【傘の恩返し】










 ――多々良小傘とは、所謂付喪神である。

 元々は何の変哲も無い道具である傘だが、得てして傘というのは放置され、忘れ去られる事が多々あった。
 彼女≠烽ワた同様で、外の世界から幻想入りし、そして多々良小傘≠ニいう意識が生まれるほどの長い年月が過ぎていく。
 最初希薄であった意識は、徐々に徐々に大きく膨れ上がり、やがてそれに呼応するかのように妖力を持ちつつあった。
 丁度、その時――


「ふむ、中々良い傘だな。天気が崩れだしてきてどうしようかと思ったが、これは良い拾い物をした」


 彼女を、手に取る者が現れた。




* * *





 幻想郷の中心≠自称する古道具屋に小傘が連れられて来たのは、それから半刻も経たない頃であった。
 連れて来られた、と言っても彼女はまだ意識としてのみ存在する、云わば生まれてすらいない赤ん坊だ。
 そんな彼女にも解るほど、その建物には物が溢れていた。
 或いは、外で忘れられた道具同士の共鳴だったのかもしれない。
 どちらにせよ、彼女が彼等の仲間入りを果たしたのは間違いの無い事実である。
 店主としてはとりあえず雨を防ぐ為に拾い、その後は適当に商品欄に加えるつもりであった。
 まだ道具の域を超えていない彼女を、店主はその力を持ってしても普通の傘としか認識していなかったのだ。


 ……


 …………


 ……………………


 彼女が香霖堂の商品となってから早数週間。
 手に取るものはおろか、視線をくべる者すら現れはしなかった。
 店に訪れる者の大半が少女である為、小傘が可愛らしい意匠であったならまだ日の目を見ただろう。
 だが、彼女は一言で言えば茄子のよう≠ナあった。
 そしてそれが、彼女がこうして幻想郷に流れ着いた理由でもある。
 大抵の物に『可愛い』と付ける外の世界の女性からも受け入れられなかった彼女が、幻想郷の少女達に相手にされる筈が無かったのだ。
 しかし今、彼女の心は不思議と満たされていた。

「……おや、埃が溜まっているな。軽く叩いておくか」

 それは、店主が時折自分の事を見てくれるからだ。
 出不精であるらしい彼が雨の日に出歩く事は少なく、必然的に傘も必要とする事は少ない。
 それでも、時折どうしても雨の中出掛けなければならない時は、彼は決まって彼女を手にした。
 自分が必要とされている事が、彼女――道具達にとって何よりも嬉しい事であった。




* * *





 魔法の森への道に妖怪が出る――そんな噂を森近霖之助が耳にしたのは、久方ぶりに人里を訪れた時の事であった。
 一通りの用事を終え、休憩の為に立ち寄った茶屋で小耳に挟んだ他愛も無い噂。
 別に彼は、どんな妖怪か一目見てやろう等という野次馬根性も、わざわざ退治するつもりも無かった。
 普段から妖怪よりも妖怪染みた人間の相手をしている彼にしてみれば、その程度大した問題では無いのだ。
 唯、自分の店への帰り道の事だったので耳に届いただけの事なのだろう。
 事実、霖之助は茶屋を後にして里を出た頃には、その話をすっかり忘れていた。

「やれやれ、少しのんびりしすぎたか。完全に日が落ちるまでに着かないと面倒だな」

 カァー、カァー、と鴉の鳴く夕焼け空を眺めながら、霖之助は一人香霖堂へと歩を進めていく。
 そして、いよいよ日が沈み香霖堂が見えてきた頃だった。

「ん……?」

 周囲に漂い始めた違和感に霖之助は気付く。
 妖しく不気味な気配――噂に聞いた妖怪の事を思い出すのに、時間は要らなかった。

(しかし……)

 逆に霖之助は疑問を覚える。
 スペルカードルールの普及により人攫いが形骸化しつつあるとは言え、妖怪の中には未だに人間を捕って喰らう者も多い。
 この妖怪もその類かと霖之助は思ったのだが、それにしては妙に気配がはっきりしているのだ。
 人攫いとは即ち狩りであり、狩りにおいて自分の存在を主張するのは、獲物に逃げてくださいと言っているようなものである。
 人攫いに慣れていない若い妖怪なのか、或いは人攫いが目的ではないのか――そう霖之助が推測していると、ガサリと近くの茂みが音を立てた。
 更に続けてガサ、ガサリと獲物の不安感を呷るようにそれは響く。

「なるほど……そういう事か」

 しかしその事が、逆に霖之助に答えを提示していた。
 その時、彼の真横の茂みが一際大きい音を立てる。


「バァーーーッ!」


 次の瞬間、ぶわっと何やら大きな物体が勢い良く跳び上がってきた。
 霖之助の視界全体を埋め尽くすそれは、紫色の身体に巨大な一つ目と口があり、口からは長大な舌がウネウネと蠢いている。

「……やはり、人攫いでは無く通行人を驚かすのが目的だったか」

 普通の人間であれば驚愕で腰を抜かし、下手をすれば気を失ってしまいかねない光景だが、霖之助は至って冷静であった。
 彼はむしろ、別の事に驚いているようである。

「人間を驚かす事を好む妖怪と云えば、からかさお化け辺りだろうと思っていたが、まさか僕の傘が化けるとはね」

 跳び出してきた妖怪の姿を一目見れば、それが傘の姿である事は誰の目にも明らかであろう。
 しかし、この妖怪の身体の色は紫――そう、霖之助が使っていたあの傘だ。
 何時の間に妖怪化したのか等々、彼はじっとからかさお化けを見詰めながら思考する。
 一方のからかさお化けの方も、今までに無い反応に戸惑っているのだろう。
 それ以上何をするでも無く、霖之助を見つめ返していた。
 日も暮れた道の真ん中で見詰め合う大人と傘の妖怪――中々にシュールな光景だ。
 ……もしかしたら、さっきよりも此方の方が見た人を驚かせるかもしれない。

