【紅き妹と森の兄 〜 Luna Dial】










「――ふぅん、中々似合ってるじゃない」

 普段とはまるで異なる格好をした霖之助を眺めて、彼女――レミリア・スカーレットは愉しげに笑った。
 そんな彼女を前に、彼はそれはそれは複雑そうな表情を浮かべていた。
 今の霖之助は普段の青を基調とした服ではなく、黒の燕尾服――要するに執事のような格好をしていた。

「なぁに? まだ不貞腐れているの? 貴方も存外子供っぽいのね」

「君にだけは言われたくない台詞だな。……眼が覚めたら隣にフランドールが居て、驚かない方がどうかしてるだろう」

「あははッ! フランったら貴方と一緒に寝る、って言って聞かなかったのよ。余程嬉しかったのね、自分専用の執事が出来た事が」

「……やはり執事なのか」

 咲夜に燕尾服を渡された時から霖之助は嫌な予感を抱いていたのだが、それはものの見事に的中したようだった。

「だが、何故僕なんだ? 自分で言うのもなんだが、こういうのには向いていないぞ?」

「あら、そんなの簡単よ。フランが貴方に懐いていて、貴方はフランを恐れない」

「そんなものなのか?」

「そんなものよ。細かい仕事の内容については、咲夜に聞きなさい。……それじゃあ、フランの事よろしくね」




* * *





 ――事の発端は実に単純であった。
 霖之助の事を気に入ったフランドールの為にレミリアが、彼を執事として紅魔館に拉致――もとい誘拐……でもなく強制的に招待(結局意味は同じ)したのである。
 彼にしてみれば堪ったものではないだろう。
 何しろ、朝眼が覚めたら目の前にフランドール(何故かパジャマが着崩れている)があどけない寝顔を向けている。
 抱き枕の如く全身に絡みつかれ、まるで自分の匂いを染み込ませるかのように頬を擦り付けてくる。
 そして、もしその拘束を無理に振り解こうとしようものなら、吸血鬼の腕力で逃がすまいと締め付けてくるのだ。
 普通の男であれば、まず一つ目の時点で理性が吹っ飛び新たな世界に旅立っただろう――犯罪的な意味で、あと返り討ち的な意味でも。
 しかしそこは『枯れているのでは?』と邪推すらされている男、霖之助である。
 咲夜が来るまでのおよそ一時間(霖之助にはその数倍に感じられたとか)、文々。
新聞の明日の次の一面を飾るような事は何も無く、無事耐え切ったのである。
 その後、咲夜やレミリアに事情を聞いた霖之助は最初こそ文句を言っていたものの、最終的には折れた。
 彼女等は客で無い客が屯する香霖堂において貴重なお得意様であり、何よりレミリアの力――『運命を操る程度の能力』――の前には抵抗しても無駄だろうと悟ったからであった。

「――それじゃあ、以上が貴方の仕事よ。解らないところはあるかしら?」

 レミリアとの話が終わった後、霖之助はフランドールの部屋に向かっていた。
 隣には案内兼仕事説明を行う咲夜も一緒だ。

「ふむ、つまり僕は基本的にフランドールの世話をすれば良いわけだな?」

「えぇ、そうなるわね。……何か問題でも?」

 特に難しいお題ではないな――そう霖之助は胸の内で安堵する。
 確かにフランドールは危険な力の持ち主だが、それを除けばまだまだ幼い子供だ。
 霊夢や魔理沙との付き合いで慣れた(感覚が麻痺した)霖之助にしてみれば、別段恐れるほどのものではなかった。

「……いや、特に問題はないよ。まぁ、解らない事があったらまた訊きに行くさ」

「そう、それなら構わないわ」

 霖之助が頷くと同時に、咲夜は足を止める。
 フランドールの部屋に辿り着いたのだ。

「さ、ここがフラン様の部屋よ。……精々壊されないようにしてくださいね」

「やれやれ、おっかない激励だ」

「この方がやる気が出るでしょう? 何しろ、貴方のやる気のなさは折り紙付きですからね」

「さて、何の事かな? 僕ほどやる気に満ちた商売人は、幻想郷中を探してもそうは居ないよ」

「あらあら」

 まるで幼子の自慢話を聞く母親のようにクスクスと笑う咲夜に、霖之助は何処か不満そうに眉を顰める。
 しかし此処で意地を張っても逆に子供のように思えて、霖之助は唯息を一つ吐くに終わらせた。
 それから改めて深く息を吸い、目の前の扉をコンコン、と二回ノックする。
 返事はすぐにあった。

