【巫女と天の娘と古道具屋 〜 その三 〜】










 霊夢はひたすらに幻想郷の空を飛ぶ。
 目的地など考えていない。

「なんで……霖之助さんと天子が……」

 瞳に涙を浮かべ、霊夢は小さく呟く。
 頭の中では、先程香霖堂で見た光景が再生されている。
 ショックだった。
 何故かは霊夢自身にも解らない。
 しかし、“あれ”を見た瞬間とても嫌だと思った。
 故に霊夢は飛ぶ。
 唯、香霖堂――霖之助の近くから離れたくて――




* * *





「クスクス……随分面白い事になっていますわね」

 霊夢と天子が飛び出し、普段以上に静けさが漂う香霖堂。
 そこに突然、妖艶な微笑みを浮かべた女性が現れた。

「――紫、か」

「あらあら、もう少し驚いてくれないと面白くないわね」

「充分驚いているよ。……で、これは何のつもりだい?」

 霖之助の背後から空間を裂いて現れた紫は、霖之助の首を抱くようにして上半身を現している。
 香水の香りだろうか、まるで熟した花のような――男を捉えて放さない妖しい匂いが鼻腔を擽る。
 背中に当たるふくよかな感触と相まって、霖之助の体温が若干上がった。
 それを全て理解した上でやっているのだろう、紫の口元には笑みが浮かぶ。

「あら、一から説明してあげた方が宜しくて?」

「…………遠慮しておこう」

 残念――そう小さく呟いた紫は身体を離し、霖之助の正面に現れる。
 ようやく離れてくれた事に霖之助は安堵の息を吐き、改めて正面の人物に視線を向けた。
 大陸風の道士服に身を包み、陽光の如く輝く黄金の髪を後頭部で纏めて帽子を被った妙齢の美女――八雲紫。
 幻想郷でも屈指の力を持つこの大妖怪が香霖堂を訪れる事は、さして珍しい事ではない。
 しかし今日はいつもと雰囲気が違った。

「それで今日は何の用だ? 冷やかしに来たつもりはないんだろう?」

「勿論。霊夢の事でね――貴方も知っても通り、最近の霊夢は様子がおかしかったわ。日がな一日中呆けていたり」

「それだけ聞くといつも通りに聞こえるな」

「茶化さないでほしいわね。――他には、突然顔を赤くして頭を振ったり」

「……それは確かにおかしいね」

「えぇ。――それに天子も」

 そこで紫は一旦言葉を切り、スッ、と目を細めた。
 その視線の鋭さに霖之助は一瞬気圧されたものの、何とか抑えて疑問を口にする。

「天子も、とは?」

 霖之助の知る限り、天子は初めて香霖堂に来た時から変わったようには見えない。

「そのままの意味よ。……私はあの娘が嫌いでね、彼女が地上に降りて以来ずっと監視していたのよ」

「ふむ、それで何か解ったのかい?」

「えぇ、二つ程面白い事が……まぁ、片方はもう片が着いたのだけど」

 さして面白くもなさそうに薄く微笑む紫を見て、霖之助は天子が直した神社を紫に壊された、と言っていたのを思い出した。

「なるほど、博麗神社の事か」

「大・正・解。天界は土地が有り余っているにも拘らず、地上まで己が物にしようとしたのよ」

「有り余っている? 天界は輪廻転生の輪から外れた天人達で飽和状態だと聞いたが」

 霖之助の言葉に、紫はクスリと微笑む――まるで、無知なる者を蔑むかの如く。
 それが察して霖之助は顔を顰めるも、知識でも口先でも紫に勝てるとは思っていないので口を挟みはしない。

「――まぁ、実際に見た事がなければどちらかなんて解らないわね。それよりも天子の事ですわ」

「……あぁ、そうだったね。それでもう一つの方、とやらは?」

「貴方よ」

「…………は?」

 紫が手に持った扇子でビシリ、と霖之助を指す。
 その意味が解らず、霖之助はポカン、と口を開いた。

「気付かなかったかしら? 彼女が事ある毎にここに来ていた事を」

 その言葉に、霖之助は確かに感じるところがあった。
 最初の頃、天子が香霖堂を訪れるのはおよそ三日に一度。
 それが次第に二日に一度、そしてほぼ毎日、と短くなっていった。

「それはそうかも知れないが……単なる偶然では?」

 そう言う霖之助の表情は至って真面目で、それ以外の考えは思いつかなかったらしい。
 鈍い人――霖之助にも聞こえないくらい小さく呟き、紫は目の前の朴念仁に真実を告げる。


