【吸血鬼異変】
「――藍、状況はどうかしら?」 夜にも拘らず日傘を差し、紫色のドレスに身を包んだ妙齢の美女――八雲紫の呼びかけに、彼女の背後に控えていた藍は小さく頷く。 「はい、現在我等に協力している妖怪は幻想郷全体のおよそ二割。《紅い悪魔》は七割を手中に収めてます」 「残り一割は?」 「中立、と言ったところです。その中には香霖堂や人里の半獣のような、敵対したら厄介な存在もいますが……彼等なら問題ないでしょう」 意外な名が出た事に、紫は面白そうに笑う。 「霖之助は妖怪としての力は兎も角、店にある道具や彼のマジックアイテム製作技術は侮れないものがあります。監視は怠らないように」 「はっ」 「それより、実質的な戦力差はどの程度かしら?」 戦において、数が多い方が勝つのは真理だ――だが、絶対ではない。 時に質が量を圧倒する事もある。 個体によって様々な固有能力を持つ妖怪なら尚更だ。 「向こうには低級、中級妖怪、此方には上級妖怪が多く付いています。実質的な戦力差は五分かと」 「そう。……なら、正面からぶつかるのは避けた方が良いわね」 紫は決して騒動は嫌いではないが、争いを望んでいる訳ではない。 むしろ、誰よりも幻想郷を愛している。 そんな彼女が、下手すれば幻想郷を焦土にしかねない戦に消極的なのは仕方が無い事だろう。 そしてそれは藍も同様だ。 「ですね。正直、一部の好戦的な一派を抑えるのには苦労しています」 しかし、元来妖怪は自分勝手なもの。 この期に乗じて自分も暴れようとする者はどちらの陣営にもいた。 紫が頭を悩ませていたのは、如何にそういう連中を抑えて事態を丸く収めるかだった。 「仕方ないわね……。藍、もう少し苦労を掛けるけど頼むわね?」 「御意」 ふっ、と藍の姿が消える。 しかし紫はそれには目もくれず、ひたすらに目の前の――湖の畔に建つ、紅い屋敷を見据えていた。 * * * ――事の発端は一月ほど前。 幻想郷に最高位の力を誇る妖怪、吸血鬼が現れた。 それだけなら問題ではないが、事もあろうにその吸血鬼――《紅い悪魔》レミリア・スカーレットは幻想郷を我が物にしようと暴れ始めたのだ。 レミリアは僅か二週間ほどで幻想郷の妖怪の大部分を支配下に置いていた。 これを幻想郷崩壊の危機、と感じた者達は妖怪の賢者と呼ばれる八雲紫を中心に結集した。 後に『吸血鬼異変』と呼ばれる騒動――戦争が幕を開けたのである。 * * * 「さて、どうしましょうか」 とても悩んでいるように聞こえない声で言ったのは、この騒動の元凶であるレミリアだった。 彼女は今月光の下紅魔館のテラスで紅茶を飲んでいた。 向かいの席には親友である魔女パチュリー・ノーレッジ、そして二人から一歩離れた位置に控えるのは、人間でありながらレミリアに付き従う十六夜咲夜だ。 「どうしましょう、と言われてもね……」 パチュリーは読んでいた小説から視線を上げ、レミリアの顔を見る。 「此処まで大きくなってしまった以上、簡単には収まらないわよ?」 「そうなのよね……」 疲れたような表情で紅茶を啜るレミリアは、とてもではないが最強の悪魔の威厳は無い。 それもその筈、彼女は強大な力を持ち五百年近い時を生きつつも、精神的にはまだ子供だ。 今回の騒動にしても好き勝手に暴れたいだけであり、実際のところ彼女は幻想郷の支配など考えていない。 「では、向こう側の頭に話をして和平してはどうですか」 「そういう訳には行かないわよ」 咲夜の提案を、しかしレミリアはあっさりと切り捨てる。 パチュリーの言った通り、最早自体はレミリアや紫と言った一部の者だけでは片をつける事が出来ないほどに進行している。 何より、レミリアの無駄に高い矜持が許さないのだ。 「そんな降伏みたいな無様な真似は絶対許さないわ。終わらせるなら私の勝利で、よ!」 「「はぁ……」」 それが一番難しいのだ――そんな意味を込めて、咲夜とパチュリーが溜息を吐く。 「あ」 しかし、パチュリーのページを捲ろうとした手が止まる。 「良い方法があったわ」 「「?」」 * * * 「紫様! レミリア・スカーレットからこんな物が」 藍が差し出したのは、一通の手紙だった。 「ん? どれどれ……」 紫はそれを受け取り、目を通す。 最初は真剣に読み進めていた紫だが、次第に笑みが浮かび始めた。 