【光る船と慈愛の僧侶】
――それは、雪もすっかり消え去り熊とか蛙とか隙間妖怪とかが永い眠りから目覚めつつある、春の日の事であった。 さて今日は久方ぶりに無縁塚にでも行こうか、と思い準備を終えて香霖堂を出た僕はある事に気がついた。 それは妙に周囲が暗い、という事だ。 今は別に夜という訳ではなく、また朝起きた時点では天気も普通に良かった。 ではなぜこんなに暗いのか――そう思い、僕をは空を見上げる。 そこにあったのは、淡く光を放ちながら空に浮かぶ大きな船――星輦船であった。 「……なるほど」 星輦船がこの香霖堂の上に浮いているのを見た瞬間、僕は彼女達の望みが叶った事を理解する。 人は無論妖怪にもその慈愛を持って接したが故に人から悪魔と罵られ、封印されてしまったという聖白蓮。 先の間欠泉異変に乗じて地上に戻ってきた彼女の信奉者達は、その白蓮を復活させる事を目的としていた。 その為の第一段階として、長い時の中で壊れてしまった船を修復する必要があった。 偶々その事を知った僕は、取引として船の修復を手伝う事になったのである。 そして船が修復が完了し、彼女達が白蓮復活の為に旅立ってから早半月。 こうして香霖堂に戻ってきたのは成果の報告と、そしてツケにしていた船修復の代価を支払いに来てくれたのだろう。 「どうやら、無縁塚に行くのはまた後日にした方が良さそうだな」 そう肩を竦める僕の眼前で、星輦船は静かに地についた―― * * * 「それでは改めて……私は聖白蓮、と申します」 「僕は森近霖之助。この香霖堂の店主をしている」 星輦船が香霖堂の目の前に着陸してから十数分後、僕と聖白蓮は店の奥の居間で向かい合っていた。 因みに他の面々はどうしたかと言えば、今は船の方にいるらしい。 入道雲である雲山も含めれば、その人数は六人。 入りきらない訳ではないものの、ここでは些か狭いのも事実であった。 ならば僕が船の方に行けばよかったのでは――と思わないでもないが、 「ふふ、偶にはこうして地に足をつけるのも良いものですね」 「元々人は地面の上で生活してきたからね。云うなれば大地そのものが人間の故郷だ」 「えぇ……それに、お茶も美味しいですし」 ずず、と口に付けた湯呑を小さく傾けると、彼女はほぅと一つ息を吐いた。 それ自体は里で普通に買えるような安物の茶葉なのだが、彼女の表情に浮かぶ笑みを見る限りどうやらお気に召してくれたらしい。 一頻りお茶を堪能してから、白蓮は口を開いた。 「それにしても……話には聞いていましたが、此処には色々な物があるのですね」 そういう彼女の視線は、対面にいる僕の更に向こう――店舗スペースに向けられていた。 確かに、此処からでも様々な物に溢ふれた店の様相を見る事が出来る。 「えぇ、品揃えの豊富さが香霖堂の売りですらね。きっと貴女のお気に召すものもありますよ」 「ふふ、お上手ですね」 彼女がクスクスと笑う度に、彼女の長い髪がふわふわと揺れた。 そんな彼女を、僕は笑い返しながら改めて観察する。 首の辺りを境目に上が紫、下が金色に輝く彼女の髪は緩やかなウェーブを波打っており、如何にも柔らかそうだ。 聞いていた話では彼女は僧侶との事だが、黒衣のマントとドレスを羽織った姿は寧ろ魔女のようである。 しかし似たような格好をしている魔理沙とは異なり、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。 やれやれ、少しは魔理沙も見習ってほしいものだね。 そんな益体もない考えを、僕はお茶と共にグイッと呑み込んだのであった。 「おや店主殿、聖とはもう良いのかい?」 それから暫くして、僕は星輦船の甲板を歩いていた。 白蓮以外の者達とも挨拶しておきたかったからな。 そんな事を思っていた僕の視界に、寅丸星の姿が映る。 日向ぼっこでもしているのか、彼女は何をするでもなく風に金色の髪を靡かせていた。 「あぁ、彼女もゆっくりと店を見たいと言っていたからな。その間に僕はこっちを見せてもらおうと思ってね。……不味かったかい?」 「いえ、今更貴方に隠す事はありませんからね。……しかし、貴方の方こそ店にいなくて良いのですか?」 「おや? 君達の想い人は勝手に商品を持っていくような奴だったのかい?」 