【僕と私の想い方】










 しんしんと降る雪が、世界を白く染める。
 それはこの魔法の森も例外では無く、普段の不気味な雰囲気からは想像も出来ないほど、神秘的な様相を醸し出していた。
 立地条件に反して日頃から騒がしいこの香霖堂も、今日は静かなものだ。
 その原因の片割れである、客で無い¥連がその雰囲気に当てられたのか……或いは、彼女自身が変わったのだろうか。
 どちらでも良いと思うと同時に、その両方であるような気もする。

「寒いわね」

 窓の外を眺めながら、霊夢はポツリと呟く。
 幻想郷でも此処にしかないだろうストーブでむしろ暑いくらいだが、しかし彼女の格好はやはり寒いらしい。
 冬仕様と言う事で幾分か生地は厚くしてあるが、やはり首や腋が出た服では焼け石に水だろう。
 ふむ、何か保温効果のある道具を混ぜ込んでみようか?  そう一瞬思うも、一つやったら彼女の冬服全てにそれを行う事になりそうだ。
 面倒だし、この娘がその分の代金をちゃんと払ってくれる気が全くしないので、すぐ忘れる事にする。
 代わりに奥の部屋からちゃんちゃんこを持ってきてやると、霊夢は嬉しそうに袖を通し始めた。

「ありがと。……あら、霖之助さんとお揃いなのねこれ」

「そりゃあ、それは僕のだからね」

「ふふ、ぶかぶかー」

「それでも寒いと言うのなら、地下に行く事をお勧めするよ。あそこには灼熱地獄があると、そもそも君自身が言っていた事だしね」

 何故か嬉しそうに笑っている霊夢に、僕はやれやれと方を竦めながらそう言葉を続けた。
 まだ記憶に新しい、間欠泉から怨霊が噴出したあの異変。
 異変解決の為に地下に潜った彼女と魔理沙が最終的に辿り付いたのが、その灼熱地獄らしい。

「嫌よ。あんな所にいたら、半刻と持たずに干物になっちゃうわ」

「……干物で済むのか? 灼熱地獄は」

「さぁ?」

 『さぁ?』って……自分で言った事だろうに。

「どっちにしろあそこに行く気は無いわよ。面倒だし、何よりこっちにはお茶とお菓子があるしね」

「それも一応商品なんだがね。ちゃんと代金は払ってくれるのかい?」

「お賽銭が入ったらね」

 要するに払う気は無い、という事か。
 まぁ、今更ツケの一つや二つでどうこう言うほど僕も心が狭くは無いが――人、それを諦めという。

「それにしても今年はやけに寒いわね。……なんか、年々冬が寒くなってきてない?」

「冬は元から寒いものだよ」

 霊夢にはそう答えるものの、確かにそれは僕も薄々感じていた事だった。
 そういえば、外の世界では地球温暖化≠ニかいうものが騒がれているらしいな。
 もしかしたら、その影響で寒さが幻想入りしてきているのかもしれない。



 ――カラン、カラン。



 そんな事を考えていると、カウベルの音と共にこの香霖堂にも寒さが侵攻して来たではないか。
 やれやれ、『噂をすると影』とは良く言うが自然現象にまで通用するとはな。

「と言う訳でさっさとドアを閉めてくれ」

「あー? そんないきなり言われても、私はさとりじゃ無いんだぜ?」

 寒い寒いと身を震わせながら、魔理沙は霊夢の隣に腰掛けストーブに手を添える。
 いきなり温度が上昇した為、魔理沙の帽子や肩に積もった雪が溶けてぽたぽたと床に染みを作っていく。
 やれやれ……外が寒いのは解るが、雪ぐらい掃って来て欲しいものだ。

「今拭く物を持ってくるから、そこで待ってるんだ。間違ってもその状態で商品に腰掛けるなよ」

「ついでに風呂も沸かしてくれると嬉しいんだぜ?」

 言った傍から指定席である壺に腰掛け、あまつさえそんな事をのたまう彼女の図々しさには、呆れを通り越して感心してしまいかねない。
 いや、しないけど。
 そんなこんなでタオルと着替えを持ってくると、今度はストーブの前に陣取りそれはそれは素晴らしいアホ面を浮かべていた。
 見るからにストーブの魔力に当てられた彼女に呆れていると、僕同様呆れの表情を浮かべていた霊夢が手に持ったお払い棒でバシリと魔理沙の頭をひっぱたく。