「紫様?」 一通り読み終えた紫は、藍に手紙を返す。 紫に許可を貰い読んでみると、それは決闘状だった。 「いい加減騒動を収めたいからトップ同士――私とレミリアで一対一の決闘を行いましょう、だなんて身勝手にも程があるわね」 そもそも元凶はそっちでしょうが――等と愚痴る紫に、藍は首を傾げる。 「では、決闘はお受けにならないので?」 「あら、誰がそんな事言ったのかしら? 折角向こうが事を収める気になってくれたんだから、乗らない手は無いでしょう」 「解りました。決闘はお受けする、と伝えておきます」 「えぇ、頼んだわね」 * * * 「お嬢様、決闘の件あちらも了承したようです」 「そう、ご苦労様」 「いえ」 報告を終えた咲夜が一歩下がる。 と同時に、レミリアは視線を正面のパチュリーに向けた。 レミリア達は、先日と同じようにテラスでティータイムだ。 「それにしても、よく決闘なんて手段が思いついたわね」 「ん? あぁ、丁度あの時読んでた本に決闘のシーンが出てたのよ。それでこれは使えるな、って」 「そんな理由だったの?」 クスクス笑いながら、レミリアはティーカップに口を付ける。 切っ掛けはどうであれ決闘と言う方法自体は悪いものではない、とレミリアは思う。 戦において頭を討ち取られる事は敗北であり、正面から堂々と敵将を潰せば後腐れなく戦いを終結できるのだ。 パチュリーもまた同じように紅茶を口に含む、と同時に思い出したように行った。 「そう言えば、あの本の中には『わざと決闘に遅れて相手を怒らせ、冷静さを欠かせる事で勝利する』と言う戦法が取られていたわね」 「なにそれ。そんなの、自分が弱いって認めてるようなもんじゃない」 「でも、戦術としては有効よ。試してみたら?」 「お生憎様、私は最強の悪魔吸血鬼よ。そんな小細工を使う必要はないわ」 「それなら良いんだけど」 そう言いつつも、パチュリーの顔は晴れない。 紅魔館の頭脳として、幾ら親友と言えど過大評価はできないのだろう。 「大丈夫です、パチュリー様」 考えている事が解ったのだろう、咲夜がパチュリーの肩に手を乗せる。 そして絶対の自信を持って、言った。 「お嬢様は負けません」 「……そうね」 * * * ――そして、決闘の日。 「…………遅い!」 レミリア・スカーレットは、決闘の舞台である霧の湖の上で思いっきり怒っていた。 何しろ、約束の時間になっても八雲紫が来ないのだ。 レミリアの脳裏に、先日パチュリーから聞いたわざと遅れる戦法の事が過ぎった。 (まさか、あいつ私の冷静さを欠こうと?) そして、いい加減野次馬達も痺れを切らしてきた頃―― 「お待たせいたしましたわ」 空間を割ってようやく紫が姿を現した。 「随分と遅かったじゃない。なに? 寝坊でもしたって言うの?」 「えぇ」 「…………」 レミリアは冗談のつもりで言ったのだが、相手は一日十二時間眠り冬には冬眠まですると言う八雲紫、思いっきり正解だったらしい。 余りにも堂々とした開き直りっぷりから、レミリアは待たされた事の怒りも何処かへ飛んでしまった。 思考を切り替える為に深呼吸した後、表情を真剣なものに変える。 「……まぁ、いいわ。それよりも解ってるんでしょうね?」 「『負けたら勝った方の言う事を聞く』でしたか……ちゃんと解ってますわ」 「解ってるなら良いわ。……それじゃあ行くわよっ!」 ボッ、という音と共に一気に加速したレミリアは一瞬で紫の懐に入り、あらゆる名刀に勝るだろう鋭い爪を振るう。 自身でも避ける事は不可能、と思うほどの神速の一撃。 しかし―― 「あら? どちらを向いてるのかしら?」 「っ!?」 レミリアの背後から紫の声が響いた。 慌てて振り向くレミリア、しかし紫はそれよりも早く手に持った扇子から苦無弾を放つ。 レミリアもまた手から無数の紅弾を放つが、反応が遅れた所為で全ての苦無弾を撃ち落す事が出来ず何発か掠ってしまった。 「くっ……」 レミリアは更に自身の身丈ほどもある紅い蝙蝠弾を放つ。 しかしそれは紫が自身の前に開いたスキマに呑み込まれてしまった。 (ちっ、さっきのはあれの所為ね……!) 此処でようやく、レミリアは最初の一撃が躱された理由を理解した。 爪が身体に届く一瞬の間にスキマを開き、レミリア自身を別の場所に飛ばしたのだ。 