【天に咲く花は】










「……のすけ、おき……」

「うん……」

 誰かが身体を揺さぶる。
 その声と振動が朝が来た事を告げてくる。
 だが気を使って抑えているのだろう、微弱な振動では逆に眠気を増幅するだけだ。
 現に、朝の日差しを受けて目覚めかけていた僕の意識は、再び闇に包まれていく。
 眠いのなら無理をする事はない。
 僕を起こそうとする人物には悪いが、二度寝と洒落込ませてもらおう。

「困った、全然起きないな。よし!」

 うん?
 何やら気合の入った声だな。
 まぁ、そんな事はどうでも良い――おやすみ。


 ……


 …………


 ……………………ごっすん!


「ごふっ!?」

 何か途轍もない衝撃が腹を襲い、僕は跳ね起きた。

「お、ようやく起きたな。おはよう、霖之助」

 慌てて周囲を見渡せば、隣にいたのは慧音だった。
 彼女はまるで悪戯が成功した子供のように満足気な笑みを浮かべている。

「……やぁ慧音。それよりも今何かしなかったか?」

「むっ!?」

 僕が尋ねると、慧音は不機嫌そうに顔を顰めた――何か不味い事を言っただろうか?

「違うだろ霖之助! 起きたらまず最初に『おはようございます』だ。ほら、もう一度」

「…………あぁ、おはよう」

「うむ! おはようだ霖之助。朝食の用意は出来てるから、着替えたら居間まで来てくれ」

 僕がちゃんと挨拶した事に満足したのか、慧音は笑顔で居間の方に歩いていく。
 余りにも当たり前のように言うもんだから、何が訊きたかったのか忘れてしまった。
 まぁ、忘れるくらいなら大した事じゃないだろう。
 そう思考を切り替えて、僕は着替える事にする。
 すると――


「あぁ、そうだ霖之助ー。今夜の事で相談、が…………」


 居間に向かった筈の慧音がひょっこり戻ってきた。
 だが、何故か部屋に入ってきた瞬間顔を真っ赤にして固まってしまう。

「す、すまん!」

 そして、数秒の後に天狗も吃驚な速度で再び部屋から出て行った。
 はて、僕は何かしただろうか?
 とりあえず、まだ着ていなかった上着を羽織って慧音の後を追った。




* * *





 ――カチャカチャ。

 香霖堂の居間に、食器の音が響く。
 その音の中心、卓袱台を挟んで僕と慧音は朝食を取っていた。
 慧音とは度々こうして食事を共にする――と言うのも、僕と慧音は彼女が正真正銘の人間だった頃からの知り合いで、その頃から彼女は彼是と世話を焼いてきたのだ。
 しかし、今日は普段と雰囲気が明らかに違っていた。
 いつもなら、食事中のマナーだとか僕の愛想の無さだとかに口煩いくらいに注意してくるのだが、今日に限ってそれがない。
 だが今は、『これって、普通逆じゃないか……?』とか『意外と引き締まってるんだな』等々、よく解らない事を真っ赤な顔で物々と呟いている。
 正直不気味だ。

「……慧音」

「わっひゃい!?」

 異様な雰囲気に耐え切れなくなって、僕は恐る恐る慧音に声を掛ける。
 すると、彼女は奇妙な声を上げて、肩をビクッ、と震わせた。

「あ、いやなんだ……すまない」

 彼女の余りの驚きように、つい反射的に僕は謝ってしまった。

「…………はっ!?」

 しかし、一応の効果はあったようで慧音の意識はこっちに戻ってきたようだ。

「大丈夫か? 体調が悪いようなら奥で休むと良い。片付けは僕がやっておくよ」

「あぁ、いやそんなんじゃないんだ!」

「そうかい? なら別に良いんだが」

「あ、あぁ……。心配掛けてすまなかったな」

 それだけ言って黙り込む慧音。
 先程とは別の意味で話しかけ辛い雰囲気だ。
 何とか話題は無いものか、と考えていたら、着替えの際での慧音の言葉を思い出した。

「そう言えば、今夜の事で何か話があるんじゃなかったのか?」

「え? ……あぁ、そう言えばそうだったな」

 一瞬キョトンとした慧音だったが、すぐに思い出して手をポンと叩いた。

「実は、今夜里で夏祭りがあるんだ。……それで、良かったら一緒に見に行かないか、と思って……」

 最後の方はごにょごにょと呟くようになって、よく聞こえなかったが、慧音が僕を祭りに誘っている事は解った。
 祭り、か……さてどうしたものか。

「……もしかして、もう今夜の予定は決まっているのか?」

 僕が中々返事をしないのを受けてか、僅かに悲しげな表情をする。
 それを見て、僕はこっそり溜息を吐いた――我ながらこの表情には弱いな。

「いや、特に予定は無いよ。……そうだね、偶には祭りに行くのも悪くないかもしれないな」

 パァ、と慧音の表情が明るくなる。
 普段は堅物とすら言われる彼女だが、その笑顔はとても可愛らしいものだ。

「そ、それじゃあ夕方寺小屋まで来てくれ!」

「あぁ、解ったよ。……それより、もうそろそろ行かないと不味いんじゃないか?」

「え? ……あぁ! 本当だ!」

 慧音がこの香霖堂で朝を過ごして寺小屋に行く、と言うのは割と良くある事だ。
 しかし彼女の家は人里にあるので、わざわざ朝早くにここに来て朝食を取ったらまた里に戻る、と言う面倒な事をしている事になる。
 以前、その事について訊ねたら――