「あいたッ!?」

「ちょっと、後からやってきて何私の場所取ってんのよ」

「む、霊夢もいたのか……別に良いだろう? 霊夢は私と違って濡れてないんだから」

「ふふん、お生憎様! 私の服には防寒性は皆無なのよ!」

「……いや、なら着替えようぜ? 上にちゃんちゃんこ着るよりもまず根本的な問題の解決として」

 魔理沙の至極真っ当な意見に僕も頷きたい気分だが、残念ながらそれは既に僕が通った道である。
 当然霊夢がそれに頷く筈も無く、『あぁ寒い寒い』と着替えの為に立ち上がった魔理沙に代わってストーブの前に座り込んだ。
 先の魔理沙にも劣らぬ見事なアホ面だ。
 そのうち着替え終わった魔理沙も戻ってきて、霊夢とストーブに当たるのに一番良い位置を求めて小突き合いを始める。
 それを苦笑交じりに眺めていると、魔理沙が唐突にポツリと呟いた。



「……そろそろだなー」



「「……?」」

 その主語が抜けた呟きに、僕も霊夢も揃って顔に『?』を浮かべる。
 それに気づいた魔理沙が如何にも面倒臭そうに『新年だよ』と付け加えると、ようやく合点がいった。
 最近は日がな一日中、ストーブの利いた暖かい店内で本を読んでいたからついぞ忘れていたが、明日は大晦日なのだ。
 ふむ、年末の行事と言えば大掃除だが……今からでは仮に休まずやった所で終りはしないだろう。
 仕方無いが、大掃除は来年の年末に持ち越すしかあるまいなうんそうしよう。

「それ、毎年聞いてる気がするわ」

「僕も毎年言っている気がするよ」

 呆れ気味に呟く霊夢に、僕も肩を竦め答える。
 何処かに手伝ってくれる優しい心の持ち主が居ればなー、とそっと視線を送ってみるが、本日唯一の来訪者共は薄情にも僕と目が合った瞬間顔を逸らしてくれた。
 失礼な連中だ。
 せめてツケの代金分くらいは働いて欲しいのだが……とそこまで考えて、彼女等に大掃除をやらせたら文字通り何もかも√Y麗さっぱりにされそうだなと思い直した。
 仕方ないので、話題を変えてみる事にする。

「しかしあれだな。この時期になると霊夢も大変なんじゃないのか?」

「あー……」

 普段は殆ど参拝客が訪れないとは言え、祭事があれば博麗神社にもそこそこ人が集まっていたりする。
 今は守矢の神社もあるが、妖怪の山に建っている事から里の人間では中々参拝する事が出来ないのが実情だ。
 最近になって里の慧音や守矢の神二人が天狗とその辺りの交渉を始めたらしいが、それでも当分は博麗神社の方に人が集まるだろう。
 だからと言ってその現状に胡坐を掻いていたら、いずれは参拝客を全部あっちに持っていかれそうだが……霊夢は大して気にしていないようだ。
 むしろ、知り合いの妖怪連中がこの機に宴会だの何だのと騒ぎ出さないか心配らしい。
 何を今更……と言うべきだろうか?

「何を今更。当の妖怪連中はとっくに宴会の計画を立ててるんだぜ? 特に今年は神社に温泉が湧いたからな。皆それに興味心身だ」

 僕の考えを読んだのではないだろうが、魔理沙の発した言葉は僕の思っていた事そのままであった。
 しかしというか何と言うか……一般的には目出度い正月も霊夢にとっては面倒事だらけのようだ、南無。
 僕が胸の内で手を合わせていると、如何にも嫌そうな顔をした霊夢が魔理沙に八つ当たりしていた。
 とは言え、何だかんだで毎回彼女も宴会を楽しんでいるらしいし、これも彼女等なりのじゃれ合いなのだろう。
 そんな事をぼんやりと考えながら、先程から膝の上で放置されていた本の頁を捲る。
 あの宴会は騒ぎたい連中が自分から集まってくるので、僕のように静寂を好む者には縁の無い話だ。
 明日も何時も通り、動かない古道具屋≠ニ揶揄される程度にのんびりする事にしよう。
 ……何となく、面倒な事になりそうな予感もしていたのだけれど。




* * *





「――どうして君は此処に居るんだい?」

 日が変わって大晦日当日。
 年越し蕎麦の仕込みも終えて居間に戻ってきた僕が見たのは、まるで最初から居たかのように堂々と寛ぐ腋巫女の姿だった。
 しかもあろう事か、とっておきのお茶とお茶菓子まで彼女は貪っている。
 厳重に隠していたつもりだったのだが……流石は霊夢と感嘆するべきか呆れるべきか。