「……はーい?」

「フランドール、僕だ。霖之助だ」

「お兄ちゃん!?」

 彼の名を聞いた途端、扉越しにくぐもっていても尚はっきりと解るほどの、喜色に溢れたフランドールの声が響く。
 その素直な喜びように霖之助も咲夜も小さく苦笑を零し、扉を上げ部屋に入った。
「おにーちゃーんッ!」

「ぐほッ!?」

 と、その瞬間霖之助の腹部に強烈な衝撃が走る。
 苦しげに視線を向けてみれば、そこにはフランドールが溢れんばかりの笑顔を浮かべていた。
 要するに、彼女は霖之助が扉を開けたと同時に彼に向かってタックルを放ったのだ。
 悪意のある行動ではなく、むしろ逆で好意からの行動だったので、霖之助は特に文句も言わず小さな笑みを浮かべてフランドールの頭を撫でる――若干顔は青褪めていたが。
 それに、フランドールの笑顔が何処か昔の魔理沙のそれに重なったのも、霖之助が頬を緩めた要因でもあった。

「ほら、そろそろ離れてくれ。これからの事についても話をしなければならないからね」

「……はーい」

 名残惜しそうに、しかし素直にフランドールは霖之助から離れる。
 やれやれとまだ僅かに痛む腹部を擦りながら、霖之助は部屋に入った。
 その後に続いて入ってきた咲夜が、霖之助の隣に立ちコホンと息を整える。

「それじゃあ、改めて……今日からフラン様の執事になった森近霖之助さんよ」

「と言う訳だ、よろしく頼むよ」

「うん!」

 フランドールのその喜色満面の笑みは、まるで吸血鬼が苦手な筈の太陽のように輝いていた。




* * *





「やれやれ……疲れた」

 心の底から気だるそうに、霖之助は宛がわれた部屋の椅子に深々と腰掛ける。
 部屋の片隅にある、紅魔館では数少ない窓からは微かに光が差し込み始めていた。
 夜明け、である。
 吸血鬼はその特性から主な活動時間が太陽の出ていない夜中である為、その従者となった彼もそれに合わせなければならないのだ。

「お疲れ様」

「むぅ?」

 何時の間に入ってきたのか、咲夜が霖之助の対面に腰掛ける。
 二人の間に有るテーブルの上には、湯気を立てる入れたての紅茶とクッキーが置かれていた。

「……能力を使って入ってくるのは止めてくれないか? 驚くだろう」

「考えておきますわ」

「やれやれ……」

 これは今後も突然現れて驚かす気なのだろう、と霖之助は小さく肩を竦める。
 それからテーブルの上に置かれたクッキーを手に取り、口に運んだ。
 仄かに温かさが残るそれは、噛んだ瞬間サクッと音を立て、しかし口の中ですぐに溶ける。

「ふむ、これは作りたてかい?」

「えぇ、お嬢様が眠った後、紅茶を用意するついでにね」

「へぇ。……うん、美味い」

 霖之助は更にもう一つクッキーを口に含むと、小さく賞賛の言葉を送る。
 それを聞いて、咲夜が何処と無く嬉しそうに口元を緩ませた。
 そんな彼女を横目に、霖之助は今度はティーカップに手を伸ばす。

「ほぅ……。僕は余り紅茶は飲まないのだが、やはり良い物は違いがすぐに解るな」

「勿論よ。……それに、此処の紅茶には秘伝の隠し味も入れてあるしね」

「…………まさか、それは人間の血だったりしないだろうな?」

「…………さぁ?」

 なんとも不吉な間と笑みを残して、咲夜は自分も紅茶を啜る。
 暫しどうしようかと手に持ったティーカップを持て余した霖之助だが、結局そのまま飲む事にした。
 どれぐらい居るかは解らないが、暫くはこの紅魔館で世話になるのだ。
 この程度の冗談に一々驚いていたのでは身が持たない。

(冗談、だよな……?)