『なら、ここに住ませてくれ。それなら万事解決だ。……あぁ、お前が里に来ればもっと楽だな』

 ――と、明らかに本気と取れる顔で言われてしまった。
 以来、僕はこの事に関しては口を出さないようにしている。

「すまん! 時間が無いから片付けは頼む!」

「あぁ、それぐらいなら構わないから、急いだ方が良い。君が遅刻したら生徒に示しがつかないだろう?」

 あたふたと準備をする慧音を手伝い、玄関まで見送る。

「それじゃあ、約束忘れるんじゃないぞ!」

 そう叫んで、慧音は人里に向かって飛んで行く。
 余程祭りが楽しみなのか、今の彼女なら天狗とも良い勝負になるのでは、と思わせるほどの早さだった。




* * *





「けーねせんせーまたねー!」

「あぁ、今日は祭りだからって、あんまりはしゃぎ過ぎるんじゃないぞ!」

「早くお祭りいこうぜ!」

 約束の時間になって、僕が寺小屋を訪れたのは、丁度授業が終わった頃のようだった。
 一人、また一人と生徒であろう子供達が出てくる。
 慧音に頼まれて何度か教師として授業を行った事があるから、見覚えのある顔もちらほら見えた。
 それを慧音は入り口で見送っていた。
 仕事の邪魔になってはいかんと、暫く離れたところで眺めていると、生徒の一人が僕の方を指差して何事か叫んでいる。
 と、その直後慧音が此方に走ってきた――何故か、真っ赤な顔をして。

「も、もう来てたのか。早いな霖之助」

「夕方に来い、とは言われたが、細かい時間が解らなかったからね。早めに出たんだよ」

「そ、そうか」

「それは兎も角、後ろで君の生徒達が笑いながらこっちを見てるけど……どうかしたのかい?」

「いいい、いや、なんでもないんだ! こらお前達早く帰らないと祭りに遅れるぞっ!」

 更に顔を赤くした慧音が吼えると、子供達は笑い声を上げつつも、蜘蛛の子を散らしたように走り去って行った。




* * *





「待たせたな」

 およそ一時間後、その声に振り向いた僕の目に入ってきたのは、浴衣を着た慧音の姿だった。
 いつもの特徴的な帽子は被っておらず、腰まである蒼銀の髪は後頭部で縛られている。
 準備がある、と言って自室に戻っていたのはこれに着替える為だったのか。

「あぁ。……その浴衣は?」

「ん? 折角の祭りだからな、どうだ似合うか?」

 くるり、と慧音はその場で一回転する。
 髪の毛がふわっと舞い、ほのかな香りが僕の鼻腔を擽る――香水だろうか?
 彼女の着ている浴衣は花模様の入った薄紅色の物で、普段の服装から青系統の色が彼女に似合うと思っていたが、中々新鮮で良い感じだった。

「うん、似合っている。とても綺麗だと思うよ」

「そ、そうか?」

 まるで今着ている浴衣のように、頬を薄紅色に染めた慧音がくすぐったそうに笑う。
 良く見れば、薄く化粧も施してあるようだ。
 化粧一つでこうも変わるのかと、思わず見惚れてしまう。