「あら霖之助さん、お邪魔してるわよ。……あぁそうそう、このお茶とお茶菓子だけど隠し方が考え込まれ過ぎてて逆に簡単だったわよ?」

「……貴重な意見ありがとう」

 まぁ、あれで駄目なら彼女には何処に隠しても無駄な気がするけどね。
 とは言えこのまま盗られっ放しと言うのも癪だから、僕はまた次なる隠し場所を思案するのだが。

「それで? どうして君は此処に居るんだい?」

「その台詞は二度目ね」

「知ってるよ。唯、答えて貰えなかったからちゃんと訊き直さないとな」

「そうね。解らない事をそのままにするのはいけないわね」

 ふふん、と何故か得意気に笑い掛ける霊夢に、僕は小さく肩を竦める。
 まぁどうせ、神社での宴会が面倒だから此処に避難して来た、と言ったところなんだろうが。

「宴会が面倒だから避難して来たのよ」

「……………………」

「あら、どうかしたの霖之助さん?」

「いや、何でもない」

 余りにも予想通り過ぎて少し絶句していただけだ――等とは勿論言わず、この傍迷惑な少女に改めて向き直る。
 一方の彼女は僕の考えている事など露知らず、実に幸せそうな表情でお茶を啜っていた。
 そしてその表情が本当に幸せそうで、僕は喉元まで出掛かっていた文句を思わず飲み込んでしまう。
 ……まぁ、今更文句の一つや二つ言った所で無駄だろうしね。
 とは言え……。

「避難場所として此処を選んだのは賢い選択とは思えないが? 宴会に参加する連中の大半は此処を知ってるだろう?」

 宴会の参加者は過去の異変の主犯格を初め、幻想郷でも名のある人妖が多い。
 そしてそう言った連中の間でも、この香霖堂の存在は割と知られているのだ。
 その理由は大きく二つに分類でき、一つは単純に僕や店に興味を抱いている者だ。
 多くの者は此方に分類されており(多分)、傍迷惑な奴も多いが客も少なくない(と思う)。
 二つ目は僕とは別の人物――魔理沙、そして霊夢目当てに来る奴だ。
 二人ともどう言う訳か揃って、自宅以外の場所で一番良くいるのが香霖堂なのである。
 即ち、二人に会いたければ彼女等の家か此処に来れば高確率で会える、と言う事なのだ。
 こう言った連中は店には興味がない為、何も買わずに騒ぐだけの迷惑な連中でしかない。
 まぁ要するに――

「僕は大晦日まで騒がしいのは御免だよ」

 そう言う訳である。

「心配ないわよ。どうせ連中は宴会に夢中で、私がいなくても気にしないだろうし」

「……そうかい」

 初めから解ってはいた事だが、やはり霊夢は僕程度の言葉では簡単に意見を変えてはくれないようだ。
 まぁ、僕としても大して期待していた訳ではない。
 それに先はああ言ったが、彼女の言葉通り他の連中が宴会に夢中だったならば、確かに僕の望む平穏が崩れる事はないだろう。
 魔理沙と一緒にいる事が多いから気付きにくいが、霊夢はどちらかと言えば僕に近い――穏やかに時間を過ごす事を好む性格だ。
 少なくとも、現時点では追い出す理由などないのも事実であった。

「まぁ好きにすると良い。……それに、どうせ僕の意見など聞く気もないのだろう?」

「良く解ってるじゃない。霖之助さんのそんな所が好きよ」

「あまり嬉しくない好かれ方だね」

 互いに感情の籠っていない声音で放ち合う皮肉。
 しかし何故だろうな、昔からのこのやりとりが最近妙に楽しく感じるのは。
 良く見れば、霊夢の口元も相当に小さくではあるものの、楽しげな笑みを形作っているように見えた。

「……? どうかしたの、霖之助さん?」

「あ、いや何でもない。……それよりもそろそろ良い時間だ。蕎麦でも食べるかい?」

「何を当然の事を。年越し蕎麦を食べずして年は越せないのよ霖之助さん」

 要約――さっさと作ってきてちょうだい。
 少し怒ったように眉を吊り上げた霊夢が、指を立てて早口気味に捲し立て始める。
 やれやれ……きっと彼女は年越し蕎麦の意味よりも、それを食べるという事の方が大切なのだろうな。
 所謂『花より団子』、という奴だ。

