【巫女を辞めた日】










「霖之助さん、私決めたわ」

 唐突にそう呟いて霊夢は立ち上がった。
 とうとうツケを払う気になったか――そんなありえない妄想をしつつも、とりあえず彼女の言葉に耳を傾けてみる。
 どうせ大した事ではないだろうが。


「私……巫女を辞めるわ!」


「ぶほっ!?」

 途轍もなく大した事だった。

「げふ、ごふ……と、唐突に何を言ってるんだ君は!?」

 余りにも予想外な一言に、思わず飲んでいたお茶を噴出してしまった僕は、咽ながらも何とか尋ねる。
 出来れば、『冗談よ』と言ってほしかったが、霊夢の眼は至って本気だった――『本気』と書いて『マジ』と読むくらいに。

「だって、誰もお賽銭入れてくれないんだもの。このままじゃ霖之助さんにツケを払う事も出来ないわ」

 最初から払う気は無いだろう――と言いたいのをぐっと我慢して、僕は彼女を何とか説得しようとする。

「だが、君が巫女を辞めたら異変は誰が解決するんだ?」

「あら、それなら魔理沙とかもいるじゃない。それに私が巫女じゃなくなっても妖怪退治はできるわよ」

「なら、幻想郷はどうする? 博麗の巫女は博麗大結界を管理する役目を持っているんだろう?」

「それは最初から紫に任せてるわよ。紫も自分の式に押し付けてるみたいだけど」

 あぁ言えばこう言う、とは正にこの事か。
 ならば少し攻め手を変えてみよう。

「しかし巫女を辞めると言うなら、一体何をする気なんだい?」

「何を……?」

 途端に首をかしげて『う〜ん』と唸り始める霊夢。
 やっぱりと言うかなんと言うか、思い付きで言っていたらしい――それでいて本気なのだから性質が悪いのだが。
 とは言え、説得するならここがチャンスか。

「やれやれ……思い付きで――」

「あ、なら道具屋になるわ! と言う訳で今日からここで修行させてね」

「――物事を決めるもんじゃ…………って、は?」

 イマナントイッタ?

「霊夢……良く聞こえなかったんだが」

「何? 霖之助さんボケたの? 道具屋になるからここで修行させて、って言ったのよ」

 本日二度目の問題発言だった。

「…………色々と訊きたい事はあるが、この一言に集約させてもらうよ――何故?」

「ん〜、道具屋になる事にした理由は一言で言えば勘ね。これしかない、って思ったのよ。で、ここで修行する理由は他にお店やってる知り合いがいないから。これで良い?」

「…………あぁ、解り易い説明ありがとう」

 それはそれは霊夢らしい理由だった。
 それ故に彼女が伊達や酔狂で言っている訳ではない事が解ってしまう。
 これでは彼女を思い止まらせるのは無理そうだ。
 仕方ない、それならば――

「解った。君の好きにすると良い。ただし、僕は甘やかすつもりは無いよ?」

「望むところよ! あっと言う間に霖之助さんを超えてあげるわ!」

「それは頼もしい限りだ」

 彼女の好きにさせてやろう、そんな日もあるものだ。
 こうして、霊夢の道具屋修行が始まった。




* * *





「さて、まず最初だが……店の整理整頓をやってもらおうか」

「そんな事で良いの?」

 一時間ほどして、巫女服から着替えた霊夢に仕事の説明をする。
 当初はいつもの巫女服で良いと思っていたのだが、霊夢が『巫女を辞めるんだから服も変えないと』と主張するので、先日無縁塚で拾った『ウェイトレスの制服』を着てもらう事にしたのだ。
 制服のデザインは紅魔館のメイド長が着ている物に近く、スカートが短い為太腿まで露出していて、新鮮と言うか……なんだか妙な感じだ。
 因みに本来これは飲食店で働く女性の服なのだが……他に良い物も無かったし、良しとしよう。

「そんな事、と言うがね、これは中々大変だよ? 何処にどの商品を置くのかも考えないといけないし」

 しかし、そんな事は表情には出さないように説明を続ける。
 どうやら霊夢の方も気付いてはいないらしく、僕の言葉に納得してポン、と手を叩いていた。

「あ、そっか。家の片付けみたいに、押入れに詰め込んで終わり、って訳には行かないのね」

「まぁ、そんなところだ」

 そんな発想が出ると言う事は、普段からやっているのか……。
 もし、今後博麗神社に行った際は押入れの近くに寄らない事にしよう。

「とりあえず、店内全てを頼む」

「店内全て、って……ちょっと無茶すぎない? 広さは兎も角商品の量はかなりのものよ?」

「おや、僕はさっき『甘やかすつもりは無い』って言った筈だよ? それに、時間制限をしている訳でもない。ゆっくりやってくれて構わないよ」

「む……それはそうだけど」

 暫し考えた後、霊夢は解ったと頷いた。
 実際にはこれでも易しくした方だったりする――何しろ、最初僕は倉庫の整理をさせようと思っていたのだから。
 しかしそれは幾らなんでも無理が過ぎるし、何より倉庫には僕のお気に入りや貴重な品が眠っている。
 それを考えると、とても霊夢に任せる気にはなれなかった。

