【なでなでりん】










「り〜ん、遊びに来たぞぉ!」

「帰れ」

「即答!?」

 その直後、香霖堂は炎に包まれた。

 〜 完 〜

「いやいや! 終わってないから!」




* * *





「……で、今日は何の用だい?」

 普段どおり勘定台で本を読んでいた霖之助が、目の前に居る少女に尋ねる。
 彼の身体は所々黒焦げているように見えるが、それは気の所為である。

「さっき言っただろう? 遊びに来たって」

 霖之助の問いに、目の前に居た少女――妹紅が不機嫌そうに答えた。
 解ってはいた事だが、妹紅の言葉に霖之助は一つ溜息を漏らす。

「はぁ……前から言ってるだろう? 此処は君の暇つぶしの場所ではないと」

「別に良いじゃないか。りんだって暇なんだろう?」

「僕は君程暇じゃないよ」

 そう言って霖之助は湯飲みを口に当て、本のページを捲る。
 だがその姿は如何見ても暇人そのものであり、妹紅も少しカチンと来た。

「りん! お前は私の相手をするよりも、その本を読む方が大事なのか!?」

「君がちゃんとお客として来てくれれば、それなりの対応はするよ……それと『りん』と呼ばないでくれないか?」

「それは……お前が好きなように呼べと言ったんじゃないか!」

「…………そうだったか?」

 霖之助はとぼけている訳ではなく、実際にそのような事は言っていない。
 以前霖之助と妹紅が初めて会って名乗った際に、妹紅が『霖之助だと長くて面倒だ。りん、と呼ばせてもらうぞ』と一方的に言ったのだ。

「……まぁ、いいか」

 暫く考えた挙句、それだけ言って霖之助はお茶を啜る。
 実際のところそれ程問題がある訳ではないし、何より訂正させるのが面倒だからだ。

「それで話を戻すけど、君は暇だから此処に来たのかい?」

「その通りだ!」

 何が誇らしいのか、そのささやかな胸を張る妹紅。
 それを見て、霖之助は再び溜息をついた。

「はぁ……せめて、何か買って行ってくれるなら歓迎するんだがね」

「金は無いが、その代わり食料を持ってきてやってるだろう?」

 そう言って妹紅は、勘定台の上に置かれた野菜を指差す。
 それを見て、霖之助は苦笑を浮かべた。

「まぁ、それはありがたいけどね」

 人間、妖怪問わず受け入れる香霖堂の客は、貨幣という概念が薄い者も多い。
 そんな者達には、物々交換で商品を売っていたりする。
 ……尤も、一番多いのは“店”というものすら理解してない者だが――紅白とか黒白とか。

「だけど、やはりお金で支払われるのが一番良いんだよ」

「何だ? そんなに金が欲しいのか?」

 少し嫌悪が混じった眼差しで睨む妹紅に、霖之助は『そうじゃないよ』と注意してから語り始めた。

「そもそも“貨幣”というものが生まれたのは、それまで主流だった物々交換に限度が生じたからだ。  物々交換と言うのは、双方とも欲しい物がある事で成立する。しかし、常に互いの欲しい物がある訳じゃない」

 突如饒舌になった霖之助に、妹紅はしまった、というような表情をする。
 彼に限った話ではないが、知識人というのは大抵、自分の知識を語りたがっている。
 どうやら、霖之助のスイッチが入ってしまったようだった。

「――片方の望む品があったとしても、相手もそうだとは限らない。  また、交換に使う物が重かったり、量が多かったりしたら持ち運ぶのが大変だ。  そんな不便を解消する為に生まれたのが貨幣だ」

「ふぁ……」

 話が進むにつれて熱意が篭る霖之助。
 だが、妹紅にとっては正直如何でもよく、子守唄代わりにしかならなかった。

「――貨幣として成り立つ条件は大きく分けて三つ。  一つ目はモノの価値を客観的に表す尺度である事、二つ目は価値の保存と記憶、そして交換の媒介となる事だ。  最初は身近な貝や石が使われていたそうだけど、次第に今のような硬貨や紙幣が生まれたんだよ…………ん?」

「ぐぅ……すぅ……」

 ようやく語り終えた霖之助が妹紅に視線を向けると、彼女は既に夢の世界に旅立っていた。
 それを見た霖之助はやれやれと首を振ると、読みかけだった本を閉じて振り上げ――