「むッ……なんか小馬鹿にされた気がしたわ」

「被害妄想だよ」

 相変わらずの勘の鋭さに、呆れ半分感心半分な息を吐いて僕は台所へと向かう。
 仕込み自体は既に終わらせていたから、後は麺を茹でるだけだ。
 そう時間の掛かる作業ではない。
 外の世界の本で得た知識と僕の技術を混ぜ合わせて作った、特製コンロで湯を沸かして二人分の麺を放り込む。
 程無く……霊夢がお茶を一杯程度啜っている間に、麺も茹であがった。
 それを一旦冷水で揉み洗いし、水切りしてから同様に温めていた出汁と共に丼に盛り付け、そして最後に海老の天麩羅を乗せて完成だ。

「――出来たよ」

 恐らくはまたしてもお茶のお代わりを淹れたのだろう。
 なみなみと注がれた湯呑を手に、縁側の向こうの風景をぼんやりと眺めていた。
 釣られて、僕も彼女の視線の先を追う。
 そこにあるのは月。
 細くしなやかに曲がる三日月が、雲一つない夜空の真ん中で爛々と輝いていた。



「綺麗ね」



 ポツリ、と。
 もう一度呼びかけてみようとしたその時、霊夢は独り言とも取れるそんな呟きを零した。
 しかしそれは確かに僕に向けられたもので――ゆっくりと振り向いた彼女は穏やかで、何所か神秘的ですらある笑みを浮かべている。
 その瞳に浮かぶ色は月明かりを受けてか、慈愛のようにも悲哀のようにも……様々に感じられた。
 吸い込まれそうだ――そう、思った。

「霖之助さん?」

「――ッ」

 気づけば霊夢が怪訝そうに眉を顰めて、僕の顔を間近に覗き込んでいる。
 それも……あと少し顔を進めれば互いの唇が触れそうなほどに、だ。
 別に僕は少女相手に欲情するような趣味は持っていないが、流石にこれだけ近いと驚きで思わず硬直してしまう。
 そんな僕の沈黙をどう受け取ったのか、霊夢はおもむろに両手を伸ばして僕の頬を摘まみ始めた。

「れ、霊夢……?」

「ふぅん、霖之助さんの肌って結構すべすべしてるのね。……もしかして、私よりも綺麗なんじゃないの?」

 何を言われるのかと思ったら、何だそんな事か――思わず僕は胸の内で呆れ返る。
 一方の霊夢はまるで感触を楽しむかのよう二、三回ふにふにと僕の頬を弄ると、やがて満足したかのように笑みを浮かべて手を離した。

「前々から思ってたけど、霖之助さんって結構女性的よね。体の線細いし、女装とかさせたら似合いそう」

 何所か満足げな表情でそんな事を言い出した彼女が、くっくと可笑しそうに喉を鳴らす。
 恐らくは僕が女装した所でも想像しているのだろうが……傍迷惑な事だ。
 しかし、その傍迷惑な話題の影で僕の緊張が解れたのも、また事実であった。

「言っておくが僕にその気はないよ」

「そう? ……残念ね」

 残念と言う割に顔がまったくもって残念そうでないのは、結局の所霊夢にとっても会話のネタ以上のものではないのだろう。
 僕としてはその方がありがたいから良いのだが。
 やれやれと方を竦めながら見れば、既に霊夢は自分の蕎麦へと箸を伸ばしていた。

「ほら、霖之助さんもぼうっとしてないでさっさと食べたら? 蕎麦が伸びちゃうわよ」

「それはそれは……長生き出来そうな話だね」

 軽い笑みと共に言葉を返しながら、霊夢の対面へと腰掛け蕎麦の入った器を手にする。
 まずは出汁から一口……うむ、旨い。
 それが決して自画自賛でない事は、目の前の少女の顔を見れば解った。

「これ、何時も食べてる蕎麦と感じが違うわね……」

 ……やはり気づいたか。
 霊夢が此処で食事を取っていくのは割と日常茶飯事であり、その中で僕が蕎麦を作って出した事も一度や二度ではない。
 むしろ、これほどの違いが出ていて気づかない方がおかしい、か。

「あぁ、実は先日紫が買い物に来た際、代金と称して色々と食材を置いて行ってくれてね。折角だからそれを使ってみたんだ」

 その食材というのが鰹節や昆布といった、海のない幻想郷では貴重な品物ばかりであった。
 年越しを間近にしたこのタイミングでこの食材。
 まるでこれを使って年越し蕎麦を作れと言わんばかりであり、思わず失笑を浮かべてしまったほどだ。
 因みに、今霊夢が齧っている天麩羅の海老も、紫が置いて行ったものだったりする。