 冷や汗がタラリと霖之助の額を流れる。
 そんな彼の心情を知ってか知らずか、咲夜は尚も紅茶を啜っていた。
 暫くして、彼女は思い出したように口を開く。

「……そう言えば、初日にしては随分と良い働きでしたね。正直、もっと手間取るかと思ったんですが」

「昔似たようなな事をしていたからね。……しかし、昼夜が逆転するだけでこうも疲れるとはな。君は大丈夫なのか?」

「慣れてますから」

 さらりと返す咲夜に、霖之助は内心で『流石だな』と感心する。
 それから暫く、人間には早すぎ、吸血鬼には遅すぎるお茶会は静かに続いたのだった。




* * *





「ねぇねぇお兄ちゃん、此処はどうなるの?」

「む? ……あぁ、此処は――」

 霖之助が紅魔館に来てから一週間ほどが経っていた。
 今は執事の仕事の一環である、フランドールの勉強の監督だ。
 以前は別の者が担当していたらしいが、その者ではフランドールは中々真面目に勉強に身を入れてくれなかったらしい。
 曰く――

『パチェは難しい事ばっかり言ってて良く解らないんだもん』

 だそうだ。
 しかしフランドールは霖之助の言う事には素直に応じる。
 フランドールが彼の事を慕っているのもあるが、それ以上に教え方が良いのだ――そう霖之助は考える。
 恐らくパチェ――パチュリーは教材の本をそのまま読み聞かせたのだろう。
 だがそれでは、フランドールのような幼い子供は素直に勉強をしてはくれない。
 何故ならそれは物凄く退屈な作業であるからだ。
 ではどうやって自発的に勉強させるかだが、それには幾つかの方法がある。
 最も簡単なのが物で釣る方法だ。
 これが出来たら一つお願いを聞く、と言うような交換条件を出してやる気にさせる方法である。
 そして霖之助が今回採用したのもこの方法だった。

「ねぇ見てお兄ちゃん! ちゃんとできたよ!」

「ふむ……あぁ、間違いもないし合格だな」

「ほんと!? なら、約束は――」

「あぁ、そうだな……では、明日にでも出掛けようか」

「うん!」

 今回霖之助が出した報酬――それは、紅魔館の外へのピクニックだった。
 フランドールは紅魔館の中ではそれなりに出歩く事も出来るようになったが、流石に屋敷の外に出ることはまだレミリアは許可していなかった。
 それを利用したのが今回の作戦である。
 レミリアにも一応の許可は貰っているので、後は正式にこの事を伝えるだけだった。

「それじゃあ、今日は此処までにしよう。丁度、そろそろ夕食の時間だ」

「ほんと!? 私お腹空いちゃった」

「では食堂に行こうか。レミリアも待っているだろうしね」

「は〜い」

 待ってましたと言わんばかりに椅子から跳び上がるフランドールの姿に、霖之助は苦笑を零しながらもその後を追っていった。




* * *





「咲夜、霖之助、ちょっと来なさい」

 それはレミリアとフランドールの食事が終わった後の事だった。
 先に部屋に戻ると言ったフランドールを見送った霖之助が、明日の事について話そうとするとレミリアが先に口を開いた。
 その顔は妙に楽しげに歪んでおり、霖之助は嫌な予感を覚えずにはいられない。
 何しろ、彼女があの表情を浮かべた時は例外無く、何か面倒な事を思いついた時なのだ。

「やれやれ……今度はどんな遊びを思いついたんだい?」

「あら、随分と嬉しそうね? 最初は文句ばっかりだったのに」

「文句を言った所で止めてくれる訳無いんだろ? だったら素直に言う事を聞いていた方がまだ楽だからね」

「ふふん、解ってるじゃない」

 霖之助の遠回しな皮肉にも顔を顰めず、むしろ愉しげに返してくる。
 この辺りは流石は最高位の妖怪である吸血鬼、と言った所だろう。
 尤も、幼い外見の所為でその威厳も半減している感が否めなかったりもするのだが。

「……何か言ったかしら?」

「いや、何も言ってないよ。それより話があるのならさっさとしてくれ」

 まだ他にも仕事が残っているんだからな――そこまで言おうとして、止まる。
 何だかんだ言いつつ、執事である事に慣れつつある事に霖之助は自嘲の笑みを浮かべた。
 そんな事を考えている間に、レミリアが口を開く。

「それじゃあ、単刀直入に言うわね。……パーティーを開くわよ!」

 ドドーン、とその瞬間館の外で雷が落ちたらしく、轟音が響いた。
 まるで、物語か何かのようにタイミングの良い落雷だ――そんな事を霖之助が考えていると、レミリアは不満気に唇を突き出す。

「……随分と落ち着いてるわね。もっと驚くかと思ったのだけど」

「これぐらいで一々驚いているようでは、この幻想郷では生きていけないよ」

「それもそうね。……じゃあ、その準備を頼むわよ。大特急で、でも完璧に。開催は明日なんだからね!」

「なっ……ッ!?」

 その言葉には流石の霖之助も驚愕を隠せなかった。

(明日、だと……?)