「それじゃあ、僕は奥にいるから何か解らない事があったり、お客が来たら呼んでくれ」

「はいはい」




* * *





「……すけ……ん、霖之助さん!」

「ん?」

 耳元で霊夢が呼んでいるのに気付いて、僕は本から視線を上げた。
 ずいっ、と視線を埋め尽くす彼女の表情は、いかにも不機嫌そうだ。

「あぁ、すまない。集中してしまっていたようだ。……で、何か用かい?」

 それなりに分厚いこの本も未読のページは残り僅かだし、読み始める前は確かに青かった空も今は赤く染まっている。
 相当の時間が経過していたらしい。

「はぁ〜〜〜」

 僕の返事に対して、霊夢は明らかに『呆れてます』と言う表情で深く深く息を吐いた。

「何かあったら呼んでくれ、って言ったのは霖之助さんでしょう? お客が来たのよ」

「お客が? 解った、今行くよ」

「その必要はないわ」

 僕が立ち上がって部屋を出ようとすると同時に、件の客――十六夜咲夜が部屋に上がってきた。
 何処と無く怒っているような雰囲気なのは……気の所為ではないんだろうな。

「やぁ、いらっしゃい」

「散々待たせた挙句、その一言で済ませようだなんて良い度胸ね」

「すまない、今日はオマケするから大目に見てくれないか?」

「……はぁ、仕方ないわね、それで手を打ちましょう。……それより」

 咲夜は唐突に僕に詰め寄り、こっそりと耳打ちしてくる。

「あれはどう言う事かしら? 貴方の趣味?」

 チラリ、と制服姿の霊夢の方を一瞥する。
 まぁ、客が来たら絶対に言われるとは思っていたが、まさか僕の趣味扱いされるとは思っていなかった。

「誤解だ。実は霊夢が暫く此処で働く事になってね。あの服は……まぁ、店員の制服みたいなものだ」

「ふぅん」

 明らかに信じていないような返事だ。
 仕方ない、余計な事を言い触らされる前に手を打っておくか。

「ところで、今日は何をご入用だい? 話によっては半額にまけても良いと思ってるんだが」

「口止め、と言う事かしら? まぁ、別に構わないけど……すぐにばれると思うわよ?」

「やはりそうかい?」

 別に悪い事をしている訳ではないのだから、隠す必要はないのだが……どうしても悪い想像しか浮かばない。
 マスタースパークに吹き飛ばされたり隙間落しにされたり新聞の記事にされたりとか。
 それは兎も角として交渉成立、やはり彼女は話が解る良い客だ。
 尤も、咲夜は最初からこの展開を計算して言ってきたのかもしれないが。

「二人とも何時まで話し込んでるのよ」

 そんな事を考えていたら、霊夢が割って入ってきた。
 放って置かれて退屈だったのだろうか、目がかなり座っている。
 しかし、その視線を受けて平然としている咲夜も流石と言うべきか。

「あら、ごめんなさい。……そうね、今日はこれを買いにきたのだけど」

 咲夜は懐から一枚の紙を出して、それを僕に見せた。
 買い物メモらしい。

「あぁ、これなら全てあるよ。霊夢、何処にやったか解るかい?」

「どれどれ……あ、うん、覚えてるから大丈夫……だと思うわよ」

「それじゃあ、頼む」

 霊夢は咲夜から紙を受け取り、それを手に品物を探しに行く。
 部屋に残ったのは僕と咲夜だけだ。

「さっき此処に来た時も思ったけど、結構ちゃんと働いてるのね。貴方よりも商売人に向いてるかもしれないわ」

「おや、霊夢は店の整理をちゃんとやってくれていたのかい?」

「なに? 知らなかったの?」

「あぁ、何しろ僕はさっきまでずっと本を読んでいたからね。一度集中すると周りの事が目に入らなくなるんだ」

「はぁ……同じ様な人が紅魔館にもいるから、それは解るけど――」

 そこで一旦言葉を切って、咲夜は店の方――即ち霊夢の方に視線を向ける。
 今彼女はメモ片手に、注文の品を探して店中を捜索しているようだ。
 あの様子ではもう暫く掛かるだろう。

「――折角の弟子なんだから、ちゃんと見て指導してあげないと駄目よ?」

「…………善処しよう」

 それか霊夢が戻ってくるまで、僕等は彼女の背中を眺めていた。




* * *





「お腹すいた」

 咲夜が品物を受け取って店を後にした直後、霊夢が空腹を訴えてきた。

「あぁ、そう言えばもうそんな時間だったか」

 しかし困ったな……僕はずっと本を読んでいたから、夕食の用意などまるでしていない。
 里にでも食べに行くか……そうも思ったが、さっきの咲夜の例を考えると妙な誤解をされかねない。
 それは避けた方が良いだろう、僕の命的な意味で。