「はっきりと言うわ。……彼女は明らかに貴方に好意を抱いている――霊夢と同様に」




* * *





 香霖堂を飛び出した天子は霊夢を追う。
 今夜は月が明るかった事が幸いして、霊夢の着る紅白の衣装は目立っていた。
 そのおかげで、天子は夜にも拘らずはっきりと捕捉する事が出来た。

「霊夢……」

 天子は霊夢が何故飛び出したのか、その理由が解っていた。
 何しろ、これまでそれで散々からかってきたのだから。
 霊夢の気持ちは初めから解っていた筈なのに、今では考えるだけで胸が締め付けられるような痛みを覚える。
 そして、それと同時に脳裏に浮かぶのは先程の霖之助の事。
 ともすれば唇同士がくっつきかねない近距離まで近づかれた時、天子が感じたのは今までにないほどの胸の高鳴りだった。
 それは、天子の数百年の生の中でも感じた事がないものであった。

「ありえない……私が、あんな……奴を」

 出掛かった結論を、しかし天子は否定する。
 自分は天に選ばれた天人、彼は地を這い蹲る妖怪――しかも半端者だ。
 そう自分に言い聞かせる。
 けれどそうする度にもまた胸は締め付けられる――まるで、浅はかな嘘は全てお見通しだ、と言わんばかりに。
 やがて、霊夢が高度を落とす。
 そこは森の一角にポツンと開いた広場だった。

「はぁ、はぁ……」

 全速力で飛んでいただろうか、背後からでもはっきりと解るほど、霊夢の方は大きく揺れていた。
 だが、彼女の苦しめているのはそれだけではない事は明らかだ。

「霖之助、さん……」

 それは無意識の呟きだろう。
 言ってから気付いたように、霊夢は顔を顰めた。
 恐らく、今の彼女の中では先程の香霖堂での光景が蘇っているのだろう。

  「…………霊夢」

 天子の呼びかけに、霊夢はバッと振り返る。
 その顔は今にも泣きそうだった。

「ど、どうしたのよ。こんなところまで!」

 胸の痛みを押し殺して、霊夢は何時も通りの表情を作ろうとする。
 それを気にした様子もなく――否、気にするだけの余裕もなく、天子は霊夢に近づいていく。

「それはこっちの台詞よ。何でいきなり飛び出したりするのよ」

「そ、それはその……ほら、よく言うじゃない『人の炊事を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじゃえ』って」

「それを言うなら『恋路』でしょ。……そもそも、私と霖之助は……そんなんじゃないんだから!」

「ならなんで――」

 霊夢はそこで一旦言葉を切り、次の瞬間キッ、と大きな瞳に涙を浮かべて天子を睨みつけるように顔を跳ね上げた。


「――なんで霖之助さんと口付けしてたのよ!?」




* * *





 紫が去り、今度こそ霖之助一人になった香霖堂。
 彼の脳裏には、先程の紫との会話がずっと渦巻き続いていた――

『霊夢と天子が……僕の事を……? はは、面白い冗談だね』

『私が冗談を言っているように見えて? もし本気でそう思っているのなら、それは相当の愚か者ね。万死に値するわ』

『…………本当に、二人は僕を?』

『えぇ、けれどそれは脇に置いておきましょう? 今大事なのは貴方の気持ち』

『僕の……』

『そう、貴方自身があの二人をどう思っているのか。難しく考えないで、思っている事を素直に伝えてあげなさい。それが貴方に出来る善行――閻魔ならそう言うでしょうね』

『……そうか』

 ――その後、紫は自身の開けたスキマへと戻って行った。
 その間際、紫が『あぁ、それと私を年増と言った事……いずれ後悔させてあげますわ』等と、不吉極まりない事を呟いていたが。

(僕は二人をどう思っているんだろうな……)

 倒れ込むように椅子に腰掛けながら、霖之助は霊夢と天子の事を考える。

(嫌ってはいない……と思う)

 彼女等が持ち込んだり起こしたりするのは、総じて霖之助にとって迷惑な騒動ばかりだ。
 しかし、本気でそれを咎めようとは一度も思った事はない。
 言っても無駄だ、と言う考えもなくはない。
 だがそれ以上に、彼女等は霖之助を信頼している、と言う事を知っているから。
 どうでも良い相手だから身勝手に振舞うのではない。
 霖之助の事を理解し、信頼しているからこそ素の自分を出せるのだ。
 その事に気付かないほど、霖之助は愚かではない。