「いや、そういう訳ではないですが……この場合、寧ろ客を放って外を出歩く店主の方が問題だと思います」 「おやおや、これは一本取られたね」 小さく肩を竦めて見せると、彼女は如何にも困った風に顔を顰めながら、頭をポリポリと掻いていた。 そんな彼女を横目に、僕は空を見上げる。 「しかし此処は中々に心地が良いね」 魔法の森の入口という立地条件もあってか、香霖堂は余り日当たりが良い訳ではない。 しかし此処は地面よりも大分空に近く、そんな森の陰険さとは無縁の状態であった。 ……まぁ、地面の上に船があるというのは傍目から見たらシュール以外の何物でもないのだが。 「そうですね。私も此処で風に当たるのは好きです。……昔は仕事ばかりしていてのんびりする事がなかったので、尚更」 「それはそれは……何事もゆとりというのは大事だよ。まぁ、熱中出来るような仕事があるのもそれはそれで幸せな事かも知れないがね」 「碌に店番もせずに本ばかり読んでいる貴方がそれを言いますか……」 呆れたようにジト目を向けてきていた星は、しかし何かを思い出したように手をポンと打つ。 「そうそう、ツケておいて貰ったこの船の修復の代価ですが、ちゃんと用意しておきましたよ」 「お、それはありがたいね」 「私には自然と財宝が集まりますからね。それに探し物が得意な部下もいますし」 探し物が得意な部下、とはナズーリンの事だろう。 確かに彼女の能力は大したものだ。 何しろ、目の前の少女がうっかりなくしてしまった宝塔が、僕の店にある事をあっさり突き止めたのだから。 その際のおよそ半刻にも及ぶ熾烈な値段交渉は、今でも僕の記憶に強く刻み込まれている。 「そういう訳で、集めた財宝は宝物庫の方に仕舞ってあるから好きに見繕って構いませんよ」 「ふむ、そんな事を言われたら根こそぎ持って行ってしまうかもしれないよ?」 「それはそれで構いませんよ。私達が聖を助けだせたのも、貴方が船を直してくれたからこそ。それに比べれば何て事ありません」 「やれやれ……随分と信用されてしまったな」 それが悪い事でないのは勿論だが、しかしむず痒さのようなものを感じるのも確かだ。 「それじゃあ、僕は宝物庫の方を見させてもらうよ」 「えぇ、それではまた後で」 何となく、そのむず痒さから逃げ出したくなった僕は慌てて星に背を向けたのだった。 「……むぅ」 甲板で星と別れてから暫くして、僕は不機嫌さを隠す事無く息を吐く。 周囲には僅かな時間の間に幾度も見た風景……端的に言おう、僕は迷っていた。 「可笑しいな……船を修復する際に、中は一通り見たと思ったのだが」 しかし迷ってしまったものは仕方がない。 それよりも今はどうやって目的地に辿り着く、或いは甲板に戻る事を考える方が大切だろう。 そう思い直した時だった。 「あ、店主さん」 「む? ……あぁ、水蜜か」 背後から掛けられた幼い声、それはこの船の船長である村紗水蜜のものであった。 振り向けばそこには当然、白いセーラー服に身を包み、背中には幼い外見には不釣り合いなほど大きな錨を背負った水蜜本人が立っている。 「こんなところでどうしたんですか? 星は店主さんが宝物庫に向かったと言ってましたけど……此処は正反対の場所ですよ?」 「む、そんなところまで来ていたのか……」 「? ……もしかして、店主さん迷ったんですか」 「……ッ」 ズバリ、と少女は核心を突かれて、僕は思わず言葉に詰まってしまう。 別に隠す事ではない……寧ろ、現状を打破するには彼女の協力が必要不可欠だというのは僕も解っている。 にも拘らず、この少女にそれを指摘されるのは非常に不愉快な気分になった。 「もう、道が解らないなら私でなくとも誰かに言ってくだされば良いのに」 僕の沈黙を肯定と受け取ったのか、水蜜は困ったような、それでいて何処か楽しそうな笑みを浮かべていた。 そして、僕に向けてその手を差し出してくる。 「……?」 「私が案内してあげます。しっかり付いてきてくださいね」 あぁ、そういう事か。 別に態々手を繋がなくても良いのでは――そう思わないでもないが、しかし断る理由もなかった。 「あぁ、済まないが宜しく頼むよ」 「はいッ!」 そっと握った彼女の小さな手は、幽霊らしく少しひんやりとしていた。 