【壊れた船と毘沙門天】










「――ふぅ、流石に冬の山は尋常じゃなく冷えるな……」

「我慢してください、もうすぐ目的地ですから」

 間欠泉異変も収まって間もないとある日。
 僕と件の異変時に出会った舟幽霊の少女水蜜は、登山と洒落込んでいた。
 いや、別に山に登る事自体が目的ではない。
 僕らはこの山にあるらしいお寺を目指していたのである。
 何でも、そのお寺には水蜜の仲間である妖怪が住んでいるのだとか。
 本来は水蜜一人でその仲間を訪ねるつもりだったらしいが、しかし妖怪の山は排他的な天狗の縄張り。
 彼女一人ではお寺に近づく事は困難を極めただろう。
 しかし幸いな事に、僕は天狗達と少々面識がある。
 それゆえに僕も同行する事にしたのだ。
 これならば、少なくとも見つかり次第問答無用で追い出される事はないだろう。
 その結果がどうなったかといえば――

「それにしても、店主さんが付いてきてくれて助かりました。私一人ではこう簡単には来れなかったでしょうね」

 そういう訳である。
 というのも山に入ってから半刻ほどした頃、僕等は山を巡回していた白狼天狗に見つかったのだ。
 しかし幸運な事に、その白狼天狗は僕の知り合いであった。
 犬走椛――射命丸文の手伝いでもしている(或いはさせられている)のか、時折彼女にくっついて香霖堂を訪れている。
 そんな彼女に、僕は文への言伝を頼んだ。
 内容は勿論、天狗の領域を通り抜ける許可を得る事。
 目の前の少女でそれが得られれば楽なのだが、白狼天狗は身も蓋もない言い方をすれば下っ端だ。
 僕の要求をはいそうですか、と呑める権限は持ち合わせていないだろう。
 僕の言伝を受けた椛はその場で待っているよう言ってから一旦立ち去り、そして暫くした後に戻ってきた。
 結果は成功。
 これも普段から文々。新聞の購読を続けてきていたからであろう。
 継続は力なり、だ(ちょっと違う気もするが)。

「なに、僕はあくまで自分の利益の為に動いているだけさ。要するに僕は自分の欲の為に君達を利用している、と言えるね」

「それは私達も同様ですから、お互い様ですよ」

「そうか、お互い様か……なら問題はないかな?」

「えぇ」

 僕がふっと笑い掛けると、彼女も何処か気恥ずかしそうにはにかむ。
 やはりこの先の寺に住むという仲間に、数百年ぶりに会えるのが嬉しいのだろう。
 そう尋ねると、彼女は少し困ったような笑みを浮かべていた。




* * *





「此処、か……随分な有様だな」

「聖が封印されてから幾百年。これは十分予想出来た光景です」

 直日が沈もうかという頃、ようやく僕らは目的のお寺に辿り着く事が出来た。
 道とは言えない道を進んでいるうちに何となく予想していたが、その予想に違わずお寺は荒れに荒れている。
 そもそも、この幻想郷に宗教に関する場所は二ヶ所しかない。
 片方は言うまでもなく博麗神社、そしてもう片方は比較的最近に幻想入りしてきた守矢の神社だ。
 少なくとも僕はそう思っていた。
 そして幻想郷に住む多くの人妖も同様であろう。
 例外があるとすれば八雲紫のような、古くから幻想郷に存在する妖怪くらいなものか。
 即ち、この寺の存在は相当昔に忘れ去られていた、という事である。
 そんなところに彼女の仲間とやらは未だいるのだろうか?

「彼女は非常に真面目な方でしたからね。勝手にどっかに行ったりとかはないと思います……よ?」

「そうだと良いがね」

 しかし、最後にどもった辺り水蜜も確信は持てないのだろう。
 聖白蓮が封印されてから数百年……それだけあれば何があってもおかしくはあるまい。
 それは兎も角、

「……とりあえず、一旦休憩にしないか? 流石に僕は少し疲れたよ」

「そうですね……じゃあ母屋の方に行ってみましょう」

 そう言って、水蜜は正面に佇む小屋へと足を進めていく。
 それに僕も付いていこうとしたその時、足元に何かがあるのに気づいた。

「これは……」

 片手で持てる程度の大きさのそれは仏塔を象った、所謂宝塔という奴だった。
 恐らくはこの寺に納められていた物だったのだろう。

「ふむ……」

 それを片手に一瞬考えに耽った僕だったが、結局は腰元の鞄に放り込む。
 この寺に戻したところでもう余程の偶然が重ならない限り、此処を訪れる者はおるまい。
 ならば些か失礼な話ではあるが、僕の店に置く事でこれを必要とする者が現れるのを待った方が宝塔にとっても良いだろう。
 そう、自分に言い聞かせる。