 レミリアが度々、幻想郷の名立たる面々を集めてパーティーを開いている事は霖之助も魔理沙から聞いて知っていた。
 その事を考えれば、今回のパーティーも規模は相当大きくなるだろう。
 にも拘らず、準備期間は一日だけ。
 この紅魔館には無数の妖精メイドがいるから何とかなりそうだ――とは霖之助は思わなかった。
 何しろ、彼女達は自分達の身の回りの世話だけで精一杯なのだ。
 正直な所、労働力として殆ど当てに出来ないのは、此処に来た初日ですぐに理解できた。
 実質的な戦力は霖之助と、その隣でずっと黙ったまま話を聞いている咲夜くらいだろう。
 要するに、人手が足りないのだ。
 しかし――

「解りました。早急に用意を始めますね」

「頼んだわよ咲夜。……後、霖之助も」

 咲夜は慣れているのか諦めているのか、文句の一つも出さずに主の言葉に従う。
 そんな彼女の態度でようやく覚悟が決まったのか、霖之助は小さく肩を竦めた。

「…………解ったよ」

「そう、ならさっさと行く! 時間が無いんだからね!」

 時間が無いのは君の所為だよ――その文句をグッと飲み込んだ霖之助は、咲夜と共に早速パーティーの準備に取り掛かるのだった。

 ――何かを忘れているような気がしたのは、気の所為であろうか?




* * *





「咲夜、こいつはこれくらいで良いかい?」

「えぇと……うん、これで充分ね。次はこっちをお願いできるかしら?」

「解った」

 あれから霖之助と咲夜は休む間も無くパーティーの準備に追われていた。
 今は、会場で出す料理を作っている真っ最中だ。
 霖之助もそこそこ料理は作るが、咲夜から聞いたパーティー用のメニューはどれもこれもが聞いた事の無いものであった。
 無論、その種類も量も半端ではない。
 その終わりの見えない作業は、実際の作業量以上の疲労感を二人に与えていた。

「ふぅ……」

「あら、疲れたんですか?」

「まぁね。……僕もそれなりの時を生きてきたが、これほど過酷な職場は他に無かったよ」

「慣れてください、としか言いようが無いわね」

「そう言う割には、君も顔色が良くないが?」

 流石に長時間の作業が堪えるのか、咲夜の動作には既に力が無く目元には深い隈が出来ていた。

「まぁ、幾ら慣れていると言ってもきついものはきついですからね。……正直、いつもはもう少し余裕があるのよ。まぁ、これだけ終わったら少し休憩しましょう」

「そうだな」

 より効率の良い作業を行う為には、休憩も重要である。
 休みを入れずに延々と作業をしていても、次第に精神、肉体共に疲労して作業効率は著しく落ちてしまうのだ。
 とは言え、休んでばっかりでは仕事にならないのは言うまでもない。
 この辺りの割合を上手く調整できる者こそが、出来る人間と言うものなのだろう。

「きゃ!」

「……ん?」

 互いに最後の仕上げをしている最中、咲夜が小さな悲鳴を上げる。
 何事かと霖之助が振り向くと、咲夜は顔を顰めて左手の人差し指を咥えていた。
 そして右手には包丁。
 それを見て、霖之助は事態を把握した。

「やれやれ……ナイフ使いの君が刃物で怪我をするとはね」

 要するに、疲労で集中力を欠いてしまい、うっかり包丁で自分の指を切ってしまったのだ。
 咲夜自身も刃物の扱いには自信を持っていたのだろう、霖之助の言葉に悔しそうに顔を歪めた。

「ほら、見せてごらん」

「あ……」

 咲夜が指を口から離すと同時、その手を取る。
 そして、指先の傷口をまじまじと眺め始めた。

「あ、あの……」

 流石の咲夜もこんな状況に離れていないのか、若干引き気味だ。
 しかし霖之助はそんな事を気にせず、ふむと一つ頷いた。

「特に深く切れている訳でもないし、大した傷ではないね。……とは言え、一応消毒しておいた方が良いだろう。救急箱は有るかい?」

「えぇ……あそこに」

 咲夜が指差した所から救急箱を取り出すと、霖之助は丁寧に手当てを始める。
 普段このような事があっても自分で処理していたからだろうか、その間咲夜は妙な気分に襲われていた。

