【月まで届け紫の煙】










「――やれやれ、困ったな」

 ぷかぁ、と口から紫煙を吐き出しながら、僕――森近霖之助は一人ごちた。
 そんな僕が腰掛けているのは地面から生えた平らな岩の上、周囲には天高く伸びる無数の竹達。
 詰まる所、今僕がいるのは住み慣れた愛しの香霖堂ではなく迷いの竹林であり、ものの見事に僕は迷ったと言う訳だ。
 あっはっは、愉快愉快!

「……な訳無いんだけどね」

「…………何一人で物々言ってるんだ、森近屋?」

 疲労からか思考が妙な方向に有頂天していた所に、背後から突然掛けられる特徴的な呼び名。
 それが僕の事を指しているのは勿論、その声音からは振り向かずとも彼女が怪訝そうに顔を歪めている事がありありと読み取れた。
 何とも嫌なタイミングで出てくる事だ、と見えないようにこっそりと溜息を吐き、僕は彼女の方へと顔を向ける。
 予想通りそこに居たのは、紅いモンペを履き足元まである銀の髪を幾つものリボンで結んだ少女――藤原妹紅だ。
 彼女はこれまた余所通り、怪訝そうに眉を顰めて僕の顔をじろじろと眺めてくる。
 正直、余り心地の良い気分ではない。

「何か顔に付いてるかな?」

「あぁ、口と鼻が一つずつで眼が二つ付いてるわね」

「それは良かった。それが無いと僕は化物になってしまうからね」

「何を今更、森近屋は最初から半分妖怪でしょ?」

「……違いない」

 互いにプッ、と小さく噴出しあう。
 幾度かの冗談の応酬の中で、彼女の表情は幾分か和らいでいた。
 ふむ、これで先程の失態は忘れてくれた事だろう――そう思いたかったが、現実はそう甘くは無い。

「それで、森近屋は何を竹林の真ん中で困っていたんだ?」

「…………」

 やっぱり覚えていたか……あぁいや、当然だな。
 立場が逆だったらきっと僕も覚えている。

「? どうかした?」

「あぁいや何でも無い。……唯、そうだね……」

 別に隠すような事でもないのに、素直に迷ったと言うのは何故か憚られた。
 理由があるとすれば、多分男の意地とかそんなつまらないものなんだろうな。
 しかしそんな下らない事を考えている間に、妹紅の方でも何となく事情を察したらしく――



「……もしかして、迷ったの?」



 ずばりと何の遠慮も躊躇いも無く真実を言い当ててくれた。
 彼女とは共通の友人である慧音を通して知り合ったが、最初からこのように無遠慮だったな……。
 例えば『男の癖にひょろっちい』、『女装が似合いそう』、『肉食え肉』等々。
 余計なお世話だ。

「…………あぁ、実に情けない事にね」

 とは言え、張る必要も無い意地を張って竹林から出られる機会を潰してもしょうがない。
 商売人なら小さな矜持等に拘らず利を追求するべきだ、何より疲れたし。
 ……等々、頭の中で八百万の理論武装を固める事三秒、僕は事実上の降参宣言をする。
 一方の彼女はそんな僕の考えを知る由も無く、クックと嫌な笑い声を小さく上げていた。
 本当に、実に嫌な笑みである。

「あ、ごめんごめん。意地張る森近屋が何だか可愛くってね……くく」

 僕が口をへの字に曲げている事に気付いたのか、妹紅は一応謝ってくるものの眼に涙を溜めて笑いを堪えている姿では、説得力も何も無い。
 とは言えこれでは何時まで経っても話が進まない。
 向こうもそれを解っているのだろう、ようやく笑いを納めて目元を拭い始めた。
 やれやれだ。

「それで? 動かない古道具屋≠ニ評判の森近屋さんが態々竹林まで何しに?」

「皆が思ってるほど僕は引き篭もっていないよ。……それは兎も角、今日は永遠亭に用があってね」

「……永遠亭ぃ?」

 その名を聞いた瞬間、解り易いぐらいに妹紅の眉がピクリと動いた。
 まぁ当然か、あそこの主と妹紅は日々弾幕ごっこという名の殺し合いに興じるほど仲が宜しいのだから。
 それは兎も角……。