しかし、微かに汗ばんでいるように感じられたのは僕の気の所為であろうか……? * * * 「やれやれ、僅か半月ほどの間に随分と集めたものだ」 「それが彼女達の能力ですからね」 やがて空が薄闇に包まれ始めた頃、僕は水蜜と共に香霖堂に戻ってきていた。 その手には宝物庫で適当に見繕った、幾つかの財宝を持って。 「あら二人ともおかえりなさい。……店主さん、お代はそれだけで良かったのかしら?」 「あぁ、余り多くても持ち切れないしね」 僕らを迎え入れたのは未だ店にいたらしい白蓮であった。 その彼女は僕の腕の中に抱えられた財宝と、そして僕の顔を交互に眺めてクスリと微笑んだ。 「ふふ、欲の少ない方なのですね」 「そんな事はないよ。宝物庫の中に有った物の中でも、特に価値がありそうなのを選ばせてもらったからね」 「ですね。店主さん随分と真剣に鑑定していましたから」 そうぶっきらぼうに返して、僕は財宝を勘定台の上に転がす。 本来はこんなぞんざいに扱うべき品ではないが、それよりも今は疲労感の方が大きかった。 最初船の中で迷った事に加えて、財宝の鑑定作業も一つ一つしたので非常に疲れたのだ。 「済まないが、風呂に入ってきて構わないかな?」 「えぇ、構いませんよ。……あ、良ければ夕食を用意しておきますが、どうですか?」 とりあえず汗を流したい……そう思っての言葉に、白蓮は意外な提案で返してきた。 「むぅ……しかし」 「心配しなくても大丈夫ですよ。聖の料理はとても美味しいですから」 僕が渋い表情をしているのを見かねてか、水蜜がそうフォローを入れてきた。 いや、僕が心配しているのは料理がちゃんと食べられるかどうかではな……まぁ、それが混じっていたのも事実だが。 「材料の事なら心配しないでください。ちゃんとその分の代金も払いますよ」 「…………」 まぁ、そこまで言われて断るのも無粋というもの。 素直に好意に甘えるとしようか。 「それじゃあ、お願いするよ。台所は好きに使ってくれて構わない」 「はい。ムラサ、手伝っていただけますか?」 「勿論です!」 俄然盛り上がり始める二人を余所に、僕は風呂場へと向かうのだった。 「……ほぅ、これはこれは」 たっぷりと時間を掛けて風呂から上がった僕が目にしたのは、如何にも旨そうな香りと色彩を持った料理の数々だった。 水蜜の言葉通り、白蓮が料理を得意としているのはこれを見れば明らかである。 視線に入れただけで、本来食事を必要としない僕の腹が鳴った気がしたほどだ。 「あ、店主さん、もうちょっとで作り終えますから中庭で待っててください」 そう言って出来たばかりの料理を運ぶのは水蜜であった。 流石に星輦船のメンバーを放って自分達だけ食事を取る訳にはいかず、しかし香霖堂では狭くて入りきらない。 なので今夜の食事は中庭で、と決まったのを聞いた。 「それならば僕も手伝おうか」 「え? で、でも店主さんも疲れているでしょうし」 「いや、今は疲れよりも料理を早く食べたい気持ちの方が大きいからね。折角の白蓮の手料理だ。温かいうちに食べてあげた方が良いだろう?」 「それはそうですけど……。じゃあ、これをお願いします」 「了解だ」 未だ納得いかなげな水蜜から、半ば奪い取るようにして料理が盛られた皿を受け取ると、僕は今夜の食卓となる中庭に向かう。 そこでは既に、ナズーリンや星といった準備に参加していない連中が酒盛りを始めていた。 「……君達も、水蜜を見習って少しは白蓮の手伝いをしたらどうだい?」 「いーのいーの! 私達が行っても、台所が狭くて入りきれないですからね」 酒が入っている所為か、普段よりも幾分か口調が砕けた星がさらりと酷い事を言ってのける。 とはいえ所詮は酔っ払いの戯言だ、特に気にする必要もないだろう。 「……まぁ、精々羽目を外し過ぎないようにな。後で辛くなるのは自分だぞ?」 「はいはーい♪」 これは駄目だな、と呆れ気味に僕は台所へと戻る。 食事の準備は、それから然程時間も掛からずに完了した。 「――中々賑やかな宴となりましたね」 食事を始めてから十数分、既にそこは博麗神社で行われるそれにも劣らない、喧しい宴会の様相を醸し出していた。 最初から酒が入っていた面々は勿論、先程まで僕と共に白蓮の手伝いをしていた水蜜も、星に無理やり酒を飲まされた結果、今では僕の膝の上で苦しげな寝息を立てていた。 