「……ん? どうかしたか?」

 霖之助が不思議そうに顔を上げる。
 そこでようやく自分が彼の顔を凝視してる事に気付いた咲夜は、慌てて話題を逸らした。

「い、いえ、何でも無いわ! ……それより、随分と手馴れてるのね」

「弾幕ごっこに負けてボロボロの魔理沙や霊夢が来る事も珍しくないからね。気付いたらすっかり慣れてしまっていたよ」

 わざとらしい逸らし方だったが、霖之助は特に気にした様子も無く話に乗ってくる。

「ふ〜ん……。貴方、医者の方が向いてるんじゃない?」

「僕もそう思わないでもないけどね。あいつ等には『どの道儲からない』と言われてしまったよ」

「真理ですね」

「…………医者に向いてるんじゃなかったのか?」

「向いてるのと儲かるのは別の話ですよ?」

「それはそうだが……」

 尚も何か言いたげな霖之助であったが、自分でも儲かるなどとは思っていないのだろう。
 小さく息を吐くに止めた。
 それを眺めて、咲夜がクスクスと微笑む。

「さて、こんなもんだろう。流石に怪我をした手で料理するのは問題があるから、後は僕に任せると良い」

「でも……」

 流石に自分一人先に休むのは気が引けたのだろう。
 咲夜は申し訳なさそうな表情を浮かべるが、霖之助はそれに小さく微笑む。

「……とは言え、僕一人ではどうすれば良いか解らないからね。隣で教えてくれると有難い」

 その言葉に暫し悩んだ咲夜であったが、やがてコクンと頷いた。




* * *





 ――そしてパーティー当日。

「やれやれ……何とかなったね」

「そうですね……」

 パーティーのメイン会場である紅魔館大ホール。
 その片隅で霖之助と咲夜は、パーティーに集まった面々を眺めていた。
 結局、妖精メイドに任せられる段階まで仕事を終わらせるのに丸一日近く掛かってしまい、今の二人は傍目から見てもはっきりと解るほどお疲れである。
 出来る事ならこのまま部屋に戻ってベッドでぐっすり眠りたいが、現場指揮官である以上そうも行かない。
 何しろ妖精メイドはドジが多いのだ。
 因みに最初、霖之助はこの現場指揮の仕事を交代制にしてはどうかと提案した。
 しかし、幾ら有能とは言え霖之助はこの紅魔館ではまだまだ新入りだ。
 一時的にとは言え、彼に全ての仕事を任せるのは不安だったのだろう。
 それらの事情から咲夜はその提案を断った。
 一方の咲夜も、此処は自分に任せて霖之助だけ先に休め、とも言ったが、自分一人だけ寝ているのも気が引けたのか、霖之助もまたそれを断っている。
 結果、こうして二人揃って眠い眼を擦りながら突っ立っているのである。

「それにしても……なんと言うか、幻想郷は狭いね」

「何ですか唐突に」

「いやなに、僕はどう言う形であれ此処のパーティーに参加するのは初めてなんだが……目に付く連中の殆どに見覚えがあるよ」

 白玉楼、永遠亭、河童や天狗に守矢神社等妖怪の山勢、目新しい所だと天人や旧都の連中と言った所だろう。
 今、この紅魔館には幻想郷の主だった面々が勢揃いしていた。
 それに比べれば力の劣る下級の妖怪や妖精達に至っても、霖之助とは顔見知りなのか挨拶をしてくる者もいる。
 よくよく考えなくとも、これはとんでもない事なのではなかろうか?

「それは商売人として良い事では?」

「……全部がちゃんとしたお客さんであればね」

 しかし彼はその意味に気付いていないのか、ただただ残念そうに肩を竦めるだけだ。
 恐るべき朴念仁である。

(前々から人間関係には鈍いと思ってたけど、これは想像以上ね)

 何処か残念そうに、そして何処か安心気に咲夜もまた肩を竦める。
 その時だった。

「あーッ! 香霖!!」

 突如人垣の中から甲高い声が響く。
 何事かと視線を向けてみれば、そこには二人にとって見慣れた黒白と紅白の姿があった。
 片やジト眼、片や怒り心頭と言った面持ちで眦を吊り上げている。