即ち、紫が躱したのではなく、レミリアが勝手に攻撃を外した、と言う訳だ。 「呆っとしていて良いのかしら?」 「これは!?」 紫の声にはっ、と気付くと、周囲の空間に無数の照準が展開していた。 その内の一つはレミリアを捉えている。 躱す間もなく、スキマから高速飛行物体が照準目掛けて飛び出した。 「ちっ、舐めるんじゃないわよ!」 だがレミリアの身体が打ち抜かれようとした瞬間、彼女から猛烈な勢いで紅い光が噴出した。 紅い光はまるで十字架のような形を成し、高速飛行物体を呑み込んでいく。 「もういっちょ行くわよ!」 光が収まると同時に、今度は魔方陣から小型の蝙蝠弾を六発放つ。 「甘いわね」 しかし蝙蝠弾はさっきと同様にスキマに呑み込まれてしまう。 そして、再び開いたスキマから呑みこまれた筈の小蝙蝠弾六発が出てきた。 「ふふん、それくらいお見通しよ! こっちが本命っ!」 ニヤリと笑ってレミリアは先に刃の着いた巨大な鎖を飛ばす。 鎖は小蝙蝠弾を弾き飛ばし、一直線に紫に向かって飛んでいく。 「これならそう簡単には呑み込めないんじゃない!?」 「そうね……けど、当たらなければどうって事ないわ」 開いたスキマに自身を沈めて行く。 空を切る鎖、しかしレミリアは待っていたと言わんばかりに笑みを深くする。 「そこよ!」 紫が背後に現れたところを狙って、新たな鎖を放つ。 鎖は空間移動をしたばかりで隙だらけの紫を、今度こそ捉えた。 「くっ!」 レミリアの強大な魔力により構築された鎖は、蛇の如く紫を締め上げその動きを封じる。 「ふふん、どうかしら? これならスキマに逃げる事も出来ないでしょう?」 一本目の鎖を消し、代わりに光の槍をその手に出す。 そしてそれを投げようと構えて――紫の顔に笑みが浮かんでいる事に気付いた。 「……何が可笑しいのかしら?」 「ふふ、可笑しくなんてないわ。……唯、一つ忠告を、と思ってね」 「へぇ、一体何かしら?」 話には乗るものの、レミリアは一切油断せず紫の動向を探る。 しかし、それこそが紫の狙いだった。 「――頭上注意、ですわ」 「っ!?」 はっ、とレミリアは真上を見上げる。 そこにスキマが開き、墓石がレミリアに向かって落とされる。 普段のレミリアなら充分避けれる攻撃だっただろう、しかし紫に全神経を集中させていた為、頭上と言う予想外の方向からの攻撃に反応が一瞬遅れてしまった。 「きゃあぁぁっ!!」 墓石自体の重量に加え、落下速度をプラスされた衝撃がレミリアを襲う。 その余りの衝撃に一瞬意識を持っていかれたレミリアは、重力に引かれ墓石と共に落下していく。 「お嬢様!」 「レミィ!」 思わずレミリアの名を叫ぶ咲夜とパチュリー。 吸血鬼は流水を弱点としているのだから、このまま下の湖に落ちてしまったら大ダメージどころの話ではないのだ。 しかも、一瞬とは言え意識が飛んだ事で鎖が消えた為、束縛から逃れた紫は手に持った日傘からレーザーを雨のように降らせる。 「くっ……あぁっ!」 レミリアは雄叫びと共に紅いオーラを纏い、墓石を破壊し、レーザーをものともせず一直線に紫へと突っ込む。 その様は正に弾丸、最初の一撃を更に上回る速度にさしもの紫も、今度ばかりは対処できずに直撃を貰ってしまった。 「か、はっ……!」 「今度こそ、頂くわよ!」 大きく吹き飛ぶ紫を見て、今こそ千載一遇のチャンスと見たレミリアは先程よりも更に巨大な光の槍を構築する。 「…………舐めるんではなくてよ! 高々五百年程度生きただけの小娘が!」 体勢を立て直した紫が吼える。 その表情からは、今まで常にあった余裕が消えていた――即ち、目の前の吸血鬼を全力を持って潰すべき『敵』と認識した証。 右手を突き出し、その先の空間がピキ、ピキキ、と音を立てて徐々にひび割れて行く。 しかしその大きさが尋常ではない、既に紫の身の丈を超え、小さな建物なら丸ごと入りそうなほどだ。 「何をするつもりか知らないけど……もう遅いわよ!」 光の槍を手に、レミリアは紫に向かって飛ぶ。 そのスピードは先程と同等、瞬時に間合いを詰めたレミリアが槍を突き出す。 その瞬間―― 「『巨大』と言う言葉の本当の意味を知って、往ね」 ガラスの割れるような音と共にスキマが開き、そこから四角い鉄の塊――電車が飛び出した。 