【空色の風】










「――あっついわねェ……」

「そりゃ夏だからね。暑くない夏は夏じゃないさ」

 もう何度目のその台詞かを数えるのも面倒になりつつある、とある夏の昼下がり。今日も暇をつぶしにやって来たのであろう天子は、しかしこの茹だるような暑さに何もする気が起きないらしく、来てからずっとぐだっと勘定台に突っ伏していた。している事と言えば、偶に思い出したように手に持った団扇を扇ぐくらいか。

「それは解ってるけど……」

 彼女が住んでいる天界は、聞いた所によると年中気候が安定していて住みやすいらしく、だからこそ尚更夏の暑さにへばっているのだろう。仕方ないと言えば仕方ないのだろうが……。

「とりあえず、その長い髪を切れば少しは涼しくなるんじゃないかな?」

 そう言って僕が指差したのは、彼女の腰くらいまである長い髪だ。そのもっさりふわふわとしたボリューム感のある髪は、彼女に良く似合ってはいたがこの季節においては体感温度を上げる要因の一つに過ぎない。……というか、見てるこっちも少し暑く感じる。

「……これ? あぁ〜……そういえば確かにこれ結構邪魔なのよねぇ。面倒臭いから放っておいたけど。…………あ、そうだ霖之助。折角だし私の髪切ってくれない?」

 僕の指摘にようやく気付いたらしく、彼女は自分の髪を軽く持ち上げて見せる。

「……何で僕が? まぁ、出来なくはないけど」

 以前から時折、魔理沙や霊夢の散髪をしてやった事も何度かあるからな。まったくの素人と言う訳ではないが……それでも普通に床屋に行った方が良いのは間違いないだろう。何より面倒臭い。しかし、天子が僕の意見を聞く訳などなく、

「まぁまぁ細かい事気にしないの。なんならちゃんとお代も払うわよ?」

「……はぁ、やれやれ」

 半ば諦めも混じり、溜息を突きながら僕は承諾の意を込めて頷いた。……別に、代金を払うという言葉に引かれた訳じゃないぞ? まぁ、そう言った所で傍目にはそう見えても仕方ないだろう。彼女もクスクスと笑みを零していた。




「それで? 大体どれくらいにするんだ?」

「んー、折角だしばっさり行っちゃって良いわよ」

 場所を移して店の軒先。日陰に置いた椅子に腰かける天子へと布を掛け、僕は櫛と散髪用の鋏を手に彼女の背後に立つ。こうして改めて見てみると、彼女の髪は随分とボリュームがある。相当の期間切らずに伸ばしていたのだろう。しかし手入れはしっかりしていたようで、櫛を入れてみれば引っかかる事無く下まで梳く事が出来た。

「そうか」

 彼女の意見を元に、ある程度位置を決めた僕は霧吹きで軽く髪を湿らせてから、鋏を入れて一気に切り落とした。後で調整出来るようにまだそこそこの長さは残っているが、それでも半分近くの量の髪が一気に切り落とされたので、僕の足元にはその髪の毛が軽く山を作っていた。

「ッ!? うっわ……本当にばっさり行ったわねェ……。今まで当たり前にあったものが一気になくなって凄い違和感」

「……今更文句を言われても困るよ」

「別に文句じゃァないわよ」

 流石にそれには『ばっさり行け』と自分で言った彼女も驚いているようだ。まぁ、髪の毛といえどあれだけの量が一気になくなれば、そりゃ違和感の一つや二つ覚えるだろう。とはいえ、そうしろと言ったのは彼女当人だ。苦笑を零しながら、僕は再び鋏を入れて行く。ちょきちょき、ちょきちょきと。先程みたいに一気に切ったりはせず、細かく切って行く。時折彼女から距離を取って全体を確認し、再び鋏を入れる。それを幾度か繰り返した頃だった。

「おわッ!? いきなり首を動かしたら危ないじゃないか」

 僕が挟みに力を込めようとした丁度その時、彼女の頭がガクンと揺れた。ギリギリで手を止める事が出来たから良かったが、下手したら変な風に髪を切り落としてしまう所だった。危ない危ない。見れば、天子は如何にも瞼が重そうな様子だった。

「うぅ、仕方ないじゃない。こうしてると何だか凄く眠くなってくるし……ふぁ」

「やれやれ、気を付けてくれよ。本当に……」

 ……まぁ、彼女の言っている事も解らなくはない。そこからは更に慎重に、鋏を入れて行くのであった。
 ちょきちょき、という鋏の音の中に微かな寝息が混じったのは……それから程なくの事である。




「――さて、こんな感じでどうかな?」

「んー、中々ね。思ってたよりも良い感じだわ」

 首の付け根あたりで整えられた自分の髪を、手に持った鏡で色々な角度から眺める天子。彼女の口元に小さく浮かんだ満足げな笑みに、僕は後始末をしながら小さく安堵の息を吐いた。何しろ彼女は途中から完全に寝ていたからな。起こすのも悪かろうとそのままにして散髪の続きをしていたが……どうやら気に入ってくれたようだ。

「僕は床屋じゃないからね。過剰に期待されても困るよ」

「ん、これで充分満足よ。……それにしても本当にさっぱりしたわねェ! これなら少しは涼しく過ごせそうだわ!」

 天子が気持ち良さそうに身体を伸ばすと同時に、一陣の風が吹く。それは切り落とした髪の一部を舞い上げる。空と同じ色のそれはやがて、空に溶けるように何処かへと流れて行った――









2010/9/1:執筆
2010/9/8:掲載






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