「やぁ、久しぶりだね二人とも」

 しかし霖之助はそんな二人の様子をまるで気にした様子も無く、暢気に挨拶をする。
 その事がまた魔理沙の怒りを強くした。

「久しぶり、じゃないだろ! 何いきなり居なくなったと思ったら此処に居るんだよ!? しかもそんな格好で!」

「執事服、ね……何? 霖之助さん店畳んだの? だったらそう言ってよね紛らわしい」

 霊夢は魔理沙に比べればまだ落ち着いているようだが、怒っていない訳では決して無いだろう。
 いつも以上に言う事に遠慮が無かった。

「あぁ、何も言わなかった事はすまない。実際、僕にとっても突然の事だったからね」

 ジロリ、と霖之助は隣に立つ咲夜に視線を向けるが、彼女は我関せずと言った態度だ。
 その事に肩を竦めつつも、霖之助は説明を続ける。

「やれやれ……。一応言っておくが、店を畳んだ訳ではないよ。此処で執事をやっているのは……まぁ、ちょっとした契約だな」

 それから暫く、霖之助は事の顛末の説明に追われた。
 最初こそ文句を垂れ流していた霊夢と魔理沙であったが、彼の説明を聴く内に普段の調子を取り戻して行く。

「――要するに、諸悪の元凶であるレミリアをぶっ飛ばせば無問題なんだな?」

「心配しないで霖之助さん、御札も封魔針も充分な数用意してあるから」

「…………おい」

「ふふ、冗談よ」

 全然冗談には聞こえなかったぞ、主に魔理沙――そんな事をつらつらと考える霖之助であったが、口には出さない。
 藪を突いて蛇を出す事もあるまい、と言うのが彼の考えだった。
 しかし、気付いていない――すぐ傍に、蛇どころか龍が居た事に。


「――ちゃん……」


「ん?」

 やがて、パーティーも終わり参加者達が続々と帰って行った頃だった。
 今だ霊夢と魔理沙に纏わり付かれながらも、執事の仕事をこなしていた霖之助の耳に、か細い声が届く。
 その声がなんと言っているのか霖之助には良く聞こえなかったが、不思議と自分の事を呼んでいるように感じられ、振り向く。
 そこに居たのは――

「フランドール?」

 虹色に輝く翼に、蜂蜜のような金髪の少女――フランドール・スカーレット。
 今の霖之助にとっては主に当たる彼女が、顔を俯かせて彼等の前に立っていた。
 様子がおかしい――フランドールを見た瞬間、霖之助はそう感じた。
 何しろ、この数週間殆ど常に彼女の傍に居たのである。
 それぐらいの事はすぐに理解った。

「おー、フランじゃないか! 久しぶりだなー!」

 しかし魔理沙はそんな事にちっとも気付いた様子も無く、笑いながらフランドールに近づく。

「「魔理沙!」」

 一瞬、気の所為だと頭から振り払おうとした霖之助だったが、気付くと大声で魔理沙に制止の声を掛けていた。
 同様に、恐らくは自他共に認める鋭い勘でフランドールの異変に気付いた霊夢の声も重なる。

「ん?」

 二人の声に魔理沙が足を止めた瞬間だった。

「《禁忌「レーヴァテイン」》!!」

「んなぁッ!?」

 魔理沙の顔の一歩手前を、ゴォッと音を立てて灼熱の奔流が通過した。
 それは、フランドールの手に握られた炎の魔杖――彼女のスペルカードだ。
 先端が僅かに焦げた前髪を気にする余裕も無く、魔理沙は慌てて後ろに下がる。

「お、おま……いきなり何するんだよフラン!? 危ないじゃないか!」

 奇襲自体は別に弾幕ごっこでも割と普通にある事だが、やはりやられて吃驚するのは誰でも一緒らしい。
 しかしフランドールは、そんな魔理沙の叫びは一切耳を傾ける様子が無い。
 そこから放たれる強烈な感情は、一直線に霖之助に向かっていた。
 そして上げられるフランドールの顔。
 溢れんばかりに雫が溜められたその大きな瞳からは、強烈な負の感情が見て取れた。

(しまった……! そう言う事か!)

 此処に来てようやく、霖之助はフランドールが何故こんな事をしでかしたのかを理解する。

「お兄ちゃんの……嘘吐きィッ!!」

 霖之助の推測を証明するかのように放たれる、フランドールの叫びと炎剣。
 魔理沙だけを狙った先程と異なり、その背後に居た霖之助と霊夢も狙ったそれを、しかし三人は辛うじて避ける。
 空を切った炎剣は屋敷の床を砕き、激しい揺れと轟音を引き起こした。

「おい香霖、どう言う事だよ!? なんで『お兄ちゃん』なんて呼ばれてんだ!?」

 突然の事にさしもの魔理沙も混乱しているのだろう。
 明らかに場違いな質問を背後の霖之助に投げかける。
 しかし、今はそれどころでは当然、無い。

「魔理沙! そんな事は後! 次が来るわよ」

 フランドールの更なる一撃を躱した霊夢と魔理沙は、懐から互いの獲物を取り出し戦闘態勢を取る。
 しかしそれよりも早く、フランドールは次の一手を打った。

「きゃははははッ! 《禁忌「クランベリートラップ」》!」

 三人を囲むようにして現れる四つの魔方陣から、無数の光弾が放たれる。
 普段であれば躱す事も可能であった霊夢と魔理沙だが、今回は傍に霖之助も居る。
 戦闘が不得意な彼では、この全包囲攻撃を躱す事はまず無理であろう。

