【霖之助、襲われる】










「ふむ……」

 右手に持った剣の刃に、ポンポンと打粉を掛けていく。
 表側が終わったら今度は裏側。
 先程と同じように、全体的にムラ無く平らにだ。
 それが終わったら傍らに用意した拭い紙で、刀身を丁寧に拭う。
 全ての作業が終わった後、刃は窓から差し込む満月の光を浴びて、まるでこの世に生まれたばかりのように鋭い輝きを放つ。

「うん、良い感じだ」

 それは、以前魔理沙から引き取った草薙の剣であった。
 ふとした気紛れから、今日はこれの手入れに精を出していたのだ。
 手入れを終えた僕はそれを手に立ち上り、少し広い所まで行くと、二度三度と振るってみて感触を確かめる。
 流石は世に聞こえた神器だ。
 まるで腕の一部になったかのように手に良く馴染む。
 後は、その秘められた力を開放する事が出来れば、完全に僕がこの剣の主と成るだろう。


 ――カランカラン。


 僕が愉悦に軽く喉を鳴らした時だった。
 店の入り口に備え付けられたカウベルが、人の訪れを伝えた。
 折角良い気分だった所を――そう思わないでもないが、来訪者相手に文句を言っても仕方ないだろう。
 ……それがちゃんとした客≠ナあれば、の話だが。

「ごめんください」

 手にした剣を鞘に戻し椅子に座りなおすと同時、来訪者が小さく挨拶をする。
 どうやら、魔理沙や霊夢ではないらしいな。
 彼女等であれば、あのような殊勝な挨拶はまずするまい。
 それでは誰か、と見てみると、その来訪者の顔は見覚えのあるものだった。
 彼女は確か――

「魂魄妖夢、だったか?」

「あ、はいそうです」

 礼儀正しく、ぺこりと頭を下げる彼女(傍らの幽霊も一緒に)の姿に、僕は軽い感動を覚える。
 考えてみれば、この店に訪れる連中の殆どは、礼儀のれの字も知らないような連中だからなぁ。
 出来れば、霊夢や魔理沙にももっと彼女のような礼儀正しさを身に着けて欲しいものだ。
 ……いや、やっぱり止めておこう。
 想像したら何の異変だ、と思ってしまった。

「? どうかしたんですか?」

「いや、なんでもない。……それよりも、今日は何をお求めかな?」

「あ、はい、それなんですが……刀の手入れ道具一式無いですか? ちょっとこの前、持っていたのを駄目にしてしまって……」

「ふむ、確か新品の奴があった筈だ。どれ、今見てこよう」

「お願いします」

 流石に、今僕が使っていた奴を売る訳にも行くまい。
 やれやれ、何処にしまったっけな……。




* * *





「これで良いかな?」

「あ、はい。十分です」

 数分後、注文の品を発掘し終えた僕は再び定位置の椅子に腰掛けていた。
 妖夢も今回はきちんと代金を持ってきていたようで、特に問題も無く売買は成立だ。
 これで用事も済んだだろう……にも拘らず、彼女は変わらず僕の前に立っていた。

「……どうかしたのか?」

「あ、いえ……。店主さんも剣を嗜んでるのかな、って」

「む? ……あぁ、これか」

 よく見ると、彼女の視線は僕の傍らに立て掛けられた草薙の剣に向けられていた。
 そう言えば彼女が来るまではこれの手入れをしていたんだったな……。

「そう言う訳ではないんだが……。まぁ、まったく扱えない訳でも無いけどね」

「へぇ……。それにしても良い剣ですね。こうしているだけでも、その剣の鼓動……みたいなものを感じます」

「おや? 解るのかい?」

「えぇ、私も剣の道に生きる者ですから!」

 どこか誇らしげに薄い胸を張る彼女に、僕は小さく感嘆の息を付く。
 流石は、幻想郷縁起で『剣術を扱う程度の能力』と書かれるだけの事はあるな。
 一目見ただけで、これが唯の剣でない事に気付いたらしい。
 出来れば彼女とはもう少しこの剣について語り合ってみたいのだが……物が物だけに、余り余計な事は言わない方が良いだろう。
 口が堅いようにも見えないし。