電車は突き出された光の槍とぶつかり、激しい火花を散らす。 やがて槍に凝縮された魔力に耐え切れなくなった電車が跡形もなく消えるが、電車はその一両だけではない。 一両目が消されれば二両目が、二両目が消されれば今度は三両目と、次から次へと押し寄せてくる。 電車自体は何の魔力付加もない、唯単に外界から召喚した物に過ぎない。 にも拘らず、『巨大』と言う一点のみで吸血鬼の強大な魔力が凝縮された光の槍と拮抗しているのだ。 「『巨大』とは即ち、何処まで行こうと果てが無い事――如何に貴女の力が強大であろうと、この世の全ての鉄を消し去る事は出来るのかしら?」 紫が唄う――それに応えるように、電車の勢いが増す。 「私の力は運命を操る、そして今の私に敗北の運命は視えない! 故に勝つのはこの私!」 レミリアが吼える――魔力を更に注ぎ込まれ、槍はより強く輝く。 やがて、霧の湖全体を覆うほどの爆発が巻き起こった―― * * * 「――めでたし、めでたし」 「……ちょっとまて、まだ何も終わってないぞ?」 処変わって香霖堂、呆れ顔で霖之助が目の前に座る紫を見ている。 今彼は、紫から吸血鬼異変の顛末について話を聞いていた。 別に理由など無い、偶々紫が香霖堂に来たので話をしていたら、そういう方向に話題が流れただけだ。 「あら、どこか不満かしら? 互いに全力を出し合った末の相討ち……決着の付き方としては中々だと思わない?」 「それはどうかは知らないが、現に君は勝利し吸血鬼条約を結んだんだろう? なら此処で終わるのはおかしい筈だ」 「……そこまで言うなら教えてあげますわ。でも、せっかちな男性は嫌われますわよ?」 「生憎、好かれたいと思う相手もいないものでね」 「そ、そう……」 何処と無く消沈した様子の紫だが、暫くしてつまらなそうに語る。 「……別に、面白いものではなくてよ。レミリアが全力を出した反動で疲弊したところに、最初に吸収した彼女の弾をお返ししてあげただけですから」 「なるほど、それまでの派手な戦闘は切り札を隠す為の囮か。中々えげつない事をする」 「切り札=最大の技とは限りませんわ。切り札とは確実に相手に止めを刺すもの、使い方次第ではどんなものでも切り札足りえるのよ」 「憶えておこう」 話は終わったと言わんばかりに、紫が立ち上がる。 「おや、お帰りかい?」 「えぇ、そろそろ帰らないと藍が心配するからね。……それとも、私に帰って欲しくないのかしら?」 妖しげに微笑む紫に対し、霖之助は『いや結構』と首を振る。 「…………そう。まぁ、今日は中々楽しかったから良いですけど」 「僕も面白い話を聞けて良かったよ。ありがとう紫」 「貴方に礼を言われるなんて、明日は槍が降りそうね。……それじゃあ、またいずれ」 言葉とは裏腹に満更でもない笑みを浮かべ、紫はスキマへと戻っていく。 彼女の姿が完全に消え、スキマが閉じた頃、霖之助はポツリと呟く。 「吸血鬼異変……スペルカードルール制定の原因となった異変か……。もしかしたら、全て紫の掌の上の出来事だったのかもしれないな」 在り得ない話ではないと霖之助は思う。 そもそも紫が本気でレミリアを排除する気だったならば、迷わず自身の能力を使って、レミリアを文字通り消し去っていただろう。 境界を操る程度の能力――それを使えば、たとえ死の概念が無い存在ですら殺せる筈だ。 それにも拘らず、『戦闘』と言う面倒極まりない手段で解決したのは、これを利用できると考えたからか。 「――どちらにせよ、僕には関係ないな」 そう結論付けて、霖之助は考える事を止める。 どれだけ仮説を立てたところで、結局のところ真実を知るのは紫のみなのだから―― * * * 「紫様、随分楽しそうですが何か良い事でも?」 屋敷に帰って早々、藍がそう訊ねる。 「えぇ、昔話を少々、ね。それと湯の準備をお願い」 「はい」 紫の言葉に納得したのか、それ以上は訊かずに風呂の準備へと向かう。 普段の言動から余り信用されないものの、紫は割と話し好きだ。 その事を知っている藍からすれば、充分納得できる理由だったのだろう。 藍の背中を眺めながら、紫は小さく微笑む。 「ゲームとは無から生まれるのではなく、傍にあるものを利用する事で生まれるのよ――」 |