「ふぅん、随分羽振りの良い事だけど……本当にこれだけかしらねぇ」

 丸で毒でも警戒するかのように、半分ほどまで減った蕎麦を睨みつける霊夢。
 先ほどまで満足そうに食べていたというのに、この掌を返したような態度……余程紫は信頼されていないようだ。
 まぁ、正直なところ僕も霊夢に同意だったりするのだが。
 妖怪の賢者と称され、日々幻想郷の為に尽力している(らしい)紫ではあるが、その言動は常に揺らめく境界の如し。
 聞いた話では最も近い筈の彼女の式神ですら、その考えを完全に理解出来てはいないというほどだ。
 故に僕も霊夢も……彼女を知る者が、その行動が一見単純に見えたとしても実は何かあるのでは、と勘ぐってしまうのは仕方ない事だろう。

「仮に何かあったとしても、今更気にしても仕方あるまい」

「……そうね、此処まで食べちゃったんだから、最後まで食べなきゃ食材達に失礼よね」

 そう言う事だ。
 何かあったならばその時に対応すれば良い。
 何もない時からあーだこーだと考えていたら、とてもではないが幻想郷で生きていく事など出来ないだろう。
 そう互いに納得し合い、再び箸を動かし始める。
 それから二、三度蕎麦を啜った時であろうか。

「……それにしても、相変わらず霖之助さんの腕は良いわねぇ」

 唐突に何事か、と思ったが霊夢が唸るようにして蕎麦を啜っているのを見て、料理の事かと思い到る。

「一人暮らしの身ならば、この程度大した事ではないよ。そもそも、今日は素材が良いからね」

「幾ら素材が良くても、そこそこの腕の人が料理したものは味もそこそこよ」

 パクリ、と身の大きい海老天を一口齧り、霊夢はうむむと再び唸る。

「身はプリプリで衣もさくふわ……これは狙ってやらなきゃ出せないわよねぇ?」

 口元にくっついた小さな衣のかすを、ペロリと舌で舐め取りながら霊夢は得意気な視線を向けてきた。
 まるでグルメ評論家気取りだな――そんな事を思いつつ、僕は自分の器を持ち上げて出汁を啜る。
 我ながらその行動がまるで照れ隠しのように思えて、胸の内で小さく苦笑を浮かべた。
 やれやれ……霊夢に料理を作って出すのも、それを食べた彼女が僕を褒めるのも今更珍しい事ではないというのに、何故僕は今日に限ってこんな事を思っているのやら。
 自分の事なのに――いやむしろ自分の事だからこそままなならない胸の内に、僕はそっと肩を竦めた。



 ――後になって思えば、それが彼女を意識している事≠意識した瞬間だったのかもしれない。




* * *





「ふぁ……」

 既に夜の闇も去った朝方、私は神社へと戻る為にこの寒空の下、欠伸を噛み締めながらゆっくりと空を行く。
 ゆっくりと進む理由は唯一つ、速度を出すと風が当たって寒いからだ。
 ……別にゆっくり進んだところで、結局寒い事には変わりないのだけど。
 しかし今の私にとっては少し(どころじゃないけど)寒いくらいの方が良い。
 もし今が春だったとしたら、余りの陽気に私は空を飛びながら眠ってしまうかもしれないから。

「……あ、それはそれで良いかも」

 もしも眠ったまま様々な行動が取れるのならば、きっと便利だろう。
 異変の解決だって寝てるうちに出来るし。
 そんな、くだらない事をつらつらと考えているうちに視界に神社が映る。
 流石に宴会は既に終了しているようで、境内に余り人(というか妖怪)の姿は見られない。
 殆どは既に帰ったようだが、中には羽目を外し過ぎたのかこの寒い中境内に転がって寝ている奴もいるけど……妖怪だし、別に心配しなくても良いだろう。
 それよりも私が気になる事は一つ。

「さて、どれくらい入ってるかしらね」

 死屍累々といった感じの境内を躊躇いなく進み、辿り着いたのは古惚けた賽銭箱。
 普段は妖怪神社だの何だの言われている此処も、正月を始めとした祭事にはそこそこ人が集まったりする。
 だから、今日どれくらいお賽銭が入っているかで今後の私の生活が決まると言っても過言じゃない。
 正に一年の計は元旦にあり、だ。
 少し意味が違う気もするけれど。
 そんな、期待半分不安半分で賽銭箱の中身を確認した私は――