「あぁ、八意女史に診察を受けてきたんだ」

「診察? 森近屋何処か悪いのか?」

 先程までとは一変、心配げな表情を彼女は顔に載せた。
 これで存外表情がコロコロ変わる娘なのだ……見ていて割と楽しい。

「いや、診察前も後も特に悪い所は無かったよ」

「なら何故?」

「君も知っての通り人間と妖怪のハーフである僕は、人間の掛かり易い病気も妖怪が掛かり易い病気も掛かり難いと言う特性を持つ。 しかし掛かり難いと言っても絶対ではないし、まだ発見されていないだけで僕等だけが掛かる病気があるかもしれない。 そう言ったのを調べてもらい、またいざと言う時に迅速に対応出来るよう、時折検査してもらっているんだよ」

「そうなのか……」

 明らかに安堵した様子で息を吐く妹紅の姿に、僕はふっと小さく笑みを零す。
 彼女が僕の事を心配してくれたのは勿論解るが、それと同時に慧音の事を思っていたのだろう。
 細かい所は異なるが、彼女もまた僕と同様の半人半妖だ。
 僕を調べる事で得られた情報は、きっと彼女にも役に立つ事であろう。

「まぁ、そう言う訳で特に何事も無く永遠亭を後にしたは良いんだが……」

「気付いたら同じ所をグルグルと回っていた、と?」

 そう言う訳さ、と言葉には出さず肩を竦める事で返事をする。

「そう言う事なら竹林の出口まで案内してあげるわよ」

 仕方ない、とまるで手の掛かる子の面倒を看る母のような眼差しで、彼女は息を吐く。
 見た目こそ僕よりも幼い少女だが、実年齢は文字通り桁違いに年上だ。
 ギャップも感じるが、その身に纏う雰囲気は中々どうして様になっている。
 しかし、残念な事にそれはほんの数秒しか持ちはしなかった。

「……さて、無事帰れる当てが出来た所で折角だから一緒に月見でもどう? こんな月の綺麗な夜は下向いてちゃ損だよ」

「足元をちゃんと見ないと転んでしまうからね。……それは兎も角、確かに今日は良い月だ」

 見上げれば、そこには限りなく真円に近いお月様。

「残念なのは今日が小望月って事ね。森近屋が迷ったのが明日だったら、綺麗な満月が見られたでしょうに」

「また明日も迷えって? そんな面倒は御免だよ」

「つれないわねぇ」

 特に深く考えては無さそうな顔であっけらかんと言い放って、妹紅は僕と背合わせになる形で岩に腰掛ける。
 酒が無いのは残念だが……あぁいや、月≠見≠驍ゥらこそ月見なのだ。
 酒はあくまで気分を盛り上げる為の物なのだから、これはこれで構わないだろう。
 代わりと言っては何だが、今日はこれ≠ェあるしな。

「君もどうだい?」

「それは……森近屋がさっきから咥えてるのだな? 煙草のように見えるけれど……」

「煙草だよ。紙巻煙草と言ってね、現在の外の世界ではこれが主流らしい。火さえあればこれ単体で吸えるし嵩張らない、中々に良い物だよ」

 今まで咥えていたのを岩に擦りつけ消化し、腰元の鞄から取り出した携帯小皿≠ノ吸殻を放り込む。
 それから二本、新たに紙巻煙草をケースから取り出し片方を妹紅に渡した。

「火はいるかい?」

「私にそれを訊くのか? 森近屋こそどうなの?」

 ニヤリ、と得意気に指先から火を出す妹紅に、僕は無言で同じ事をして返してやる。
 見れば思った通り、彼女は驚きで目を丸くしている――中々に良い気分だ。

「魔法使いほどじゃあないが、僕もそれなりに魔法への造詣があるからね。火を出す程度ならお手の物だ」

「ふーん、なら私も貰おうかな」

 何だそれ、と思いつつも彼女の咥える煙草の端に火を灯す。
 それと同時に漂い始めた煙を何処か不味そうに、しかし味わうようにゆっくりと吸い込んで、吐いた。
 その一連の動作を眺めてから、僕も自分の煙草に火を付ける――うむ、不味い。
 しかしこの不味さがまた堪らなくもあった。
 それは妹紅も同様らしい。