「それにしても香水に化粧とは……君はそういうのをしないと思っていたんだが」

「まぁ、普段なら兎も角、折角お前と祭りを回るんだ。おめかしくらいするさ。……もしかして、こういうの嫌か?」

「そんな事は無いよ」

「良かった……」

 ほっ、と息を吐いた慧音は、次の瞬間僕の手を取り引っ張る。

「ほらもう祭りは始まってるんだから早く行くぞ!」

「……待たせたのは君じゃないか」

 そう文句を良いつつも、僕は慧音に引っ張られるまま祭りの喧騒へと飛び込む。
 彼女の手は、いつもよりほんの少し熱を帯びていた――




* * *





「ざんね〜ん、はずれ!」

「く、くそ!」

 今、僕等は射的屋に来ている。
 目の前で玩具の銃を構える慧音は、どうやら全弾使い切ったらしい。
 因みに僕は、此処までに買った綿菓子やら林檎飴やらの荷物持ちだ。

「うぅ、こんな銃じゃなくて私自身の弾なら――」

「こらこら、そんな事したらこの店が吹っ飛んでしまうだろう?」

 何やら不穏な事を口にしている慧音の頭に手刀を叩き込む。
 その光景に、周りからクスクスと笑い声が起きた。

「はっは! 普段はしっかり者の慧音先生も旦那さんの前では可愛らしいもんですな!」

「っ!?」

「なっ、だ、だんな!?」

「おや、違うんですかい? 随分仲睦まじいようだからそうなのかと思っちまったよ!」

「う、うぅ〜〜〜!」

 がっはっは、と豪快に笑う射的屋の親父さんの言葉に、慧音が瞬間的に赤くなって唸っている。
 何とかフォローしてやりたかったが、何故か思考が凍り付いてそれは叶わない。
 そうこうしている内に、慧音が僕の腕をガシッと掴む。

「霖之助行くぞ! そろそろ花火の時間だしな!」

「あ、あぁ……」

 その鬼気迫る表情に思わず頷く。
 なんと言うか、今何か反論したら速頭突きを喰らうような気がしたのだ。

「おしあわせに〜!」

「ううううう、うるさい! だから違う!」




* * *





「た〜まや〜」

「か〜ぎや〜」

 周囲からそんな声が聞こえる。
 僕等の視線の先では、無数の花火が夜空に咲き乱れている。

「綺麗だな……」

 隣で僕同様花火を眺めていた慧音がポツリと呟く。

「あぁ。……花火は『美しく魅せる』と言う点ではスペルカードと同じだが、そちらとはまた違う趣があるな」

 それは用途の違いだろうか?
 スペルカードは決闘の為のもので、花火は純粋に人を魅せる為のもの――尤も、花火も起源を辿れば戦に使われていたそうだが。

「そうだな。私達の放つ弾幕も美しくはあるが、こう人を喜ばす事は出来ない」

「まぁ、弾幕ごっこを観戦するなんて命知らずな真似は普通しないね」

 紅魔館の主であるレミリアは部下のそれを見て愉しんでいるそうだが、そちらは少し違うだろう。
 そんな他愛もない事を考えながら、花火を眺め続ける。

「なぁ、霖之助」

「なんだい?」

「その、だな……さっき射的屋で、その……に間違われた時、どう思った?」

「? 良く聞こえなかったんだが……」

 普段の毅然とした態度からは想像も出来ないほどの小声の所為で、上手く聞き取れない。
 僕が首を傾げていると、慧音は段々と顔を赤く染めていき――って、今日はそればっかりだな。

「だからその……夫婦に間違われた事、だ……」

「……あぁ、その事か」

 相変わらずのぼそぼそ声だが、今度は辛うじて拾う事ができた。

「『その事か』とはなんだ! 私にとっては大事な事なんだぞ!」

「わ、解ったから頭突きは止めてくれ!」

 ごっすんごっすんと繰り出される彼女の頭突きは、幻想郷縁起にも載っているだけあって痛い。
 何とか慧音を宥めてから、僕は花火を眺めつつもなんと答えるのかを考えた。
 さっきは素っ気無く返したが、あの時僕は確かに胸の高鳴りを覚えていた。
 それはつまり――

「……慧音、今打ち上がっている花火は何と言う種類か知っているかい?」

「は? 一体何の事……」

 流石に話の意図が掴めずキョトンとしているが、僕の顔が冗談を言っていない事に気付いたのだろう、すぐに視線を上に上げた。

「今打ちあがっているのは……打ち上げ花火の中で最も基本的な『菊先』だな」

「そうだ。菊先とは名前どおり、火が菊の花のように広がる事から付けられたものだが……菊の花言葉にはどんなのがある?」

「うぅん? 確か『高貴』、『高尚』、『高潔』……とかだったな」

「あぁ、けど他にもある。例えば――」

 一拍置いて、僕はそれを口にした。


「『私は彼方を愛する』――とかかな」


「っ!? 霖之助、それって……」

「まぁ、そう言う事なんじゃないかな」

 化粧をした慧音に見惚れたのも、夫婦と勘違いされて胸が高鳴ったのも……要するにそう言う事なのだ。
 言ってから、顔に熱が集まるのを感じる――きっと、今までとは逆に今度は僕が顔を紅くしているのだろう。
 無性に恥ずかしくなって、僕は慧音から顔を逸らすように花火が打ち上がり続ける夜空へと顔を向ける――が、それは慧音の手によって途中で遮られた。

「……慧音?」

「その、なんだ……折角“あの”霖之助が想いを伝えてくれたんだ。ちゃんと答えるのが筋ってもんだろう?」

 僕に劣らないだろう真っ赤な顔で、それでも彼女は嬉しそうに微笑む。
 そして、夜空を埋め尽くす美しき火の花に照らされながら……僕等は口付けを交わした――














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