「すまないがこれは非売品でね。売る事は出来ないよ」

「あ、いえ! そう言う訳じゃ! 唯……」

 ……なんだろうか、猛烈に嫌な予感がするのだが。
 そんな僕を尻目に、妖夢はグッと握り拳を作り、勢い良く顔を上げた。

「そんな凄い剣を持っているって事は、店主さん実は凄い剣士なのかなって!」

 嫌な予感的中、である。
 彼女はそれそれは見事な勘違いをなされているようだ。
 早急にこれを訂正させなければ、きっと僕は更に面倒な事に巻き込まれるであろう。
 そう思い口を開こうとしたのだが……。

「いやそれはかんちが――」

「手合わせしてください!!」

「――い……」

 だが彼女は僕の言葉を遮るように大声を張り上げる――しかも無駄に輝いた瞳で。
 何となく感じていた事ではあるが、やはり彼女は思い込みの激しいタイプのようだな。
 やれやれ、説得するのは骨が折れそうだ……。
 とは言え、このまま状況に流されるのも論外である。
 僕と彼女の間には天と地ほども実力差があるだろうから、痛い目を見るのは十中八九僕なのだ。
 何とかしなければ――しかし、彼女はそれを考える時間すら与えてはくれなかった。


 ――ヒュン!


「うぉッ!?」

 風を切る音と共に閃いた一条の弧線。
 それが妖夢の手に握られた刀による物であるとは、僕の前髪が数本空に舞うのを見るまで気づけなかった。
 紙一重でそれを避けれたのは、偶然かはたまた彼女が手加減してくれたのか……僕にとって悪い事に、どうやらそれは前者らしい。

「……私の手加減無しの一撃を躱すだなんて……。やはり、店主さんは凄い人だったんですね!」

「だからそれは勘違い……くッ!」

 勘違いが鰻上りで僕の寿命急降下!
 更に妖夢は両手に握った二本の刀を振るい、僕に斬り掛かってくる。
 狭い店の中では上手く剣を振るえないのか、辛うじて僕でも回避し続ける事が出来ているが……それもいつまでも続く訳が無い。
 普段から武道に携わっている者とそうでない者とでは、体力に大きな差があるからな。
 兎に角、早めに彼女を止めなければ。

「店主さん、逃げてばかりじゃ私には勝てませんよ!」

「はじめっから勝負するつもりなど無、いッ!」

 横薙ぎに振るわれた長刀を屈んで躱し、追撃の短刀による刺突を最小限の首の動きだけで回避する。
 その際完全には躱しきれず、頬の皮を一枚持っていかれてしまった。
 ……手合わせ、とか言うレベルじゃ無いだろ、なんてツッコミを入れる余裕は当然無い。
 その間にも、妖夢は右手の長刀を大上段に振り上げ、勢い良く振り下ろそうとする。
 それはどこからどう見ても、僕を殺す気でいるとしか思えない。
 何か、防ぐ物は……長刀が振り下ろされる間際、僕はすぐ傍らに在ったそれ≠掴み、そして引き寄せた。


 ――ガキィィイン!


 次の瞬間、甲高い金属音が店内に響き渡る。
 間一髪の所で妖夢の剣を止めた物……それは、ある意味で事の原因でもある、草薙の剣そのものであった。
 妖夢もそれに気付き、鈍い光を灯した瞳が愉しげに歪められる。

「店主さんもようやくやる気になってくれたんですね」

「冗談、これは単なる防衛行動だ、よ!」

 どうやら互いの力は拮抗しているようで、交差された剣はカタカタと小さく震えるのみだ。
 しかし状況は圧倒的に僕の劣勢。
 何故なら、彼女は剣を片手でしか握っていないからだ。
 理由など考えるまでも無い。
 この少女は長刀と短刀、二本の剣を扱う二刀流の使い手であるのだから。
 そして彼女は短刀を鞘に戻し、余った左手を長刀に添えた。
 それだけで、彼女の剣の重みが何倍にも膨れ上がったように感じる。

「ぐぅ……はッ!」

 このままでは押し切られる――そう判断した僕は、余力を振り絞って妖夢の剣を弾く。
 剣に釣られて両腕が振り上がり、一瞬ではあるが彼女にこれ以上無い隙が生まれる。

「いい加減……収まれ!」

 無防備な彼女の腹部に、掌底を叩き込む。
 彼女同様無理な体勢からの一撃なので、そこに威力はまるで乗っていない。

「この程度で私が――」

「あぁ、ダメージを与える気など最初から無い、よッ!」

「…………あ、う……?」

 次の瞬間、ガクンと妖夢の身体から力が抜け、床に崩れ落ちる。
 やれやれ……咄嗟の判断だから成功するかどうかは少々不安だったが、彼女に打ち込んだ催眠の魔術は何とか効いたらしい。
 先程までの暴れっぷりからは想像もできないほど、穏やかな寝息を経てる少女を抱え、僕は居間に向かった。