「店主さん? どうかしましたか?」

「いや、何でもない。……それよりも休憩は出来そうかい?」

「えぇ、散らかってはいますが少し片づければ問題はなさそうです」

「それは良かった」

 ようやく休む事が出来るからか、或いは今のを見られなかったからか……その時の僕は、妙にホッとしていた。




* * *





 ――ビュオォォォォォォォオッ……。

「やれやれ……これでは帰れそうにないね」

「そうですね……。一輪が心配してないと良いんですけど」

「山の天気が変わりやすいのは周知の事実。しかも冬山なんだから、これくらいは想定してきなさいな」

 記憶にある限り近年では最大級の吹雪を、しかし『これくらい』と言ってのけたのは金色の髪を棚引かせた女性であった。
 彼女こそが水蜜の仲間の一人であり、この寺で七福神が一人毘沙門天≠フ代理をしていた寅丸星=B
 その隣に腰掛ける、丸く大きな耳が特徴的なのは星の部下であるナズーリン=c…らしい。
 僕と水蜜は休憩を挟むでもなく、すぐに彼女達を見つける事が出来た。
 というよりも、星達の方が此処を訪れる僕達に気づいて、自ら出てきた訳なのだが。
 ……因みに、先程水蜜が口にした『一輪』というのは、彼女同様地下から上がってきた聖白蓮を信奉する妖怪だ。
 入道雲を使役する能力があり、その能力で水蜜の空飛ぶ船星輦船≠フ修復に多大な貢献をしている。
 閑話休題。

「……まぁ、どちらにせよ此処には一泊せざるを得なかっただろうしね」

「そうだね、例え吹雪いていなかったとしても、夜の山を降りるのは危険だ」

 ナズーリンの返した言葉に、まったくだと僕は頷く。
 決して誰もが皆、空を飛んだりといった便利な能力を持っている訳ではないからな。
 まぁ、僕の場合それ以前に此処に来るまでで体力を消耗していた、というのもあるのだが。

「それにしても、聖の復活ですか……数百年待った甲斐があったというものです」

 僕がやれやれと肩を竦めている傍らで、星が楽しそうに、そして何処か懐かしげに眼を細めていた。
 恐らくは白蓮やその仲間達が健在だった、遥かな過去に思いを馳せているのだろう。
 自分勝手で気ままな連中の多い妖怪にこれほど慕われている辺り、白蓮は余程立派な人物だったに違いない。
 少し、興味が湧いた。

「ふふ、それでは聖が復活した暁には、必ずや貴方の事を伝えておきますよ」

「それはありがたいね。是非とも店の宣伝も頼むよ」

 僕の言葉に、星達は如何にも嬉しそうな笑みを浮かべていた。
 自分達が慕う者が、他の者にも受け入れられるのが嬉しくて堪らないのだろう。
 やれやれ、霊夢もこれくらい慕われていれば賽銭に困らないだろうに。
 何となく、彼女達の笑みに気恥ずかしいものを感じた僕は、そんな見当違いな事を思っていた。




 ――パチ、パチ。

 火花の散る音に誘われて意識が浮上したのは、庵の火が随分と小さくなっていた頃であった。
 どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。
 決して体力がない訳ではないが、それでも余り慣れない山登りは体に負担を掛けていたのだろう。
 堅く散らかった床で寝ていた事もあって、全身に鈍い痛みが走るのを感じた。

「あら、目が覚めましたか?」

 筋肉痛に眉を顰める僕の耳に、凛と澄んだ声が届く。
 寝起き特有の倦怠感から首だけ動かして視線を向けると、庵の火の向こうで笑みを浮かべる星と視線が交わった。
 元から鮮やかな彼女の金髪が、火に照らされて神秘的に輝く。
 未だ頭が完全に働いていない僕は、それを只々見詰めていた。