「……………………はぁ」



 盛大に、それはそれは盛大に溜息を吐く事となった。
 別に全く入っていなかった訳じゃない。
 けれども、それは例年に比べて半分……いやもっと少ないかもしれないほどだった。
 参拝客がそこかしこで寝っ転がる人妖に驚いたのか……いや、それはあるだろうけど、もっと直接的な原因はやっぱり山の神社だろう。
 これは本格的に何らかの対抗策を考える必要があるかもしれない。
 さしあたって、霖之助さんあたりにでも相談してみましょうかしら?  あぁ、でも以前相談した時には大した答えが返ってこなかったから、望み薄かもしれない。
 とはいえ、私の周りで相談が出来て一応の答えが返ってくる≠フは霖之助さんくらいなんだけど。
 まぁ、それよりも賽銭箱を確認した私が次にする事は……さっさと寝る事だ。
 霖之助さんとの会話がそれなりに弾んでいたのと、やらなければならない大切な事があったので、私は一睡もしていないのである。
 正直眠くて敵わない。

「…………ん?」

 そんな訳でもそもそと寝室まで辿り着いた私だったが、そこが普段と様子が違う事に気がついた。
 昨日の朝起きた時に仕舞った筈の蒲団が部屋の中央に敷かれ、しかもそれが膨らんでいるという事に。
 眠気で思考が働かない私でも解る、誰かが勝手に私の布団で寝ているのだろう。
 そしてそれが誰なのかと言えば――

「やっぱあんたなのね、魔理沙」

「んほ……? ぷぎゃッ!?」

 まるで此処が自宅であるかの如く、魔理沙は緩み切った表情で鼻提灯を膨らませていた。
 仮にも恋の魔法使い≠自称する者として、それはどうなのだろうかと疑問に思うくつろぎっぷりだ。
 人によっては笑みを誘われるかもしれない光景ではあるが、一刻も早く眠りに付きたい私にとっては邪魔以外の何物でもない。
 だから、私が魔理沙を蹴っ飛ばして布団の所有権を強引に奪い返したとしても、咎められはしないだろう。

「いやいや、もう少し穏やかな方法があったんじゃないかと魔理沙さんは思うんだぜ?」

「ないわね。そもそもその穏やかな方法を取ったら魔理沙は布団を譲ってくれたのかしら?」

「譲る訳ないな!」

 余りにも予想通り過ぎて笑いも怒りも浮かばない彼女の言葉に、私は唯一言『おやすみ』と返す。
 すると魔理沙は慌てたような様子で私の体を揺さぶり始めた。

「お、おいおい! 流石に完全スルーは傷つくんだぜ!  いやそれ以前に、冬の早朝という寒さも此処に極まれりな時間帯に蒲団から追い出されるのは物凄くきっつい!」

 本当に寒いらしく、ガチガチと彼女の言葉は震えていて少し聞き取り難い。
 そしてそれは彼女の体も同様であり、結果的に揺さぶられている私もその振動を思いっきり喰らっていた。
 少し体を揺さぶられる程度ならばむしろそれは子守歌代わりになるけど、これでは逆に目が覚めてしまう。
 仕方なしに私は目を開けて半身を起した。

「お、ようやく私の話を聞く気になったな……ぷちゃ!?」

 その際、彼女の頭を(割と本気で)叩いておく事は忘れない。
 一応の仕返しを終えてから、私は改めて魔理沙に向き合った。

「それで? 用は何かしら? 一応言っておくけど、此処を代わっての類は受け付けないわよ」

「うぅ……霊夢が冷たいんだぜってかリアルに寒い」

 ぶるぶると可哀想なくらいに震える魔理沙は、覚束ない手つきで近くにあった帽子の中から八卦炉を取り出し火をつける。
 霖之助さんが作って魔理沙に与えたというそれは、瞬く間に周辺の空気を温め始めた。
 あ、何だか暖かくなってきたからまた眠気が……。

「おいおい、話は此処からだってのにまた寝ようとするんじゃないぜ」

「五月蠅いわね……私は徹夜だったから眠いのよ。魔理沙も寝たいのなら自分の家で寝たら?」

「それだと、家に着くまでに寒くて別の意味で寝ちゃいそうだな。……ってか、霊夢寝てないのか?」

「えぇ……儀式、があった、からね……」

 徐々に意識がぼんやりとしつつあるのを感じながら、魔理沙の言葉に返していく。
 流石にもう辛くなってきた。
 無意味に元気な魔理沙に付き合うのも程々で良いわよね、良い筈よ。
 ……と、誰に訊くでもなく自分の中で結論を出した私は、いよいよを持って意識を手放そうとする。
 しかし――



「それ、どこでやったんだ?」



 不意に、魔理沙の雰囲気が反転した。
   一瞬寝ぼけている所為かとも思ったけど、そうじゃない。
 魔理沙が放つ雰囲気が、まるで八卦炉に火を灯す前と後ぐらいに変貌していた。
 そして彼女の意識――敵意といっても良いくらいに鋭いそれは、紛れもなく私に向けれられている。

 ――何故?