「くっ……」

 霖之助もまた、自分が二人の足手纏いになっている事を理解し、悔しげに唇を噛み締める。
 そして、光弾が三人に殺到したその瞬間――

「大丈夫、ですか……?」

 霖之助の耳元に掛かる少女の声。
 それはこの場に居なかった筈の咲夜であった。
 霖之助がそれを認識した直後、すぐ傍から爆音が上がる。
 フランドールの弾幕によるものだった。

「こっちからとんでもない揺れと音が響いてね。慌てて来てみたらこの惨状よ。私が時間を止めて、その間に安全圏に動かしたのだけど……流石に、三人はきつかったわ」

「そうか、すまない」

 咲夜が種明かしをした事で、ようやく霖之助達は何故あの弾幕から助かったのかを理解する。
 しかし咲夜は自分の功を自慢するでもなく、フランドールの方に視線を送った。

「それで、何故フラン様はあんな事を?」

 咲夜は無論、霊夢や魔理沙も一番気になっている事はそれだろう。
 それを子の中で唯一解っている霖之助は、しかし一瞬言うのを躊躇う。
 けれども、今は早急にフランドールを止めるべきだと判断し、霖之助は口を開いた。

「実はだな……僕が、彼女との約束を反故にしてしまってね」

「「「…………はぁ!?」」」

 霊夢と魔理沙と咲夜の怪訝そうな声が、綺麗に三つ重なる。
 事の真相はこうだ。
 昨日霖之助が、勉強が出来たご褒美として約束した屋敷外へのピクニック。
 しかしその晩、レミリアから今日のパーティーの事が告げられ、霖之助は咲夜と共にその準備に追われる事となった。
 その準備が余りにも忙しかった為、霖之助は約束の事を綺麗さっぱり忘れてしまっていたのだ。

「――ようするに、あいつは約束を破られて拗ねて暴れているだけ?」

「まぁ、要約すればそうなるな」

「なんだ、香霖の所為なんじゃないか」

 真相を聞いた途端、霊夢と魔理沙は解りやすいくらい面倒そうな表情を浮かべる。
 何の関係も無い痴話喧嘩に巻き込まれたようなものなのだから、それも仕方ないのだが。

「とは言え、フラン様を放っておく訳には行かないわ」

 霖之助と共にあの地獄の準備を体験したからだろう。
 咲夜は他の二人ほど醒めてはいなかった。

「と言う訳で、霖之助さんにはフラン様の説得に行ってもらいましょう」

「…………は?」

 しかし彼女はまったく持って同情とか無くむしろ原因が解った事で素晴らしく冷静になっていた――主に霖之助にありがたくない方向に。

「そうは言うけど、どうやって霖之助さんにあいつのとこまで行ってもらうの?」

「フランの弾幕は私達でも相当きついからな。香霖じゃ一秒も持たずにやられちまいそうだぜ?」

「それなら問題ないわ。私が時を止めて、その間に霖之助さんをフラン様の前まで運ぶ」

「おぉ! それなら確かに何とかなるな」

「えぇ、唯問題は、弾幕が濃いと道が埋まって彼を運べなくなるから、貴方達にはフラン様の眼を引き付けて欲しいの」

「それぐらいなら楽な仕事ね」

「ちょっとまて」

 余りにも(当事者を無視して)トントンと進む作戦会議に、霖之助が異を唱えようとする。
 しかし三人はそれを無視して、霖之助の肩にポンと手を置いた。

「霖之助さん、自分の撒いた種は自分で何とかしなきゃ駄目よ?」

「そうだぜ。このままじゃ男が廃るってもんだよな香霖!」

「フラン様を止められるのはいまや貴方だけです。頑張ってください」

「…………聞けよ」

 余りにも一方的な激励に、次第に霖之助も反論の意思を削がれていく。
 彼自身、今回の件のそもそもの原因が自分にある事は自覚していたので、やがて諦めの息を吐いた。

「それでは行きますよ。霖之助さん、準備は良いですか?」

「……もう好きにしてくれ」

 霖之助の投げやりな返事を聞き、咲夜は霊夢と魔理沙に合図を送る。
 それを受けた二人は、左右から回り込むようにしてフランドールに向かっていった。

「なによあんた達に用は無いんだから! 《禁忌「恋の迷路」》!」

「――《「咲夜の世界」》」

 フランドールのスペルカード宣言から僅かに遅れて、咲夜が同様にスペルカードを掲げる。
 その瞬間彼女以外の時が止まり、咲夜にはフランドールの弾幕の穴がはっきりと見えていた。