「……? ……ッ!」

 暫くして、妖怪の方が不思議そうに首(?)を傾げ、直後驚いたようにその巨大な目を見開く。
 それと同時に、その背後の茂みから新たな人物が現れた。
 緑の髪とそれに合わせたような服装から、霖之助は一瞬花畑の妖怪を思い出す。
 しかし、そうではない事を蒼と紅、左右で異なる輝きを放つ眼前の少女の瞳が語っていた。
 その少女はからかさお化けの握柄を掴み肩に掲げると、霖之助ににっこりと微笑み掛ける。


「おかえりなさい、お父さん」


「……………………は?」

 少女から投げ掛けられた言葉を聞き、霖之助は一瞬思考が停止する。
 そんな彼の反応を余所に、少女は香霖堂の扉を開き勝手に中に入っていく。
 カランカラン、というカウベルの音に我に返った霖之助が後を追って入ると、少女は勘定台の傍らに立っていた。
 非常に気楽そうなその雰囲気は、店に訪れた客というよりも、我が家にいる時のようである。
 霖之助の事を『お父さん』と呼んだりと不思議な少女ではあるが、その正体には霖之助も気付いていた。

「……もしかして君は、その傘が化けたからかさお化け……なのかい?」

「そうよ、私は多々良小傘。……自分で付けたんだけどね」

 自分の事を解ってくれたからか、嬉しそうにはにかむ少女――小傘。
 彼女が再び放った『お父さん』に内心ウンザリしながらも、霖之助は更に質問を重ねていく。

「……何故、僕が『お父さん』なんだ?」

「私を助けてくれたから。……皆もそう呼んでるわよ?」

「皆?」

「うん、あの子とかその子とか……」

 そう言って彼女が指差した方向には誰もいない。
 唯、霖之助が拾い集めた無数の道具があるのみである。
 しかし、彼女が言っているのは正にその道具達の事であると、霖之助はすぐに気付いた。
 何しろ、この少女自身道具から成った存在なのだ。
 会話的な事ぐらいなら出来るのかもしれない。

「助けた、と言うのは?」

「無縁塚……って言うんだっけ? あそこに流れ着いき後はひっそりと朽ちるだけだった私達を、お父さんはその手に取ってくれたんだもの」

 閉じた傘を、何処かうっとりとした表情で撫でる彼女は、実に嬉しそうだ。
 壊れてもまた直せたり別の道具の一部となったりと、道具には物理的な意味での死は無い。
 しかし必要とされなくなる事、忘れ去られる事は、使われる為に作り出された道具の存在意義そのものを奪われてしまう。
 それこそが道具にとっての死と言えるだろう。

「という事は、この店にある全ての道具達が?」

「そうよ、皆お父さんに感謝してる。私達を必要としてくれた事に」

「……そうか」

 彼女の言葉を聞き、霖之助は何とも言えない気持ちを抱く。
 常に道具と共に在り、愛情を注いできた彼にとってそれは、何にも勝る称賛の言葉だったのだろう。
 道具屋をやっていて良かった、と彼は今心底感じていた。
 そんな風に感動していた所で、霖之助は一つ気になる事を思い出した。

「そう言えば、何故君は僕や他の人を驚かせたりしたんだい?」

「う? ……あぁ、それはねぇ、此処に誰も近づかせない為によ」

「……は?」

「だって、お父さん誰かが来ると何時も嫌そうな顔をするんだもの」

 客じゃない常連の紅白と白黒を筆頭に、笑顔が不気味な妖怪少女、新聞を窓から投げ入れる烏天狗等、確かに香霖堂に訪れるのは傍迷惑な連中ばかりだ。
 彼女が勘違いするのも、無理は無い……のかもしれない。

「むぅ……。なら、何故僕まで驚かしたんだ?」

「あ〜……えっと、私はこの子の目を通してものを視れるんだけど……」

 『この子』と彼女が指差したのは、片手に持つあの茄子のような傘であった。
 元々彼女はその傘から成った妖怪なので、感覚が繋がっているのは別に不思議では無い。

「……受肉して間も無いから、上手く出来ずに僕だと気付けなかった……という所か?」

「そんなところ……かな? でも、これからはちゃんと間違えないようにするからね!」

 彼女の言葉を、霖之助が続ける。
 自分の未熟さ故か、或いは霖之助に言い当てられた事からか小傘は少し恥ずかしそうにはにかんだ。
 そんな彼女に、霖之助はやれやれと肩を竦める。
 彼女はこれからも香霖堂に居着く気満々のようだし、これから大変になりそうだ。




* * *





「――そう言えば、あの時の君の驚かし方だが……」

「?」

「正直、余り怖く無かったよ。神経が図太いなんてレベルじゃない霊夢や魔理沙には、むしろ笑って退治されるだろうねぇ」

「ガーーーンッ!?」

「とりあえず、色々な怪談を見て驚かし方を勉強するべきだね。幸い、本なら僕も沢山持ってるし」

「解ったわお父さん! 私頑張るッ!」









2009/3/9






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