 それが最初に感じた事だった。
 私が宴会をすっぽかした所為かとも思ったけれど、しかしその程度の事で此処まで怒るほど魔理沙の器は小さくなかった筈。
 じゃあ何を――未だ半分ほど眠っているらしい頭に、ある人物の姿が過る。

「……別に、何処でも良いでしょう? さ、私は眠いんだからさっさと寝かせてよね」

 しかし、私は突き放すようにそれだけ答えて布団を頭まで被る。
 これ以上話す気はない――というよりも、何となくその事を話すのは気が引けたのだ。
 なんでそんな事を思ったのかは良く解らないけど、きっと眠いからだろうと判断する。
 魔理沙もこれ以上は時間の無駄と判断したのか、無言で立ち上がり部屋から出て行ったようだ。
 その際、微かな衣擦れの音に混じって小さく……本当に小さく魔理沙が舌打ちしたのを、私は聞き逃さなかった――




* * *





 ――カサリ、カサリ。
 顔を出したばかりの陽を浴びてか、普段よりも些か明るさを増したような雰囲気の中、店内に乾いた紙の音が響く。
 一定のペースを保って響くそれは僕の手元の本が奏でる音色であり、僕のような知識人にとっては何より心を落ち着かせる至極の響きだ。
 普段は騒がしい常連達に呑まれて僕の耳まで届く事叶わないが、流石にこんな朝早くに此処を訪れる酔狂な奴は少ない。
 少ない、という事は全くいない、という事ではない訳だが……。

「……ちゃんと扉から入ってきてくれ、と毎回言ってる筈だが?」

「ふふ、今日は随分気づくのが早かったですわね」

 僕の言葉を清々しいくらいに無視して、彼女――八雲紫はふわりと背後から僕の首へとその細い腕を回してきた。
 それ自体は魔理沙も良くしてくる行動なのだが、しかしそこに妙な艶やかさを感じるのは……やはり年季の違いだろうか?

「あらあら……それではまるで私がお婆ちゃんみたいですわ」

「僕は何も言ってないのだが」

「貴方の事なら顔を見ればすぐに解りますわよ」

「…………」

 以前魔理沙に言われた事があったが、僕は存外考えが顔に出やすいようだ。
 少し、ポーカーフェイスを心掛けた方が良いかもしれない。
 ……それでも、紫相手には焼け石に水以下な気もするのだが。
 そんな、諦めにも似た干渉を抱いているうちに彼女はふわりとした挙動で僕の前に降り立つ。

「それで? 今日はどういった御用で? ……というか、いい加減もう冬眠したものだと思ったのだが」

 先日買い物に来た際も、ようやくゆっくり眠れそうだと零していたのを思い出す。
 幻想郷縁起にも書かれている事だが、この妖怪少女は冬になると熊の如く冬眠をしているらしい。
 それが今年に限って起きているのは、妖怪の賢者≠ニ称される彼女が対応に動かなければならない程度の異変が起こっていたからであった。

「えぇ、私も正直眠くて堪らないのですけど……折角此処まで起きてたのだから、初日の出を拝んでみるのも乙な物だと思いまして」

「それはそれは……物好きな事で」

 普通の妖怪であれば、より重要視するのは初日の出ではなく初明星の方だ。
 此処日本では天香香背男命、西洋では堕天使ルシファーという違いこそあるものの、神たる太陽に最後まで抗い輝く星という共通点を持つ。
 そして特に、今日の初明星は妖怪にとって重要な意味があった。
 即ち、神に抗う者達の長たる明星が最後まで輝き続ける事が出来れば、その年は妖怪の力が強まる闇の年となるのだ。
 ……にも拘らず、紫は初日の出の方に興味があるらしい。
 良く解らない、という点については非常に彼女らしいのだが。