(ならば好きか……いや)

 それは余りにも短絡的だ。
 好意と一口に言っても、友情、愛情、家族愛、様々な形がある。
 もっとしっかりと考えて結論を出さねば二人に悪い――そこまで考えて、霖之助は紫の言葉を思い出す。


『難しく考えないで、思っている事を素直に伝えてあげなさい』


「あぁ、そうか……」

 眼が覚める思いだった。
 好意の形だとか、二人に悪いだとか、そんな事はどうやって逃げるかの言い訳に過ぎない。
 それこそ二人の気持ちを裏切る最悪の考えだ。
 無駄な思考を止め、霖之助はゆっくりと瞼を閉じる、
 思い浮かぶは、嬉しそうにお茶を飲む霊夢と、楽しげにその日あった事を語る天子の姿――そして、それを眺める霖之助。
 それこそが霖之助の望んでいる光景。

(これは、彼女等の求めるものとは違うかもしれないな)
 霖之助はそう苦笑するが、こればかりは仕方がない。
 これこそが、今の霖之助の素直な気持ちなのだから――




 
* * *





「――なんで霖之助さんと口付けしてたのよ!?」

「っ!?」

 思いもよらない霊夢の言葉に、天子の頭は一瞬で沸騰した。

(くくく、口付けって……私そんな事してないぃぃぃぃぃっ!)

 しかしそれを言っても、今の霊夢は納得しないだろう。
 あの時霊夢が立っていた位置からは、霖之助が天子に顔を近づけ――そして唇を重ねているようにしか見えなかったのだから。
 そしてそれを見た事による混乱が、思い込みを助長させる。

「何で黙ってるのよ……やっぱりあんたと霖之助さんは……」

 霊夢から霊力と怒気――殺気が滲み出る。
 それに当てられて、天子は我に返った。

「そ、それは誤解よ! 私が霖之助なんかと口付けするわけないでしょう!?」

 慌てて否定するも、顔は真っ赤で説得力などまるでない。
 その事が、霊夢を更に刺激する。

「嘘よっ! だって……あんたあの時嬉しそうにしてたじゃない!」

「そ、そんな事……」

 天子は必死に反論の言葉を出そうとするが、頭に浮かぶのはあの時感じた胸の高鳴り。
 その事がまた、彼女の顔に熱を集めていく。

「そんな事ない? でも、私にはそうとしか見えなかった! 現に、今あんたは反論しないじゃない!」

「…………」

 霊夢の言う通りだった。
 初めは単なる好奇心だったのかもしれない。
 しかし何度も会い、話をしていく内に、天子自身も気付かぬ内に彼の存在が大きくなっていった。
 霖之助が天子の地上での知り合いの中で、唯一の男性だった事も要因の一つだろう。

