕には解らなかった。

 その矛盾した内容が、違うと解ったのは僕にとって収穫は大きい。

「という事は、空が言葉を離せないのは」

「んー、それも聞いてみたけど『誤差の範囲内だから興味は無いわ』とか言ってた。
 あたいにとっちゃ結構大きな違いだと思うんだけどねー」

「そのうち、彼女が慣れれば話す事も出来るだろうとは思っていたけど、それも望みは薄いかな」

「おくうもそれで良さそうな顔してるしねえ」

「……うにゅにゅ?」

 おそらく、空は解っていないのだろう。
 とにかく、彼女は話す事が出来ないのではなく、必要が無いから話そうと思いつかないのだろう。
 初めは会話が出来る方が便利だとは思っていたが、僕はそれなりに空の意思をくみ取る事が出来ていて、
 実際そこまで弊害は無い。

「そういえば、君は難なく空と会話できるみたいだけど、何故だい?」

「そこ聞くかねお兄さん。それは長い付き合いで獲得した、強い絆って奴さ」

……多分、という言葉を最後に燐は付け足した。

「な、おくう。おくうはお兄さんと一緒の方がいいよねー?」

「うにゅ」

「勿論って言ってるよお兄さん。良かったねぇ」

「流石に彼女が肯いていれば僕でも解るよ」

 楽しそうに燐は笑い、空はくるくると燐の周りを飛ぶ。
 そんな情景は、微笑ましいと言っても良いものだった。

「お兄さん、今のおくうの事はあたい以外に知っている奴っている?」

 唐突な質問に、僕は少し面食らう。
 少し前に知り合いの客が見た程度だけど、あまり興味はなさそうだった、と僕は答えた。
 燐は頭を掻いて、ばつが悪そうに視線を泳がせた。

「あちゃー、ここは客が来ないような所だから都合が良かったんだけどなー……」

 大分失礼な事を言われている気がするが、とりあえず僕は口に出さない。

「見られて不都合な事はあるのかい?」

「んにゃ、おくうが今こんな状況だって事は別にばれてもいいんだけど、
 お兄さんがあたいの代わりに面倒見ているってのが……ね」

「にゅ?」

「なんでかって? ……さとり様はあたいがおくうの面倒を見るように言ったからねぇ」

「にゅうにゅ、うにゅー」

「いや、だって灼熱地獄の方がその身体のあんたにゃ危険じゃないか。今は飛べるからいいけど」

「あー、ふたりで話されても困るんだけど、事情を僕にも話してくれるかい?」

 声を抑えて空と会話していた燐は、僕の方へ向き直って、両手を顔の前で合わせた。

「ごめん、これはお兄さんにはちょっと教えられないや」

 そう言われては、最初に提示した条件通り、それ以上は聞くべきではないのだろう。
 一応頭で理解して、僕はそれ以上は追求しなかった。
 しばらく交される空との会話を、僕は聞き耳を立てる事は無かったが自然と耳に入っていた。

「ちなみに、熱を擬似的に生み出す能力は、本体の力を借りていないのかい?」

 思いつきで口にした僕の言葉に、彼女たちは律儀に答えてくれた。

「にゅ?」

 空の反応は、自分では良く解らない、という意味だろう。
 首を傾げている。

「にゃぁ? あーそれはね」

 何処から用意したかは解らなかったが、燐は先程の説明とは別に紙を取り出して、口上を始めた。

「『ボディ本体には、出来るだけオリジナルの性能を再現してみたんだけど、いかんせん出力不足』
 ……ここは違うね」

 早口でざっと内容を流して、燐は質問に答えられそうな部分を見つけたようだ。

「えーと、『生成したエネルギーを、ほぼそのまま火力に変更可能、消費量は大きいので注意』だってさ。
 解る?」

「そのエネルギーの摂取方法については解るかい?」

「ん、『基本は食べものからで、近くに本体がいるなら、外部からエネルギーを取り入れる必要は無いよ』だってさ。
 おくう本体がいればお兄さんがご飯作る必要も無いんだねぇ」