「ふー……。不味い煙草に少し欠けた月。これはこれで乙なものね」

 恐らくは頭上の月を見上げようとしたのだろう。
 首元に柔らかく、そしてこそばゆい感触が広がった。
 やれやれ、これでは僕が月を見れないではないか。

「あぁ、不完全な物同士でも合わされば極まれる、って事なのかな」

「マイナスとマイナスを掛けたらプラスになるって? ふふ、そうかもしれないわね」

 酒がある訳でもないのに、不思議と気分が高揚していた――雰囲気に酔ったのかもしれないな。
 背中越しの温もりを感じながら、ぷかぷかと浮かぶ自らの吐き出した煙の輪を眺めていた。




* * *





「…………寒い」

 ビュオォ、と勢い良く吹く風が口元の煙を掻き乱し、吹き飛ばす。
 それは同時に体温をも奪っていき、僕は身体をぶるりと振るわせたい欲求に襲われるが、気力でそれを抑えた。
 この状況で唯一にして最も暖かい背中には、全身を委ねるように寄り掛かった妹紅が、何時の間にやらすやすやと寝息を経てている。
 そのお陰で身体を動かす事が出来ず、正直さっきから腰が痛くなってきて仕方が無い。
 せめてもの暇潰しに、と只管煙草を吸い続けていたのだが、残念な事に今吸っているのが最後の一本。
 そしてそれも殆ど燃え尽き掛けている。
 やれやれだ。

「そう言えば……そもそも何故僕は彼女と一緒にいるんだ?」

 眠気か、或いは呆けたか……その根本の部分を僕は度忘れしてしまった。
 確か、身体の検査の為に永遠亭を訪れてその帰りに偶然鉢合わせして、そこでした話の流れで月見をする事に……いやちょっと待て。
 その流れは良い、それ自体に別に不自然な所は無い。
 しかし、妙に胸に引っかかる――何か重大な見落としをしているような。
 一度生まれた疑念は意識の覚醒を促し、そして埋もれ掛けていた記憶を芋蔓式に引き出し始める。

「そうだ……! 僕が永遠亭を出た時、まだ日は高く夜はおろか夕方にすらなっていなかった」

 けれども僕が彼女と会った時、周囲を照らすのは暖かな太陽ではなく静やかな月明かりだった筈。
 永遠亭から竹林の出口まで迷う事無く進めば、掛かる時間は精々が半刻と言ったところ――そう、迷わなければ≠セ。
 此処までくればもうあれこれ考える必要はあるまい。

「あぁそうだったな……僕は竹林で迷って、それで彼女に出口まで案内してもらう筈だった」

 その割には暢気に月見になど興じていた訳だが……まぁその辺は良い。
 とりあえず今僕がすべきは背中で眠る自称竹林の案内人を起こして、愛しい我が家に帰る事である。

「妹紅……妹紅」

 先程までは起こしては可哀想だと思って身体を動かす事を極力抑えていたが、そうと決まれば遠慮する必要は無い。
 むしろさっさと起きてくれと気持ち大きめに身体を振り向かせ、すっぽりと胸元に収まった彼女の小さな肩を掴んで揺する。
 しかし彼女はこんな状況にも拘らず眠りが深いようで、軽く揺すった程度では身動ぎもしなかった。
 仕方なく、より腕に力を込めて大きく揺すってみる。

「う、んん……?」

 流石に今度は効果が合ったようで、ゆっくりとした動作で彼女の瞼が開いていった。
 何処か虚ろなその瞳は、恐らくまだまだ寝足り無いという無言の文句なのだろう。

「さむ……ん、あぁ〜……!」

 しかし丁度タイミング良く吹いた冷たい風が、彼女の意識の覚醒を促す。
 ぶるりと一つ震えてからそれはそれは大きな欠伸。
 眼の端に浮かんだ涙を拭う頃には、その瞳にはっきりとした意思の光が宿っていた。

