【夢花火】
「――ふぁ……」 暑さも随分と和らいできた夏の終わり、今日も今日とて店番(という名の読書)に勤しんでいた僕は、 しかし遅い来る睡魔の軍勢に劣勢を強いられていた。 状況は深刻、今はまだ辛うじて保っているが、意識という名の城が陥落するのも時間の問題だろう。 「ん? なんだ森近屋、随分と眠そうね。……もしかして、昨晩はお楽しみでしたね、とかかしら?」 そんな僕を茶化してくるのは、偶々店を訪れていた藤原妹紅であった。 見た目は幼さも何処かに漂わせた少女なのに、しかし今浮かべているニヤニヤ笑いをはじめとした仕草の端々からは、妙な年寄り臭さを感じさせた。 「やれやれ……君も生まれはそれなりだというのに、その下品な発想はどうにかならないのか?」 「ふふん、お生憎様。私は家の正当な子として扱われてなかったからね。随分と捻くれちゃったのよ」 僕の放った皮肉に皮肉で返すの彼女の表情は、実に楽しそうなものだ。 これでは何を言ったところで無駄だろう……そう判断した僕は、開きっぱなしで放置していた膝上の本に視線を向ける。 先程までの会話で、それまで襲ってきていた睡魔が丁度良い具合に和らいだのだ。 しかし、 「こらこら、折角お客が来ているってのに、読書とはどういう了見かしら森近屋?」 「客とは商品をちゃんと買ってくれる者の事を言うんだよ。 君みたいに唯話しに来てるのは……まぁ友人としては良くとも、客ではないね。 それと本を返してくれ」 「嫌よ。話をする時はちゃんと相手の目を見なさい、ってお母さんに教わらなかったかしら?」 「人の物を勝手に取るな、とも教わらなかったか、いッ?」 妹紅に取られた本を取り戻そうと手を伸ばすが、その度に彼女はヒョイヒョイと身を捩って僕の手を避ける。 その様は正に、いじめっ子に取られた物を取り返そうとするいじめられっ子の図だろう。 その事に気付いた辺りで、何だか馬鹿馬鹿しくなってきて僕は本を取り戻す事を諦めた。 何処ぞの紅白や黒白と違って、本気で本を取る気はないだろうしな。 「なによ、もうおしまい? ……まぁ良いけど」 案の定、僕が抵抗を辞めると彼女は少しつまらなそうな顔をしながらも、ちゃんと本を返してくれた。 とはいえ今度はその本を開く事はせず、彼女の要望通りちゃんと顔を上げて話を聞く態勢に入る。 「ん、それで良し。……それで、結局なんで眠そうにしてたのかしら?」 「あぁ、その事か……。実はだな――」 ――青年説明中。 「……ふぅん、今夜里である祭りでの出し物、ねぇ」 「正直面倒以外の何物でもないけど、恩師からの頼みだからね。無下に断る訳にもいかないんだ」 いや、寧ろあれは命令といった方が良かったのだが、それはまぁどうでも良い事だ。 「それで? 森近屋は何を出すんだ?」 「あぁ、ん……それは教えられないな」 「なんだ、ケチねぇ」 「商売人はケチでなんぼだよ」 別に隠す必要もないのだけれど、その方が見た時に楽しめるだろう、と僕は彼女に言い聞かせる。 その言葉に一応は納得してくれたようで、渋々ながらも彼女は身を引いた。 「そうむくれなくても良いだろう。どうせ今夜には見れるのだし」 「それはそうだけど……私はどうも人の多いところが苦手なのよねぇ」 「あぁ……」 彼女の言葉の意味を、僕は何となく悟る。 それは単に人間嫌いだからという訳ではなく(寧ろ彼女は面倒見が良い)、自らの特別な性質に所以するものだろう。 老いる事も死ぬ事もない程度の能力――蓬莱の薬に依ってもたらされたという永遠によって、彼女は幾百年もの間同じ姿を保っている。 それは変わる者=\―人間に恐怖を与えかねない。 妹紅の口からそういった事を聞いた事はないが、しかし何もなかった訳ではないだろう。 それを推測ではなく確信として思ったのは、僕もまた人であって人でなかったからだ。 「……ふむ、それならば一つ良い事を教えよう。僕の出し物は、里に居ずとも見る事は可能だよ」 「そうなの? ……ふぅん、まぁ少しくらいは楽しみにしてましょうかね」 あぁ、と頷いて見せると彼女は微かに嬉しそうな笑みを浮かべる。 それがとても印象的に思えたのは……きっと気のせいではないだろう。 * * * ――そして日は暮れ、祭り本番。 出し物の準備を終えた僕は、一緒に呑もう見ようと誘ってくる親父さん達を丁重に断りつつ、迷いの竹林を訪れていた。 「やぁ、やはり此処か」 「ん? 森近屋じゃないの。なんでこんなところに?」 