「? 私の顔に何かついてますか?」

 それを怪訝に思ったのだろう。
 星が小首を傾げて訪ねてきたところで、僕はようやく彼女を凝視しているという事実に気付いた。

「あぁ、いや、すまない。寝惚けていたようだ」

 まるで恥ずかしいところを見られたような気がして、しどろもどろとそう答える事しかできなかった。
 そんな僕を、彼女はまるで母のように慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
 それが、やけに僕を居心地悪くした。
 とりあえずまずはちゃんと起きよう――そう判断して身体を動かそうとした時だった。

「あぁ、出来ればそのままでいてあげてくれませんか?」

「……?」

 その、良く解らない彼女の要求に僕は疑問符を浮かべた。
 何事かと思って彼女の視線を辿ってみる。
 それは僕の胸の辺りで、そしてそこは――



「……なッ!?」

「しッ、ムラサが起きてしまいます」



 驚きの余り思わず零れそうになった声を、星の制止もあって何とか飲み込む。
 僕の胸元にいたもの――それは、僕と共にこの寺を訪れていた舟幽霊の水蜜であった。
 彼女はまるで僕に抱きつくようにして、穏やかな寝息を立てていた。

「ふふ、貴方は余程ムラサに好かれているのですね」

「……寝返りを打っているうちに、偶然この体勢になっただけだろう」

「切っ掛けはそうかもしれません……。けれど、例え無意識でも好いていない相手の服を握りしめたりはしないと思いますよ?」

「むぅ……」

 彼女の言葉通り、水蜜はまるで逃がすまいと僕の胸元をぎゅっと握りしめている。
 その様子を、星は只々楽しげに笑っているだけだ。
 どうやら状況は僕の劣勢らしい。
 とりあえず水蜜の手を振り解いて起きれば良いのでは、そこまで思い至ったのはもっと後の事であった。
 それは兎も角現状をどうするかと思案していた僕を余所に、星が今度は水蜜へと視線を向ける。
 そこには、先程僕に見せた慈愛の色が浮かんでいた。

「ふふ、でも安心しました。
 ムラサがこれほど信頼を寄せているのなら、私もあなたを信頼して良さそうです。
 ムラサは決して人見知りをするという訳ではありませんが、
 それでも聖以外の者に此処まで心を許した事はなかったですからね」

「……それは誉め言葉として受け取っておこう」

 未だ気恥ずかしさのようなものは僕の胸の中に燻っていたが、しかし折角僕を高く評価してくれているのにそれを否定する必要もあるまい。
 そう、思う事にした。



 ――結局、僕は水蜜が目を覚ますまで身体を動かす事が出来なかった。
 その際、また一騒動あったのだが……それに関しては割愛させていただきたい。




* * *





 ――そして仄かに空気も暖かくなり始めた冬の終わり。
 遂に星輦船の修復が完了した。
 海のない幻想郷には大きな船に関する知識は乏しく、且つ法力によって創られたこの船の修復は簡単ではない。
 けれども水蜜や星達の努力と、幻想郷でも屈指のものと自負する僕の技術によって、星輦船は蘇ったのだ。
 その事に白蓮を慕う者達は大いに喜んでいたが、その中でも水蜜は自分の船という事もあるのだろう、特に喜びが大きかった。
 その様は思わず隣にいた僕に抱きついてくるほどで、突然の事に彼女を受け止められず、思いっきり地面に身体を打ってしまったのは今では良い思い出である……と思いたい。
 しかしその喜びもそこそこに、彼女達はいよいよ白蓮を復活させる為に星輦船に乗って空へと旅立っていった。
 残念なのは船修復の報酬をまだ受け取っていない事だが、それは白蓮を助けた後に必ず持ってくると言っていたのを信じる事にする。
 その程度には、僕も彼女達を信頼していた。









 探し物を求めるナズーリン、そして彼女達が待ち望んだその人≠ェ香霖堂を訪れたのは、半月ほど後、幻想郷に宝船の噂が広まった頃の事であった――









2009/8/17






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