【やまいはきから】
「――調子はどう? 霖之助さん」 「これが良いように、見える、かい……?」 言葉とは裏腹に大して心配もしていなさそうな、実にいつもどおりの表情で顔を覗き込んでくる霊夢に、 僕は今一はっきりしない思考の中で、なんとか途切れ途切れに言葉を返す。 しかし、僕の言葉を聞いて彼女は、 「そ、その様子なら心配しなくても大丈夫ね」 最初から心配などしてないだろう、というツッコミを入れる余裕は、残念ながら今の僕にはない。 というのも、今僕は体調を崩して寝込んでいる状態なのだ。 人間の病気にも妖怪の病気にもなり難いからと、少し油断してしまったか……。 「やれやれ、こんな事なら、ゴホ、いつもどおり店にいれば良かったな……」 「そうね。それに洗濯物が心配だからって、豪雨の中走って帰るものじゃないわよ」 やはり、この梅雨という時期に洗濯物を外に干しての長時間の外出は、危険以外の何物でもないようだ。 一応傘を持っていたものの、余りの雨と風の勢いに殆ど役に立たなかったというのもあるのだけど。 「それにしても驚いたわよ。店に来たら、霖之助さんが死にそうな顔で店番してたんだもの」 「病を患わるなんて、本当に久しぶりだからね。うっかり、これが風邪だと気付けなかったよ」 自分の事ながらその間抜けっぷりに、思わず苦笑を浮かべてしまう。 たしかに、朝起きた時から体調が優れないのは感じていたが、 しかしすぐに治るだろう、と余裕を扱いていた結果がこの有様だ。 もし霊夢が来なかったら、更に体調を悪化させていたかもしれない。 病気に強い身体というのも、時には考え物である。 「それで、本当に大丈夫なの? なんなら、永遠亭までひとっ飛びして永琳連れてくるけど?」 「そこまで酷くはない……と思うよ。今日一日しっかり休めば、すぐに治るだろう」 といっても、自分の状態すら碌に把握出来てなかった僕が言っても、説得力など欠片もないのだけど。 「そう」 まぁ、なんだかんだで霊夢も一応は心配してくれているのだろう。 ふらふらの状態の僕を見てからは、慌ただしくもしっかりと僕の看病をしてくれた。 そのおかげで、彼女が来る直前まで殆ど虚ろだった意識も、今では幾分かはっきりしたものになっている。 「霖之助さんには以前、私と魔理沙が寝込んだ時に看病してもらったし、それにいつも美味しいお茶を貰ってるしね」 「……おい」 僕は一度たりとも、僕の意思で君にお茶を出したつもりはないのだが? ……などといったところで、彼女が気にする筈もないだろう。 やれやれ、せめてツケを払ってくれるのであれば、出してやらない事もないのだけど。 「ま、それは兎も角……霖之助さん、何か食べる? ちゃんと栄養も補給しとかないと、治るものも治らないわよ?」 言われてみれば確かに、身体が栄養を欲している……気がした。 生命維持の為の食事を必要としないとはいえ、『病は気から』ともいうし、 霊夢の言うとおり栄養はしっかり取っておいた方が良いだろう。 ……まぁ、実際のところは霊夢が腹を空かしたから提案してきたのだろうが。 「そうだね。お願いするよ。材料は好きに使って良い」 「えぇ。美味しく出来たらその分、ツケ返済した事にしといてね」 「……考えておこう」 ――訂正、霊夢は僕が思ったほど単純ではなかったようだ。 * * * 「――はい、霖之助さんあーん」 「あー……んぐ、んぐ……」 霊夢が台所へと向かってから、およそ四半刻。 再び僕の寝室に戻ってきた彼女が持ってきたのは、病人食の定番、お粥であった。 別に不安などない。 僕としても軽い食事の方が、今はありがたいからな。 「どう? 霖之助さん」 「ふむ……もう少し、塩を入れてもらって良いかな」 「はいはい」 僕の言葉に頷き、傍らに置いてあった塩を幾らか土鍋の中へと掛ける。 そして、先程したのと同じように蓮華でよそって僕の口元まで運んできた。 「はい、あーん」 まるで赤子にするかのような彼女の台詞に、僕は唯無言で口を開け、お粥を受け入れた。 土鍋から掬った際に霊夢が息を吹きかけて適度に冷ましてくれるから、熱くはない。 塩気も今度はちょうど良い。 しかし、 「なぁ、霊夢」 「ん?」 「流石に、これは少々恥ずかしい気がするんだが」 「霖之助さんはまだ回復しきってないんだから、無理はしないの」 少し怒ったような口調で再び蓮華を突き出してくる霊夢に、僕は渋々と口を開く。 ……今更言うまでもないだろうが、僕は現在霊夢にお粥を食べさせてもらっている状況であった。 なにが楽しいのかやたらとご機嫌な霊夢に対して、僕は嘆息を零さずにはいられなかった。 なにが悲しくて、自分より遥かに年下の少女に食べさせてもらわねばならないのだろうか? 確かに、僕はまだ身体を動かすのが辛い状態だ。 しかし、一人で食事が出来ないほどではない。 そう先程から言っているのに、霊夢は頑なに譲ろうとはしなかった。 「あ、まだいる?」 「あぁ……いや、僕はもう充分だよ」 正直、まだ若干の物足りなさは感じていたが、それよりもこの状況に対する羞恥心の方が勝っていた。 やれやれ、霊夢は何でこんな事をしているのやら……。 純粋に僕を心配しているから……いや、悪いとは思うが、霊夢に限ってそれは想像が出来ない。 やはり、さっき言っていたツケの件だろう。 まったく……この程度でどうにかなるほど、溜まっているツケは少なくないんだがな。 「そう、なら残りは私が貰うわね」 やはり彼女もお腹が空いていたのだろう。 残りのお粥を嬉しそうにぱくぱくと口へ運び始めた。 考えてみれば、霊夢は今日ここにきてからずっと僕の看病をしてくれていて、碌に食事を取る暇もなかったんだったか。 ありがたいと思うと同時に、少々の申し訳なさも感じる。 「ふぅ、ご馳走様。それじゃあ、これ片づけてくるわね」 「あぁ、食器はそのままにしといて構わないよ。後で僕が洗っておくから」 空になった土鍋と小皿を持って、台所に向かう霊夢の背中を眺めながら、僕は再び布団に身を倒す。 腹が満たされたのもあったのだろう。 次第に、僕の意識は闇へと堕ちて行った……。 * * * 「――んん……」 それから僕が目を覚ましたのは、もうすっかり薄闇が部屋を包んでいた頃であった。 寝起き直後という事もあってか、今一頭の働きが悪いものの、 しかし昼間感じていたような気だるさはもう殆ど感じられなかった。 これならば、明日にはまたいつもどおりに出来るだろう。 今まで殆ど経験がなかったから解らなかったが、健康である事のありがたみを良く理解出来た一日だった。 出来れば今からでも起きて軽く身体を動かしたい気分ではあるが、しかしまだ休んでおいた方が良いだろう。 治りかけに無理をして、またぶりっ返しても困る。 そう思い、寝返りを打った時だった。 「……すぅ、すぅ……」 「……ッツ!?」 すぐ目の前に、霊夢の顔があると気付いたのは。 微かに窓から月明かりが差し込んでいるとはいえ、碌に明かりもない夜の部屋で尚はっきりと見えるほど、 彼女の顔は僕のすぐ間近にあった。 普段の彼女からは見る事が出来ない、年頃の少女らしい穏やかな寝顔。 恐らくは僕が眠った後も此処で様子を見ていてくれたのだろう。 しかし、それまでの疲れも出てやがて眠ってしまったに違いない。 「やれやれ……今日は君に世話になりっぱなしだな……」 「ん……」 彼女を起こさないように、そっと頭を撫でてやる。 すると、彼女はくすぐったそうに顔を綻ばせるものの、それと同時にぶるりと身体を小さく震わせた。 見れば、彼女は上になにも掛けていない。 幾ら夏が近いからといっても、まだ夜は肌寒いだろうに。 「仕方ないな……」 これでは、今度は霊夢の方が風邪を引いてしまいかねないな。 そう思った僕は僅かな逡巡の後、今自分が掛けている布団を、彼女にも被せる事にした。 これならば少しは暖かいだろう。 「んん〜……」 すると霊夢は嬉しそうに、もぞもぞと布団の中心へと身体を潜り込ませていく。 暖かさを求めるが故の無意識の行動なのだろうが……気づけば、彼女は僕の胸のうちにすっぽりと収まっていた。 傍から見たら、まるで僕が霊夢を抱いているような構図になるのだが…… 「まぁ、良いか……」 気になるのなら今からでも別の布団で寝れば良い、とも思ったが、それはそれで面倒臭い。 それに何というか……彼女の少し高めな体温が、心地良くもあった。 最後に零れるような声で、霊夢に『おやすみ』と呟き、僕は再び意識を手放した。 ――翌日、珍しく早朝から急襲してきた妹分と新聞を配りに来た烏天狗に、 この状況を見られ一悶着あったのだが……それはまた、別のお話。 2009/10/16執筆 |