* * *





「んん……う……?」

 妖夢の目が覚めたのは、それから三十分ほどたった頃であった。
 寝ぼけているのか、何処か夢見心地な瞳で周囲をきょろきょろと見渡している。
 やがて、僕と視線が合うと彼女ははっと目を見開いた。

「て、店主しゃん!? 何故白玉楼に!?」

「僕の店だ此処は」

 今さっきあれほど辺りを見渡していたと言うのに、何故勘違いできるのだろう。
 それとも、勘違い出来るほどに白玉楼と此処は似ているのだろうか?  それから暫く彼女は『う〜ん』と唸ったり、頭を自分の拳でトントン叩いたり……僅か三十分前の事を思い出すのに随分時間が掛かるな。
 そして更に十秒ほどが経過して……。

「あ!」

 やれやれ、ようやく思い出したか……。
「早く帰らないと幽々子様がお腹空かしてる!」

 …………ごっすん!
 余りにも場違いな彼女の発言に、思わず目の前の机に頭を思い切りぶつけてしまった。
 じんじんと痛む額を擦りながら、僕は彼女に事の次第の説明を始めた。


 ――青年説明中。


「……私が、そんな事を……」

「僕も一体何事かと思ったよ。ストレスでも溜まってたのかい?」

 だからと言って僕相手にそれを発散されても、迷惑以外の何者でもない。
 しかし、僕のその冗談交じりの質問にも彼女は真剣そうな表情で首を振った。
 まぁ、彼女は思い悩む事はあれどストレスを感じる事は無さそうではあるのだが。
 そんな事をぼんやりと考えていると、妖夢は『唯……』と付け加える。

「私は昔から、剣の稽古は殆ど一人で行ってきました。私の剣の師でもあるおじい様は、『教わるよりも盗め』と言う方だったので」

 そして彼女によれば、その祖父は三百年ほど前から行方不明らしい。
 剣の腕は兎も角、精神的にはまだまだ未熟であろうこの少女(+主の亡霊少女)を残して、彼は一体何処に行ったのであろうか?
 話を聞く限りでは、頑固で優柔が利かない面倒そうな相手ではあるが、文句の一つや二つや百個くらい言ってやりたい気分である。

「――なので私は、ずっと剣の手合わせをしてくれるような方を求めていたんです」

「その願望が今夜の月の影響で暴走した、と?」

 ちら、窓の方に視線を向ける。
 そこに数十分前に見たのと変わらず、真円の輝きが空に浮かんでいた。
 彼女はその傍らに浮かぶ幽霊と一心同体の、半人半霊だ。
 満月の夜にその影響を受けたとしても不思議はあるまい。
 尤も、僕も彼女と同じような半人半妖ではあるが月の影響を受けたりはしない。
 目の前の少女よりも精神的に成熟しているのもあるだろうが、それ以上に草薙の剣の主(候補)の素質と言う奴だろう。

「……? どうしたんですか? 何か嬉しそうですよ?」

 どうやら、また顔に出ていたらしい。
 なんでもないと言って誤魔化し、話を元に戻す。

「コホン。……要するに、月に中てられてムラムラしている所に、剣を持っていた僕を見て襲い掛かってしまったと?」

「えぇ…………つい、殺っちゃう所でした♪」

「……………………」

 ――反省の色まるで無し。
 彼女の余りの能天気な笑顔に、頭痛すら覚え始めた僕は無言で傍らの障子を開く。
 その先の光景を見て、妖夢の笑顔は一瞬にして引き攣る。
 ギギギ……と硬い効果音と共に僕の方に顔を向けた彼女は、指を挿して尋ねた。

「あの、これは……?」

 彼女の質問に、僕は自分でもこれまでの人生で最高だと解る笑みを持って答える。




「君の暴れた結果だよ。
勿論、ちゃんと後片付けをしてもらうが構わないね? あぁ、元通りになるまで君を帰さないし、休憩も無しだ」




 ――みょおぉぉぉぉおん!?




 僕の死刑宣告に、妖夢はそれはそれは奇妙な断末魔の悲鳴を上げるのであった。














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