「まぁ良い。……それで、此処に来た理由は?」

 一頻りの思考を終えたところで、僕は改めてそれを訊きなおす。
 すると紫は、いつもの何を考えているのか解らない笑みのまま、言った。

「えぇ…………少しばかり、貴方に忠告を」

「……忠告?」

 一度目を閉じ、小さく息を吐いてから開かれた彼女の瞳に鋭い光が宿り、そして。



「――――」




* * *





 ふわりふわふわ、世界が揺れる。
 その空を飛んでいるのとよく似ている、それでいて全く違う感覚に、私は今夢を見ているのだと自覚した。
 夢というのは不思議なもので、そうと気付かなければどれほど不自然であろうとそれが現実≠フように認識してしまうのだ。
 しかし夢を見ていると一旦気付けば、それがどれほどに歪で可笑しな事か理解する事が出来る。
 まるで幾つもの色を混ぜ合わせているかのように、流動し続けるそれは脈絡なくやってきた。



『いやなに、今回君には色々と迷惑を掛けたからね……その、ありがとう』



 気配も兆候も見せず、不自然なまでに自然に世界が切り替わる。
 そこには痛々しく全身に包帯と絆創膏を巻いた彼≠ェ、それでも優しげな笑みで私の頭を撫でていた。
 そんな彼の姿に、思わず私はらしくもなく涙を流してしまったのだけれど……不思議と悪い気分はしない。



『あぁ……余りにも綺麗だったからね』



 再び世界が切り替わりった。
 それがつい数刻前に見た光景であると気付けたのは、今私が夢を見ていると自覚していたからだろう。
 新年を迎える為に行った儀式の直後、まるで信じられないものでも見たかのように唖然としていた彼に、『私に見惚れてた?』と投げかけてみた。
 冗談のつもりで放ったその一言に、しかし彼は何所か照れたようなはにかみ笑で肯定する。
 今度は、私が呆気に取られる番だった。
 驚きと、後もやもやとした良く解らない気持ちで言葉が出ない。



 ――それが少しこそばゆくて心地良い。

 ――それが私≠決定的に壊してしまいそうな気がして恐ろしい。



 二つの相反する感情。
 それが何時しか混ざり合い、そして後に残ったのは――




* * *





「……なんの事だい?」

「ふふ、惚けますか……。まぁ、今はそれでも良いでしょう」

 曖昧な、何時も通りの見る者へ不安と疑問を与える隙間妖怪の笑み。
 最早何度見たかも解らぬ程度に見慣れたそれであったが、しかし僕は額に冷汗が伝うのを感じずにはいられなかった。
 彼女の忠告≠ニやらを聞いた僕の脳裏を過ったのは、目の前の妖怪少女がやってくる少し前に見た光景。
 それは本来然るべき場所で行う筈の、しかし『此処も神社なんでしょ?』の一言で強引に押し切った彼女の横顔。
 冬特有の済んだ空気の中、赤々と猛る篝火に照らされたそれは、普段殆ど感じさせない神聖さを漂わせていた――思わず、見惚れてしまうほどに。
 何故、僕はそれを思い浮かべたのだろうか――しかし、その疑問を胸の内に抑え言葉を返す。

「毎度の事ながら、君の言う事は理解に苦しむ」

「はてさて……理解出来ない≠フかしない≠フか……どちらかしらね?」

 先程と同様の笑みに、しかし淡い憐みの情を宿しているように見えた。
 訳が解らない、本当に。
 胸に燻り始めた苛立ちと不快感に、僕は小さく舌を打つ。
 小さく、とは言うものの手を伸ばせば届く距離だ。
 彼女は可笑しそうにくすくすと笑いながら、その身をふわりと翻した。
 それと同時、彼女の振り向いた先の空間に隙間が出来る。
 その隙間に身を潜らせながら、彼女は再び顔を僕の方へと向けて、云った。



「先の言葉……ゆめゆめお忘れなきよう。……それではお休みなさい、霖之助さん」



 最後ににっこりと、他意のない――彼女の場合、むしろ何かあるのでは、と感じてしまう――笑みと共に、隙間が閉じられる。
 その様を、僕は笑みも怒気も浮かべずに唯冷ややかな目で見送っていた。
 そして、彼女の忠告を改めて思い出す。



『逢うは別れの始め』



 それは、別れが何時か必ずやってくる事を告げる言葉。
 云われるまでもなく当り前に理解しているそれを、何故忠告≠ニ称して告げたのか。
 僕がその真意を理解するのは、彼女が長い眠りから目覚めた後の事であった――









2009/8/11






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