「ここね――そして時は動き出す」

 フランドールの真正面、それでいて弾幕の無い安全地帯に霖之助を運んだ咲夜は、自分もまた安全圏へ離れ時間停止を解除する。
 フランドールはもとより、作戦を解っていた霖之助も突如目の前に人が現れた事に眼を見開いていた。
 しかし、何時までも呆けている訳には行かない。

「お兄、ちゃん……?」

「フランドール……すまない、折角楽しみにしてくれていた約束を破ってしまって」

 フランドールが我に帰る前にと、霖之助は言葉を畳み掛ける。

「今回の事は完全に僕が悪かった。お詫びと言っては何だが、これからは君の頼みは何でも聞いてあげよう。勿論、勉強とかとは関係無くだ」

「……本当? 今度こそピクニックに連れてってくれる?」

「あぁ」

「毎日遊んでくれる?」

「弾幕ごっこ以外でなら」

「じゃあ、じゃあ! 毎晩一緒に寝てくれる!?」

「…………努力しよう」

 流石に最後のには一瞬詰まった霖之助だったが、これもこの場を収める為と何とか頷く。
 若干間の開いた返事ではあったが、それでもフランドールは嬉しそうに微笑んだ。
 そして、霖之助は此処で最後の止めとなる言葉を放った。

「だから、もう暴れるのは止めるんだ――フラン」

「――ッ!!」

 彼女にとっては慣れ親しんだ愛称。
 しかしそれを目の前が初めて呼んでくれた事実に、フランドールの脳は沸騰し機能を停止した。
 そして力尽きるように、霖之助の胸にもたれ掛かる。

「む……大丈夫かフラン?」

「う、うん大丈夫……」

「全然大丈夫そうではないな……。やれやれ、部屋で休んだ方が良いだろう――それ」

「わひゃッ!?」

 霖之助は少し腰を折り曲げて、フランドールの背中と膝裏に腕を通す。
 そして一気に持ち上げた――要するに『お姫様抱っこ』の状態だ。
 思わぬ状況に、フランドールが再び暴れだすものの、先程と異なり今の彼女の力は見た目同様の子供のものだった。
 それ故、霖之助は僅かに顔を顰めるだけだ。

「やれやれ……少しおとなしくしてくれ。……あぁ、三人ともすまない。とりあえず彼女を部屋に運んでくるよ」

 フランドール同様、この状況に付いていけなかった霊夢等三人を残して、霖之助はフランドールの部屋に向かったのだった。

 ――この後、霖之助がレミリアやら霊夢やら魔理沙やらにからかわれたり文句を言われたり、兎に角色々言われたのは言うまでも無い。




* * *





「お兄ちゃん、早く早く!」

「解ったからそう急かさないでくれ」

 あれから数日、フランドールと霖之助は約束通りピクニックに出掛けようとしていた。
 幻想郷の本日の天気は曇り百パーセント。
 吸血鬼的には絶好のお出掛け日和であった。

「ねぇねぇ何処行く!?」

「フランの好きな所で構わないよ。一応、僕は君の執事と言う事になっているからね」

「それじゃあね――」

 それが本日の霖之助の災難の始まりであった――




* * *





「お疲れ様」

「あぁ、すまない」

 そろそろ夜が明けようかと言う頃、ようやくフランドールに開放された霖之助は、自室ベッドに倒れこんでいた。
 そんな彼の元に、咲夜がいつかのように紅茶を携えて訪れる。

「それで、フラン様とは何処に行ったんですか?」

「幻想郷中だ。……やれやれ、好きな所で構わない、なんて言うんじゃなかった」

「あらあら」

 霖之助の言葉にクスクスと笑いながら、咲夜はティーポットからカップに紅茶を注ぐ。
 そこから湧き上がった香りはすぐに部屋中に満たされた。

「ふむ、良い香りだね。これは……着香茶かい?」

「えぇ、疲労回復に聞くハーブを何種類か」

「それはありがたいね」

 ベッドから起き上がった霖之助は、咲夜の対面に腰掛けティーカップを手に取る。
 互いに小さく微笑みあい、そして二人だけのお茶会が静かに始まった。














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