「すまない。今から用意するから、少し待ってくれ」

「えー」

 案の定、霊夢は嫌そうな顔をするが、もう暫く我慢してもらうとしよう。
 ぶーぶー文句を垂れる霊夢を尻目に、僕は台所に向かう。

「さて、何を作ろうか……ん?」

「二人でやった方が早く出来るでしょう?」

 そう微笑いながら隣に立つのは、さっきまで腹の虫を鳴かせていた霊夢だった。
 相変わらずの制服姿で台所に立つ姿は、さながらどこかの喫茶店のようだ。

「ほら、何時まで考え込んでるのよ! さっさと献立決めて作っちゃいましょう」

「あ、あぁ……そうだね」

 思わず見惚れてしまった。

「……今日は野菜炒めにしようと思う。君はご飯と味噌汁の用意をしてくれないか?」

 今まで娘か妹のように思っていた彼女に、そんな事を感じてしまった自分が可笑しくて、そして少し恥ずかしく、僕はあえて霊夢の顔を見ないように答えた。
 幸い霊夢は気付いていないようで、『はーい』と暢気な返事で支度を始める。


 ――その日の夕食は何故か少し甘かった。




* * *





「霖之助さん、上がったわよ」

「あぁ」

 洗い物が終わって台所から出ると、丁度風呂から上がった霊夢が歩いてきた。
 流石にあの制服はもう着ておらず、代わりに僕の寝巻きを来ていた。
 当然だが大きさが合わず、ぶかぶかである。

「やれやれ、また僕の服を勝手に着たのかい?」

「なに? 汗まみれの服をまた着ろって言うの?」

「そう言う訳じゃないさ。でも、いつもの巫女服もあっただろう?」

「……今日はもうあれを着たく無いのよ」

 今日は、と言う事はやはりこの思いつきは一日限りのものか。
 安堵すると同時に、残念がっている自分もいる事に驚く。
 霊夢は僕の予想以上にしっかり働いてくれたから、それを手放すのが惜しいのだろう――そう考えるものの、どこか納得がいかなかった。

「今日一日働いてみて、どうだった?」

「あーそうね……疲れた。霖之助さん、ここぞとばかりに私をこき使ったでしょう?」

「君に対して遠慮する理由が無いしね。ツケとか」

 そんな事を話しながら、僕と霊夢は縁側に腰を下ろす。
 そよそよと吹く夜風が心地よく、また風呂上りと言う事もあって霊夢から石鹸の香りが漂う。

「ありがとうね、霖之助さん」

 それから暫く二人して星空を眺めていたら、霊夢がポツリと呟いた。

「僕は何もしてないよ。……強いて言えば、君に仕事を押し付けて本を読んでいたくらいかな」

「本当に何もしてないわね」

 でも、と霊夢は静かに微笑みながら続ける。

「私の我侭に付き合ってくれたでしょう?」

「異な事を言う。普段の君なら僕の事など気にしないだろうに」

「それはそうだけど……」

 らしくないな、今日の霊夢は――そして僕も。
 そう思いつつも、僕は一番気になっていた事を訊ねる。

「それで? 今日はどうしてこんな事を?」

「ん? 巫女を辞めたくなったから」

 あっけらかんと言っているが、それはとんでもない発言だった。
 普段の彼女は幻想郷縁起にも書かれるくらい暢気で、悩みを抱えているようには見えなかった。
 僕の考えを感じ取ったのか、霊夢は慌ててフォローを入れる。

「別に深い理由があるわけじゃなくて、本当に発作みたいなものなのよ。巫女じゃなかったら私はどうだったのかなー、って唐突に思って、翌日にはさっぱり忘れてる。そんな発作」

「それが今日?」

「えぇ。……ここまでやるのは初めてだったけど」

 普段は考えるだけで終わるそれが、今回は実行してしまうまでに強まった――要するにそう言う事らしい。

「まぁ、誰しもそういう時はあるさ。また発作が出た時はいつでも来ると良い。まだツケはたっぷり残っているんだからね」

「あら、ツケが無いと来ちゃ駄目なのかしら?」

「さてどうだろうね?」

 クスクスと笑いながら、僕等は星を見る。
 もうじき、日が変わろうとしていた――




* * *





「それじゃあ、私は帰るわね」

「あぁ」

 翌朝、見慣れたいつもの巫女服に着替えた霊夢が店先に立つ。
 これから、また博麗の巫女に戻るのだ。

「しかし残念だな。折角良い店員が入ったと思ったんだが」

 今の言葉に嘘は無い。
 半日足らずとは言え、彼女は香霖堂の定員として立派に仕事を果たしていた。
 尤も、それだけが理由で無い気もしたが。

「ふぅん。なら、気が向いたらまた働いてあげるわよ。霖之助さんも昨日言ってたしね」

「そう言えばそうだね。では、あの制服を非売品にしないといけないな」

「そうね。私もあれ気に入ってるし、次来た時なくなってたら夢想封印するからね」

「最高の状態で保存しておく事を約束しよう」

 絶対よ――その言葉と共に、霊夢が浮かび上がり、博麗神社に向かって飛び立っていった。




 ――その後、香霖堂では度々巫女に良く似た店員の少女が目撃されたそうな。














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