「……確かに、霖之助の事は気になるけど……好きかどうかなんて解らないわよ! だって、今までこんな気持ちになった事なかったんだもん!」

 胸に溢れる温かい想いと、締め付けられるような痛みに天子もまた激昂する。

「霊夢こそ勝手に勘違いして、勝手に怒って! 別に霖之助は霊夢のものじゃないでしょう!?」

「っ! それは」

 一番痛い所を突かれて、霊夢がたじろぐ。

「なら……」

 しかしそれも一瞬。
 すぐさま顔を上げ、霊夢は叫んだ。


「私は霖之助さんを振り向かせて見せる! 博麗霊夢と言う一人の女として、彼の事が好きだから!」


「…………ようやく言えたじゃない。素直な気持ちを」

 霊夢の決意を聞いた天子は、怒るでもなく嘲るでもなく笑っていた――嬉しそうに。

「天、子……?」

 余りにも予想外な天子の反応に、霊夢は唖然とする。
 そんな霊夢を見て、天子は呆れたように息を吐いた。

「まったく……普段は自分勝手で他人に遠慮しないくせに、こういう時は奥手なんだから。子供ね」

 その小馬鹿にした態度がカチンと来たのだろう。
 それまでとは明らかに違う怒りで顔を真っ赤にした霊夢が吼える。

「こ、子供って何よ! あんただって、数百年生きてるって割りに胸ぺったんこじゃない!」

「カッチーン。……ふふ、良い度胸じゃない霊夢。この前は手加減したけど、今日は本気で戦ってあげるわ!」

「こっちこそ、色々あって苛々してるのよ! この気持ち、あんたにぶつけてあげるわ!」

 霊夢はお払い棒を、天子は緋想の剣を構える。
 そして、思いっきりぶつかり合った。


 ……


 …………


 ……………………


 暫くして、半ば焦土と化した森の広場の中心に霊夢と天子は倒れていた。

「ぜーぜー……」

「はぁ、はぁ……」

 全力を出し合ったのだろう、お互いに立つ気力も無いようだ。
 しかし、二人の顔は笑っていた。

「なん、だか……思いっきり、戦った、ら……気分がすっきりした、わ」

「そうね……なんで、戦ったのか、忘れるくらい、にね……」

「それは忘れちゃ駄目でしょ」

 ビシッ、と霊夢が天子にツッコミを入れる。

「大丈夫、解ってるわよ。……とりあえず、もう少し休んだら香霖堂に戻りましょう? 霖之助も心配してるわよ」

「……そうね」

 霊夢は目を閉じる。
 サァ、と吹く夜風が戦いで火照った身体に心地よかった。
 それから暫く、二人は無言で夜風に当たっていた――

「あ、言い忘れてたけど……私、欲しいものを手に入れるのに手段は選ばないから♪」

「わ、私だって負けないわよ!?」




* * *





「あ、霖之助さんお茶入れてあげるわね。丁度ここに来る時、里で良いお茶見つけたのよ」

「むっ、ねぇ霖之助これどう? 珍しいしょう!」

 ある日の香霖堂。
 そこでは今日も霊夢と天子が入り浸っていた。
 しかし、以前とは様子少し違う。
 霊夢が甲斐甲斐しく家事を行い、天子はどこからか(恐らくは天界からだろう)持ってきた珍しい物を霖之助に見せている。

「あぁ、ありがとう霊夢。……ふむ、これは『竜宮の使いの羽衣』、用途は『天元突破』……よく解らないが、こんな物をどこで手に入れたんだ?」

「うん? 私の知り合いに竜宮の使いがいるのよ。だからちょちょい、とね」

「…………」

 天子に何か言いたそうな視線を向けつつも、無駄だと解っているので結局霖之助は何も言わない。
 とりあえず、目の前の少女に無理矢理羽衣を奪われたであろう、顔も知らぬ竜宮の使いの冥福を祈るばかりだ。

 ――あの日、香霖堂に戻ってきた霊夢と天子に霖之助はこう言った。

『僕は確かに二人の事が好きだが、それがどういう意味での好きかは自分でも解らない。だから、今は二人の気持ちに応える事が出来ない』

 最悪、二人にぶっ飛ばされるのも覚悟していた霖之助だが、以外にも二人は笑顔だった。

『それなら、これからゆっくりと霖之助さんの気持ちを特別にしてあげるから』

『そうね、簡単に決めて良い問題じゃないんだし』

 それ以来、二人は少し変わった。
 勝手に商品を持って行ったりしないし、店の中で騒ぐ事も少なくなった。

「はい、霖之助さん……ついでに天子も」

「ついでって何よ…………ぶはぁ!? こ、これってまさかせんぶり茶!?」

「あら知ってたの? これって健康に良いのよねー」

「くっ、これは計画的犯行? それとも偶然?」

「なんの事かしらぁ?」

「今『ニヤ』ってした! やっぱ計画的犯行じゃない!」

(少なくなった……のか?)

 目の前で早速口喧嘩を始めた霊夢と天子に、霖之助は頭痛を覚える。
 しかし、これでこそ彼女等らしいとも思う。

(あぁ……そう思ってる時点で、僕はもう二人に惹き込まれているのかもしれないな)

 それも悪くない――そう小さく笑みを浮かべて、霖之助は霊夢と天子の喧嘩を止めるべく呼びかける。
 その声にピタリと口論を止め、二人は申し合わせたかのように霖之助の腕に抱きついた。
 少女とは言え、二人分の勢いを止めきれずにひっくり返る霖之助。
 釣られて倒れたにも拘らずに笑っている霊夢と天子に、霖之助も頬を緩める。


 ――今日も香霖堂は平和だった。









「……で、お前は小さくなってるんだ紫?」

「霖之助に言ってあげたのよ。『年増って言った事……いずれ後悔させてあげますわ』って」

「それで若返りを選んでいる次点で、もう年増を認めているような気がするんだぜ」

「……………………はっ!?」










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