「ふむ。では――」

 しばらく空が寝息を立てている事に気付かないほど、僕は彼女から提供される情報を興味深く聞いていた。




――――――――――――***――――――――――――――――――




「そんなもんで、もうあたいの持ってる情報は全部だよ」

「……ああ。良く解った。これで僕の疑問は全て解決できたよ」

「あーあ、休むつもりで来たのに逆に疲れちゃったにゃー」

 いささか不機嫌そうに、燐は頬をふくらませて、顔を机に置いてくつろぐ。
 対照的に僕は自分の知識欲が満たされた感覚に、上機嫌ではあった。


 現在の小さな身体の、霊烏路空は、厳密に言うと本来の彼女の、妖怪では無い。
 簡潔にまとめるなら『霊烏路空の意識を持った人形』とでも言える。
 ただ単に彼女の意識だけを繋げるだけの道具だった訳だ。

 それでも、製作を行った者には出来るだけ元の身体に近い機能、もしくは生物らしい特徴を盛り込みたかったらしく、
 その効果は、僕が彼女をどう捉えていいか困惑する程度の成果はあった。

 生命の維持には食物から摂取した栄養が必要で、
 さらに擬似的に再現した熱を生み出す能力と空を飛ぶ能力を使用する際、
 そのエネルギーを利用する。

 特に熱を生み出すには大きなエネルギーを必要とする為能力を使用すると、
 彼女は空腹を感じるほどに消耗するのだという。
 確かに幾つか思い当たる節はあった為、僕は納得がいった。

「……しかし、何でこんなサイズにしたんだろうね」

 ひとりごちた言葉に、燐は驚いた声を出す。

「ありゃ、お兄さんそんな事も解らないのかい?」

「君は知っているのか?」

「当たり前じゃないか、それはね」

 僕は次の彼女の言葉を待つ。
 身体を小さく作るメリットが、あまり見いだせない僕は、少しだけ期待をしていた。
 燐は笑って、僕に答えを示した。

「ちっさい方が可愛いじゃない。ちっこいおくうを作ってたみんなもそう言ってたし」

……期待していた答えでは無かったが、とりあえず僕は納得する事にした。

「――にゅぅ……」

「お昼寝からおはよう、おくう」

 眼を覚ました空に、燐は撫でて応対する。

「それにしても、君たちは良く眠るね。地下の妖怪は皆そうなのかい?」

「いやそれは流石に違うよ。なんていうかねー」

 空と燐は店内を見渡して、互いに顔を見合わせると、肯きあい、僕に顔を向ける。

「ここって寒いからついついうとうとしちゃうんだよ」

「にゅ」

「普通逆だと思うんだけど。暖かくなると眠くならないか?」

「あたいたちは暖かいというより暑い所で長年仕事してきたから、寒いと機能が鈍る気がするんだよねぇ」

「うにゅ。にゅ」

 腑に落ちないが、とりあえず僕は納得する……そんな風に思う事が最近多い気がする。
 それだけ未知の部分が多いという事は、喜ばしい事なのだろうか。

  「んじゃ、あたいはもうおいとまするよ。結構長居しちゃった」

 悪戯っぽく舌を出し、燐は愛嬌ある表情のまま踵を返す。
 振りかえって、「それじゃ、種明かし」と燐は宣言した。
 何の事か解らない僕だが、燐は瞬間、今までの少女の姿から形を変える。
 ネコ科の動物との相違点を上げるなら、尻尾が二股に分かれているくらいだろう。
 黒猫へと姿を変えた燐は、にゃあ、とひと鳴きして、軽やかな身のこなしで店内の奥へと消えていった。

  「……やれやれ、結局何処に抜け道があるかは教えていないじゃないか」

「うにゅ」

 僕の一人ごとに、空は律儀に相づちを打った。




――――――――――――/五日目/―――――――――――――――――




「うにゅー」

「うにゅー、じゃなくて、ちょっとどいてくれないかい?」

「んにゅ」

 頭を上げ、空は僕の頼みを断る。
 僕の膝の上に乗った空は、居心地が良さそうに身体を横たえ、のびのびとしていた。
 おかげで僕は膝を開く訳にもいかず、長時間同じ姿勢だった為か大分身体が悲鳴を告げていた。