恐らくは明日、二日酔いに悩まされる事となるだろう……南無。 「僕は静かに過ごす方が好みなんだがね。賑やかなのが好みなら、博麗神社に行くと良いよ」 一方で白蓮はと言えば、星達の誘いものらりくらりと躱して素面の状態だ。 この辺り、水蜜との格の違いを感じさせる。 「ふふ、恩人に迷惑を掛けるのは私も遠慮したいですからね。次からはそうさせていただきます」 そう笑い掛けてきた彼女の頬は仄かに赤い。 酒は呑んでいない筈だが……雰囲気に中てられたのだろう。 そう納得した僕は、ふと浮かんだ疑問を口にした。 「そういえば、何故星輦船は光を放っていたんだい? 僕が直した時はそんな機能なかったように思うが」 「それは私が戻ったから……というのもあるのですが、実際にはそういう機能を付け加えたのですよ」 「ほぅ? それはまた何故?」 「私達は今星輦船を、空飛ぶ遊覧船として人々に開放しています。 その事を知った博麗の巫女が、『どうせだったら外見を宝船っぽくしたら?』とアドバイスしてくれたのです」 どうやら霊夢の仕業だったらしい。 大して呑んだ訳でもないに拘わらず、頭痛を感じる僕を余所に白蓮は上機嫌だ。 「どうですか? あぁすれば宝船に見えますか?」 「見えるというか……実際に宝船だろう。宝物庫に納められていたのは、結構な量だったぞ」 そう返すも、彼女は変わらず笑みを浮かべている。 やはり彼女もこの空気に酔っているのだろう。 やれやれと肩を竦めていると、白蓮は何か名案でも思いついたように両手を叩いた。 「そうだ……折角ですから、貴方も私達と共に来ませんか?」 「僕が? 星輦船に?」 思いも寄らないその提案に、僕は思わず目を見開いて彼女を見据える。 「えぇ、ムラサ達も貴方に懐いていますし……。 それに、人と妖の相の子である貴方が来てくれれば、 私の望む人間と妖怪が平等に暮らせる世界の実現が近付くような気がするのです」 「…………」 人間と妖怪が平等に暮らせる世界、か……。 確かに実現出来ればそれは素晴らしい事なのだろう。 「……いや、折角の申し出だが遠慮しておこう」 今の幻想郷も昔に比べれば、遥かに彼女の理想に近くなってきている。 だが、完全ではない。 それは何故か――妖怪は人を喰うもの、それが根底にあるからだ。 これは決して変わるものではない。 だが……。 「何故、ですか……?」 不安げに揺れる白蓮の瞳……その揺れをこれ以上大きくする必要はないだろう。 「僕にはこの店があるからね。香霖堂を必要とする者達の為にも、安易に離れる訳にはいかないんだよ」 実際に香霖堂を必要とする者がどれほどいるのか、と問われれば非常に悩む事になるのだが、それでも僕はすらすらとその言葉を口にした。 別に彼女達の思想を根っこから否定するつもりはない。 限りなく不可能に近いだろうが、それでも魅力を感じるのは確かだ。 それがなくとも、僕は彼女達に好感を抱いている。 それでも断ったのは、やはり先の言葉が僕の根底にあるからだろう。 「そうですか……少し、残念です」 思いの他、白蓮はあっさりと引き下がる。 もしかして酒の席での戯れに過ぎなかったのだろうか……そう一瞬思うも、すぐにそれは違うと思い直す。 彼女は多くの人妖と接してきた僧侶だ。 冗談で自分の理想は語らないだろうし、他者の心の機微を察する事にも長けている筈である。 恐らくは僕の思いを感じ取ってくれたのだろう。 だから―― 「君達と共に往く事は出来なくとも、こうして酒を交わす事は出来る。 偶には立ち寄ってくれたまえ。 ……ついでに、何か買って行ってくれるとありがたいね」 僕はそう続けていた。 冗談混じりのその言葉がツボにでも入ったのか、目に涙を浮かべながら笑う彼女は、そして『はい』と頷いたのだった。 * * * ――それは月明かりの届かぬ、曇った夜の日。 まるで月の代わりを果たすかのように、光り輝く船が宙を往く。 船はゆっくりと……しかし確実に大きくなっており、それが此処に向かってきている事を告げていた。 やがて船は音もなく着陸し、そこから降り立った彼女≠ヘ僕に尋ねる。 ――美味しいお酒はありますか、と。 2009/8/18 |