「おはよう、森近屋」

「あぁおはよう。……でも、夜明けまでは後一刻は余裕であるだろうね」

 何事も無かったかのようににっこりと笑い掛けてきた彼女に、僕は幾分かの嫌味を乗せて返事をする。
 起きたならとりあえず出口まで案内してくれ、と言外の要求も忘れない。

「うぁ、すっかり寝ちゃってたなー。こんな所で寝てたら風邪引いちゃうよ」

「風邪引いたところで君なら特に問題は無いだろう?」

「私は森近屋の事を言ったのよ。病気になり難い、と言ってもならない訳じゃ無いんでしょ?」

「寝ていたのは君だけな訳だが……まぁそうだね」

「そういう人ほど一旦病気になると長引くのよね。さっさと家に帰って風呂入って寝た方が良いんじゃない?」

「……それが出来れば苦労はしないんだけどね」

 やれやれ、どうやら此処までの経緯を忘れていたのは僕だけではなかったようだ。
 それで竹林の案内人が務まるのか?  ……勤まってないな、現在進行形で。
 僕がわざとらしく大きな溜息を吐いてみせると、そこでようやく彼女の方も思い出したらしい。
 あはは、と乾いた笑いを浮かべながら岩から腰を上げた。




「――それにしても、随分とぐっすり眠っていたな」

「む?」

 さくさく、ざくざくと二つの足音が竹林に響く。
 勿論それは僕と妹紅のものだ。
 僕等が奏でるそれ以外は真に静かなもので、他に響くのは精々が蟲の声ぐらい。
 夜中にこそ活発になる竹林の獣達はしかし、まるで眠っているかのように気配すら感じられなかった。
 もしかしたら、僕の隣の少女に恐れをなしているのかもしれない。
 そんな、下手な妖怪よりも恐ろしい彼女は、しかし何処か困ったように頬を仄かに赤らめていた。

「そ、それは……」

 寝ているところを見られたのが恥ずかしい、とでも言うのだろうか?  僕が彼女の寝顔を見たのは起こす間際だけだが、外の世界の漫画のように鼻提灯を膨らますでも涎を垂らすでもなく、普通に綺麗な寝顔だったと思う。
 別段恥ずかしがる理由は無い筈だ。

「いや、そんな解説される時点で相当恥ずかしいんだけど……。まぁそれは兎も角……森近屋って背中大きいのね」

「むぅ?」

 その脈絡の無い言葉に、今度は僕が唸る。
 しかし彼女はそんな僕の事は気にせず、言葉を続けた。

「最初見た時はもやしみたいな奴、って思ったけど案外引き締まってるし……」

「まぁ、これでも店の仕入れは殆ど一人でやってるしね。それなりに体力は自信があるよ」

 単純に体力や腕力と言った点で見れば、人間である霊夢や魔理沙よりかは上であろう確信はある。
 流石に隣の彼女より上かは解らないが。
「よーするに、森近屋の意外な逞しさに私は父性のような物を感じちゃったのよ。暖かかったしね」

「それが人の背中でぐっすりだった理由かい?」

「外の世界ではギャップ萌え、って言うらしいわよ?」

「……何か違う気がするよ」

 やれやれと息を吐いて見せるが……父性、ねぇ。
 僕にそんな物があるとは思えないが……そもそも、子供もいない訳であるし。
 それともそう思われるほど、僕は老けて見えるのだろうか?  自分よりも遥かに年上の人物にそう思われるのは、かなり複雑な気分だ。
 とは言え、慕われているのは中々に悪くない気分だが。




「――と、そろそろ出口だぞ森近屋」

「やれやれ、やっと帰れるよ……」

「はは、なんなら香霖堂までお供しようか? 今夜は満月だしね。もう一回月見をするのも悪くないかも」

「……次は人の背中で眠らないでくれよ?」

「それはどうかしら? 森近屋の背中は案外心地が良いからね」



 ニヤリ、と何処か愉しげに微笑む妹紅に肩を竦めながら、僕は帰路を辿る。
 見れば視界の彼方には朝日が覗き始めていて、今日も良い月見日和になりそうな気がした――









2009/5/20執筆
2009/6/28掲載






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