【さくら、さくら】










「――天界の桜?」

「そう、折角の花見日和だし、一緒にどうかしら?」

 それは日々博麗神社で行われている花見が、そろそろ二桁に達しようかという頃の事であった。
 ここ数年は毎年この時期になると、霊夢や魔理沙を筆頭に色々な奴が、僕を花見に誘おうと毎日のようにやってくる。と言ってもそれは挨拶みたいなもので、本来の目的は香霖堂の庭に咲いている桜の方だ。これはどういう訳か他の桜に比べて色が白く、それが色んな連中を集めるらしい。
 そんな訳でてっきり今日も同様かと思ったら、少し違うらしい。今僕の目の前にいるのは、桃飾りが特徴的な帽子を被った比那名居天子という少女だ。その彼女に、僕は今、天界で花見をしないかと誘われた訳である。

「……何よ、折角のこの私からのお誘いだっていうのに、まさか断る気じゃないでしょうね?」

 さてどうするか、と僕が考えていると、天子は少し不機嫌そうに頬を膨らませ始めた。
 何でも、此処最近ずっと博麗神社で花見だったから、何となく今日は別の場所でしたくなったらしい。そこで此処に来てみたのだが、此処の白い桜は残念ながらまだ満開には至っていない為、彼女の気に召さなかったようだ。そこで彼女は仕方なしに、見慣れた天界の桜で妥協する事にした、との事である。……花見自体に飽きた訳でない辺り、彼女も桜の魔力に囚われているのだろう。実に春らしい光景である。
 因みに僕が誘われた理由は、ただ此処にいたから、それだけである。

「……まさか。折角天界の桜を拝めるって言うのに、断ったりなんかしないよ」

 暫し、時間にして十秒ほどか。どうするか結論を出した僕は、渋々ながらも頷いて見せた。まぁ、それも形だけで実際は割と楽しみだったりするのだが。何しろ、僕は目の前の少女やら他の客じゃない常連達と違って空は飛べないからな。天界なんて行こうと思っても行けないのだ。折角のチャンスなのだから、それを利用しない手はないだろう。
 ……と、そこまで考えて気付いた。はて、僕はどうやってこれから天界に行くのだろうか?

「なんか引っかかる良い方ねェ……。まぁ良いわ。それじゃあ行くわよ?」

「え――」

 僕がそれを訪ねるよりも早く、天子が僕の背後に回り――




「……なんと言うか……貴重な体験をしたよ……」

「そう、それは良かったわね。さぁこっちよ」

 果たしてそれはどの程度の時間だったのか。数分も経っていないようにも思えるし、はたまた一時間は経っているような気もする。気づけば僕は天子に抱き抱えらられ、地上から飛び上がっていた。凄まじい速度で。
 実際にはかなりの年月を生きているとはいえ、見掛けだけなら天子は霊夢や魔理沙と変わらない少女だ。そんな相手に抱き抱えられたのは中々に屈辱的であった。……まぁ、そんなものはすぐにぶっ飛んだ訳だが。

「なにしてるのよ。置いてくわよー!?」

「い、今行くよ……」

 息も絶え絶えな僕を気にした様子もなく、天子はすたすたと先に進んでしまう。彼女において行かれたら、僕は変える事すら叶わなくなってしまうからな。未だにガクガクと震える脚を無理矢理には動かし、彼女の後を追うのだった。
 そして、

「これは……」

「どう? こんな光景、地上じゃまずお目に掛かれないわよ?」

 天子に案内された先。そこにそれは在った。
 僕の周りに何本も生え、そして此処に来るまでにも見てきた天界の桜は、確かに美しかった。だが、この光景はそれすら大した事のないように思えるほどの……正に、この世のものとは思えない絶景だ。僕等が今立っているのは、天界を一望できる小高い丘の上。そこからは何処までも続く雲海が広がっていた。それが、桜色に染まっている。これが全て、桜の花弁によるものだと云う。どれほどの桜があれば、こんな光景が生み出されるのだろうか? 途方もなさ過ぎて、そしてこの光景の凄まじさに、とてもではないが僕には理解が及ばなかった。

「どう? 気にいったかしら?」

 僕がこの桜の海に見惚れていると、天子が愉しげな笑みを浮かべて問い掛けてきた。それに、僕は半ば呆然とした状態で頷く。とても言葉などは出なかった。否、出してはいけない気がした。今僕が声を発したら、間違いなくこれへの感動を口にするだろう。しかし、その途端それは色褪せてしまう。今僕が持ち得る言葉では、この光景を語るには軽過ぎたのだ。
 そんな僕の心情を理解してくれたのだろうか。天子は、それ以上何も言わず、ただじっと僕と共に桜の海を眺めていた――




「さて、と……ただこうして眺めているだけでも乙なものだけど、折角だしお酒は如何かしら? ……おつまみは桃しかないけどね」

 天子がそう言って酒瓶を持ってきたのは、そろそろ日も沈み始めようかという頃の事であった。恥ずかしい話だが、僕は随分と長い間あれに心を奪われていたらしい。傍から見れば、中々に滑稽だっただろう。しかし、そんな僕を見て天子は普段の彼女らしからぬ、とても穏やかな笑みを浮かべていた。だが、どうしたのかと訊ねると、『今日は色んな貴方の顔を見れて面白かったわよ』と、すぐに何時もの意地の悪そうな笑みへと変わってしまった。

「……それはつまみになるのかい? まぁ良い。頂こうか」

 気の所為だったのだろうか? 多分そうなのだろう。そう、僕は自分を納得させて彼女から盃を受け取る。

「ふふ、何時ものどんちゃん騒ぎも好きだけど、こうして二人静かにする花見も良いものね」

 互いの盃に酒を注ぎ終わった彼女は、そう楽しげに笑っていた。それに僕は小さく頷き返し、そして一気に盃を煽る――旨い。
 良い酒に極上の桜……あぁ、今日は本当に良い花見日和だ――









2010/4/14:執筆
2010/4/17:掲載






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