  「やれやれ……」

 幸せそうな彼女の顔を見ていると、僕も強い姿勢に出る事が出来ない。
 まぁいいだろう、という妥協が最近多い気がするが……それも今日で最後だ。

 彼女と出会ってから5日。
 長いようで短いような、そんな感覚だ。
 僕の記憶は、確かに彼女、霊烏路空と共同生活をしていた事実を認識させる。

  「うにゅ」

 僕は空を見て、彼女は何を想い、ここにいたのだろうと取りとめのない事を考えていた。



 そうして、何も起きない平凡な一日は過ぎていく。

 僕にとって少し変だった毎日は、こうして終わりを告げた。




――――――――――――/後日談/―――――――――――――――――




 やはり便利だ、と僕は燃料を追加し、再び機能を取り戻した暖房器具へ素直な感想を得た。
 僕は本を読んで、その内容を頭に入れている。
 客がいない時間は、そうしている事が多い。
 今僕が読む本は、ここ幻想郷由来のものでは無い。
 だからこそ、新しい発見というのがあるものだ。

「こんちゃー。お兄さん生きてるー?」

 ふと、店先から陽気な声が入ってきた。
 僕は顔を上げ、来客の姿を確認する。

「ああ、久しぶりだね。火焔猫燐」

「つれないねぇ。あたいの事はお燐でいいっていう約束じゃないか」

「そんな約束をした覚えは無いぞ」

 快活そうに笑って、燐は僕へと歩を進める。
 僕の記憶を全幅で信頼するならば、彼女は小さな空を引き取りに来た時以来で、
 彼女の呼び方について約束した覚えも無い。
 常連客とは言わずとも、
 彼女が店の商品を定期的に購入する顧客にはならなかったのが僕にとって少し残念ではあるけれど。

「まぁ、あたいの事をお燐って呼んでくれると、あたいは嬉しい。それに」

 胸を張って、僕を見る燐との距離は、互いに手が届く程に近づいていた。

 燐は眼を細めて、

「ほぼ初対面だったあたいの急な頼みを聞いてくれたお兄さんには、もう赤の他人だとは言わせないよ」

 と、悪戯っぽく笑んで言った。
 僕は少し長い息を吐いて、口が緩むのを意図的に押えた。

「そうか。君がそう思うのならいいんじゃないか?」

「うーん、やっぱりつれない」

 盛大に肩をすくめて、燐はやれやれと呟く。

「でさ、お兄さんは何を読んでるの?」

 僕の手元にある本を覗きこんだ燐は、へぇ、と声を漏らした。

「核融合って、おくうの能力と一緒だよね」

「ああ。僕は今まで核融合と核分裂を混同していたみたいだけど、この本のおかげで少しは解ってきたよ」

 あまり興味も無さそうだが、燐は身体ごと僕に近づいて、本の内容を見やる。
 書いてる事が良く解んない、と言う燐に、僕は自分なりの解釈を説明する羽目になった。

「つまり、核は熱のエネルギー、核融合は外の世界ではまだ使われていない、という事らしいね」

「ふーん。あ、熱と言えばここも前よりかはましになったね」

 周りを見渡して、原因を探す燐に、僕は視線で誘導する。

「ああ。元々君たちがいた時が特殊な状況だったからね」

「へぇ。あたいはてっきりおくうがいなくなって心も身体も寒い思いをしてるんだと」

「……僕はそこまで寒さを苦に感じないし、独り身を寂しく感じた事は無いよ」

 その僕の言葉に、何を感じ取ったか、燐は少し陰りを含んだ眼を僕に向ける。

「まぁ、それもいいんだろうけどね。そんなお兄さんに、あたいから贈りもの」

 何を急に言いだしたかと思うと、燐は自分の胸元に手を突っ込み、探る動作の後、何かを取りだした。

「はい、お兄さん手を出して」

「何処に入れてるんだ君は……まったく」

 いささか抵抗がありながらも、僕は手のひらを差し出した。
 僕の手に被さられた燐の手が離れた際、それは僕の手の上にあった。
 手のひらにすっぽり収まるほどの大きさ、赤い、鉱物……だろうか。
 暖かくはあるが、その質感は、無機質な物体である事を肌で感じさせた。

「これは、宝石? それに――」

「虎目石って言うらしいね。ちなみに赤い色は灼熱地獄印だよ」

 何処まで本当か解らないが、確かにこの種類の石の特徴である、光の当て具合で線が入ったように光る事も確認できる。
 一般的な虎目石と呼ばれる宝石は、黄色みがかかった茶色で、自然色で赤色のものは無い。
 確か熱加工を加える事で色味を変化させる事が出来るはずだが、今燐が差し出したこれは、
 真紅と言えるほど鮮やかな赤だった。