「ぎゃん!?」


 妹紅の頭に思いっきり叩き付けた。

「ふぉぉぉぉぉぉぉっ!!?」

 突如訪れた衝撃に、彼女は人目も憚らず店内の床を転げ回る。
 それを霖之助は、若干迷惑そうな表情で眺めていた。


 ……


 …………


 ……………………


「い、いきなり何をするんだ!?」

 ようやく痛みが引いたらしい妹紅が、顔を真っ赤にして叫ぶ。
 それは怒りからだけではなく、床を転げ回る等という痴態によるものでもあるようだ。

「それは君が人の話の途中で寝ていたからだよ」

 しかし霖之助は彼女の怒りをあっさり受け流し、涼しい顔で本のページを捲っている。
 その態度が、妹紅の怒りを燃え上がらせた。
 もっと言えば、彼女の周囲に陽炎が揺らめいていた。

「り〜〜〜〜ん〜〜〜〜〜!!」

 小さく、だが激しく燃え盛る炎を手に宿し、妹紅が詰め寄る。
 そしてその燃える拳が振り上げられ、今正に霖之助へ放たれようとしたその瞬間――


 ――ぽふっ


「……へっ?」

 妹紅の頭に、霖之助の手が置かれていた。

「すまなかったな。確かに、あれはやり過ぎたよ」

「あ、あうぅ……」

 そう言って、彼女の頭を霖之助は優しく撫でる。
 彼にしてみれば、妹紅の雰囲気に命の危険を感じたのでとりあえず謝っとこう、という思惑からの行動だ
 だが、思わぬ出来事に混乱した妹紅にそれが解る筈も無く、彼女は顔を真っ赤にして呻くばかりだった。

(あぅあぅ……は、恥ずかしい……! でも、少し気持ち良いかも……)

 まるで、自分が子供に戻ったかのように感じる妹紅だが、それと同時に頭を撫でられる事での心地よさも覚える。
 霖之助の手は、男性らしい逞しさを持ちながらも、どこか女性的な柔らかさのあるものだった。
 その不思議な感覚を、妹紅はくすぐったそうに目を細め、堪能し始めた。
 が、その直後に手は離れていってしまった。
「あっ……」

「ん? どうかしたかい?」

 名残惜しそうに瞳を潤ませる妹紅。

「……はっ!?」

 それを不思議そうに見詰め返す霖之助に、彼女は漸く我に返る。

(し、しまったぁ! よりにもよって、こいつにあんな姿を見せてしまうとはぁぁぁっ!!)

 床を転げ回るのとは比べ物にならない位、恥ずかしい姿を見られた妹紅は頭に手を当て身悶えする。
 恥ずかしさの余り、妹紅は顔から火が出そうだった。
 いや、彼女なら実際に出しかねない。
 いきなりの奇行に、霖之助も少し引いていた。

「……大丈夫かい?」

「はぅぅ……」

 今度はすっかり縮こまっている妹紅を、『忙しい娘だな』と思いながら、霖之助は更に余計な一言を放った。

「それにしても、撫で心地の良い髪だったね。よく手入れされている」

「はへっ!?」

 満足げな笑みを浮かべる霖之助。
 その言葉と共に、妹紅の感情はとうとう爆発した。
 比喩ではなく、物理的に。


「妹紅!? ち、ちょっとまっ――」


 そして、香霖堂はこの日二度目の炎に包まれた。




* * *




「やれやれ……」

 商品の殆どが消し炭になった店の中で、霖之助は小さく溜息をつく。
 炎を放った後すぐに店を出て行ったのか、妹紅の姿は既になかった。
 今後暫く彼女が此処に現れる事はないであろう。
 暫く、と言っても実際は数日程度だろうが。

「……折角持ってきて貰った野菜も、駄目になってしまったな」

 それにしても、先ず最初に心配するのが、自分でも妹紅でもなく野菜であるあたり彼も神経が太い。
 或いは、日々の騒動で慣れてしまっているだけかもしれない。
 尤も、その騒動の原因の一部が自分である事に、彼が気づく事はないだろうが。

「商品も仕入れ直さないとな……明日は忙しくなりそうだ」

 そう言って、霖之助は店の奥に引っ込む。
 その顔は、何処となく楽しそうでもあった。




* * *





「撫でられた……」

 一方妹紅は、天狗に匹敵するのではなかろうか、と思える程のスピードで自分の家に突っ込んだ。
 その際屋根に穴が空いてしまったが、今の彼女には些細な事だった。

「褒められた……」

 霖之助にされたように、妹紅は自分の頭を撫でてみる。
 自然と笑いが漏れていた。
 不老不死故に、最近まで人から隠れるように暮らしきた彼女にとって、今日の出来事は人格がちょっと変わっちゃう位に衝撃的だったのだ。

「ふふ、ふふふ……」

 その所為で、後日文々。新聞の見出しを飾ってまた一騒動起こるのだが、それは別のお話である――














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