以前竹林で迷った際に、月見という名の野宿をしたその広場に、彼女はいた。 突然やってきた僕に驚いたのだろう、その表情はまるで幽霊を見たかのようである。 ……まぁ、幻想郷では幽霊程度は別に珍しくはないのだけれど。 「いやなに、君と同じ理由だよ。僕も人込みは余り得意ではなくてね」 「……それは商売人として大丈夫なの?」 「はは、それはまぁ半分冗談として、実際は君が此処にいるんじゃないかと思ったんだ」 『半分本気なのか……』という呆れ気味な呟きは適当に聞き流し、僕は彼女の隣に腰掛ける。 それにしても……、 「此処に来て正解だったよ。着飾っている君なんて初めてみたからね」 「む……」 直接参加している訳ではないとはいえ、祭りの気分を味わいたかったのだろうか。 妹紅の恰好は普段のモンペ姿ではなく、朝顔の刺繍が施された淡い桃色の浴衣を纏い、足元まである長い髪は頭頂部で一纏めにされていた。 普段はどちらかといえば快活そうなイメージの強い彼女だけに、可愛らしく着飾った事によるギャップは中々に面白い。 『態々用意したのかい?』と訊ねると、しかし彼女は顔を真っ赤にして反論してきた。 「こ、これはそのッ、以前永遠亭に案内してやった人からお礼にと貰った奴だ! 折角貰ったんだから一回くらいは着てやらないと、もったいないしくれた人にも悪いだろうッ!? なんだその目は!? 似合わない事くらい解ってるわよッツ!」 「いやいや、中々に似合ってると思うよ、うん」 火を吹きそうなとは正にこの事だろう(実際に彼女の周囲が陽炎で揺らめいてるけど)。 必死に捲し立てる彼女の様子はその格好と相まって、とても僕以上に生きているとは思えないほど幼く見えた。 とはいえ、これ以上からかって(一応僕にはそんなつもりはないけど)本当に火を出されたら困る。 なので、僕は話題の方向転換を兼ねて持ってきた紙袋の中身を出す事にした。 「ぬ、それは……?」 「屋台で買ってきた物だよ。お好み焼きとか焼きそばとかりんご飴とか」 後は稼ぎ時なのか、普通に里の真ん中で屋台をやってたミスティアの焼き八目鰻とか。 「色々買ってきたねぇ……森近屋って、そんなに沢山食べたっけ?」 「……祭りは独特の雰囲気があるからね。つい必要以上に買ってしまったよ。……君もどうだい?」 「ふぅん……ま、そういう事にしといてあげるわ」 言いながら、彼女は二本あった割り箸の片方を手に取り焼きそばを口に運んだ。 ずずず……と勢い良く啜ると、如何にも満足そうに頬を綻ばせる。 「んー、旨くはないんだけどなんか旨い! これこそ屋台の食べ物の醍醐味よね」 「あぁ、しかも割高だしな。それでも欲しくなる辺り、祭りの雰囲気とは本当に侮れない」 そんな、誉めてるんだかそうでもないんだか良く解らない言葉を互いに吐きつつ、僕等は次々と食べ物を消費していった。 やがて…… 「そろそろ時間か」 「時間って……出し物の? それなら此処にいちゃ駄目なんじゃない?」 「それは問題ないよ。ちゃんと準備はしてきたし、それに後の事も頼んできた」 そもそも、今回僕にいきなりなんか出せと無茶振りしてきたのは親父さんの方なのだ。 これぐらいの頼みは聞いてくれていいだろう。 「それはそれで問題があると思うけど……。でも、それなんで態々此処まで?」 「ん……?」 妹紅に尋ねられて、はたと気づいた。 そう言われれば確かに、何故僕は態々迷いの竹林くんだりまで赴いたのだろうか? これから見るものは別に、香霖堂からでも十分見れるというのに。 その答えが出ないうちに―― 「……あ」 夜空に、大輪の花が咲いた。 「これは……花火? これが森近屋の?」 「あぁ。……それにこれはただの花火と違ってね。僕が作った簡易式ミニ八卦炉に溜め込んだ魔力を糧にしているんだ」 「どうりで、普通の花火と感じが違う訳だ」 そこで一旦僕等は口を噤み、尚も打ち上げ続けられる花火を見ていた。 次々と打ち上げられるそれは、普通の火薬によるものとは一味違った輝きを放ち、そして消えてゆく。 「ねぇ、森近屋」 「……ん?」 その一瞬の美に、永遠の少女は何を思うのか。 「良い物見せてもらったわ……ありがとうね」 「どういたしまして」 花火から視線をそらさずにいたから、僕には妹紅の表情を窺う事が出来ない。 けれどもなんとなく……彼女が口元に小さく笑みを浮かべているような気がした。 それから僕等は花火が尽きるまで、ただひたすらに夜空を眺め続けていた―― 2009/9/12執筆 |