「これは、おくうの為じゃなくて、あたいからの礼。ご飯おいしかったからねぇ」

「……いいのかい?」

 燐は肯く。
 好意の証しだとしても、少し割に合わない気もするが――

「それなら、頂くよ。もしストーブの燃料がまた切れても、これなら代用できるかもしれないしね」

「え?」

「この石の効果は、身体を温める効果もあるから――君はそれを知らなかったのか?」

 てっきり事情を知っているからこそ僕に渡してくれたのだと思ったけれど。
 燐は「何それ?」と言いたそうな表情をしている。
 ならば、ただの偶然という事にしておこう。
 言うタイミングを脱してしまったが、虎目石には商売繁盛の効果もあり、僕にとっては必要なものかもしれない。

「んー、お兄さんが喜んでいるから、それでいっか」

 嬉しそうにしていたつもりは無いのだけれど、僕を姿を見て燐は喜んでいたようだった。




――――――――――――***――――――――――――――――――




『君ともしばらく会わなかったけれど、霊烏路空は元気でいるかい?』

『あー、うん元気元気。でもねぇ、ちっこかった時の事は全然覚えてないみたい』

『……覚えていない?』 『見事に記憶からすっぽり、ね。ほら、夢って見ても覚えてないのが多いでしょ。
 それとおくうはまんま鳥頭だから』

 何故だろう、少し前の燐との会話を、最近は良く思い出す。
 彼女、霊烏路空の記憶に、僕に預かられていた頃の記憶が無いのが、そこまで僕は残念だったのだろうか。
 残念? そうなのだろうか?
 僕は、そこまで彼女に対して興味は持っていなかった筈だった。
 どちらかと言うと、その時の彼女の状態と、核の力について、つまりは空そのものとは別の、能力や性能についてだった。
 あの日々のおかげで、小さな彼女の身体は作り物の人形だと解り、
 その後少しは核融合というものについての知識を深める事が出来た。
 成果は上々だった筈なのに、何故僕は燐との会話を思い出し、ふと物思いにふけっているのだろうか。

 店内は寒い。
 それは、あまり客が訪れないという事も一役買っているかもしれない。
 最近特に客が来ないせいか余計にそう感じてしまい、気が滅入る。
 ふと、僕は机の脇に置いていたものを手に取る。

 半透明な、緑色の円柱。
 上は僅かに溶け、蝋が付着している。
 それは、少し前に点けたアロマキャンドル。
 小さな身体の霊烏路空が見つけ、僕に差し出したものだ。
 彼女と僕が一回点けただけで、まだ消費しつくされていない。
 まだ十分に量のあるそれに、僕は火を点けた。
 ほどなく、店内にハーブのような香りが広がる。
 やはりここには似合わないな、と僕は再確認した。

 店のカウンターに頬杖をつき、僕はあてどもなく時間を潰す。




 そこから見える景色に、僅かに変化が訪れた。
 店先の玄関が開き、客が訪れたのだ。


 そして、そこに立っていたのは。


「霊烏路……空」

 あの時とは違う、均整のとれた、ヒトに近しいシルエット。
 赤の瞳は、僕を捉え、不思議そうにくりりと丸まる。
 彼女が口を開いたのは、驚きの感情と共に。

「あれ、私、あなたと知り合いだったっけ?」

 小首を傾げて、空は僕に問う。

「あと、ここって何やってるの?」

 そして空は興味深げに、店内を見回す。


 その様子に、僕は。


 少しだけ。

――初対面、か―― 


 僕は少しだけ高い動悸を押えて、平静を保つように息を吐いた。

「いや、君とは初めてかもしれないね。何処かですれ違ったりしていなければ」

「そうだよね。でも何で私の名前知ってるの?」

「つまり地上では、君はそれなりに名が通っている、という事だろう」

 少し考える素振りを見せてから、『自分は有名である』と理解したのか、空は嬉しそうに胸を張る。

「なんだ、そんなに私の事、有名なんだ。そうと言ってくれればいいのに、あなた、ややこしい言い方するわね」

「……そうか」

 快活そうな印象は、あの頃と変わってはいないように思える。
 空は僕から視線を外して、再び店内を眺めた。

「で、ここは何なの?」

「見ての通り、古道具屋だよ。欲しいものがあれば相談次第で売る店だ」

「へー。なんか変なものばっかね」

 棚を見上げたり、しゃがんだりして、店内を物色する空の姿が、記憶の中の、小さな彼女が店内を駆け回る姿と重なる。
 眼鏡をかけたまま、僕は眼を瞑り、指で軽く押さえる。

「それで、君は何かここに用かい?」

「……うーん」

「どうしたんだい?」

「……どっかで見たような気がするんだよなぁ。ねぇ、あなた――じゃなっくて」

「森近霖之助だ」

「あ、うん。霖之助、私前ここに来たような気がする」

「……気のせいでは無いか?」

「うーん。なんかね、どっかで……うーん」

 しばらく考えていた空が、何かに気づいたかのように顔を上げる。

「あれ、なんか変なにおいがする」

「変な匂いか。多分これの事じゃないか」

 僕は机に置かれた蝋燭へと視線を送った。
 空は僕に近づいて、それを手に取る。
 そうして、彼女は匂いを嗅ぐ。

「そんなに顔を近づけると危ないよ」

「火は燃えるから危ないもん。それぐらい知ってるよ」

 馬鹿にされたと感じたのか、空は頬をふくらませ、それを見た僕は苦笑する。

「これ変なにおいだけど、懐かしい感じがする。ねぇ、霖之助、これもらっていい?」

 まっすぐな瞳で、僕を見つめる空。
 僕は『代金を』と言いかけて、その言葉をひっこめた。

「……いいよ。使いかけの品だけど、良かったら持っていけ」

 僕の答えに、空は顔を輝かせて、笑んだ。

「やった! ありがと、霖之助」

 その屈託のない笑顔に、僕は少し、気恥ずかしくなる。

「本来は、代金が必要だから、今後は代わりの物を用意してくれると嬉しい」

「うん。よぅし、さっそく、お燐やさとり様たちに見せに行こっと!」

 そう言って、空は踵を返し、元気よく駆けていく。
 開いた戸の先で、鳥の羽ばたきのような音が聞こえて、僕は香霖堂の玄関先まで歩を進める。
 そこに彼女の姿は無い、見上げると、彼女は空高く、妖怪の山の方角へと飛んで行った。
 自由に空を飛ぶ、無邪気な印象。
 彼女が太陽の力を有しているというのが、僕はその姿を見て何だか納得してしまった。

 空を見上げ、吹く風を肌で感じる。

 その寒さに、僕は開かれたままの店内へと戻り、扉を閉めた。

 春はまだ少しだけ、遠いようだ。









―fin―

2009/12/16掲載






◆著者コメント◆

あとがきーです。

うにゅほいいよねうにゅほ。
いや、まぁそんなきっかけです。『デフォルメされたおくう=うにゅほ』なイメージが先行して、本SSは成り立ってます。

あ、初めにお断りしますが、本SSは東方Project作品の二次創作のショートストーリーです。
本編の記述に原作と違う点、二次設定が多々あるかもしれませんが、ご了承ください。

お話のテーマは「存在しなかった日常」というもの。
記憶していなくても、昔あった出来事。それを覚えている人がいて、いつか自分に教えてくれたときに、何だか不思議な気分になる、そんな雰囲気を表現しようとしています。
ただ、表現云々以前に読み易い文であるとは言えませんね。今後の課題がまた増えました。

という訳で、知人の言葉に端を発し、つい書いてしまったSSも何とか完成の日を見る事が出来ました。

最後に、東方作品の原作者、ZUN氏と、東方に関わり、そして愛する全ての方、掲載して頂いたはみゅん氏、 そして読んでくださったあなたに感謝を込めて。

お話は、夢茶がお送りしました。

◆管理人コメント◆

うにゅーうにゅにゅ!(約:うにゅほ可愛いようにゅほ!

やっぱうにゅほは可愛いのうwww
そして霖之助さんは子守りをしている姿が良く似合う。 ……私も霖之助さんにお世話されたいぜッツ!(お

投稿ありがとうございました!






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