【僕と私の歩み方】















 冬が過ぎ、徐々に生命の息吹が広がり始めた春の始め。宝船の噂で持ち切りとなった幻想郷の中心で、しかし今日も僕――森近霖之助は動かない古道具屋≠ニ揶揄される程度に、呑気な日々を送っていた。

 ――カランカラン。

「いらっしゃ……何だ君か」

「何だ、とはご挨拶ね。折角のお客様よ?」

「生憎と、君を客だと思った事は一度たりともないよ」

 不機嫌そうに、しかし何処か笑みのようなものも含んだ表情の来訪者――博麗霊夢に僕は、それまで読んでいた本に栞を挟みながら答えた。

「それで、今日は何の用だい? ……まぁ、大体見当は付くが」

「そう? それなら話が早いわ。服の修繕をお願いね」

 そう言った霊夢は、恐らく着替える為だろう。まるで此処が我が家であるかのように当たり前に、奥の居間へと上がっていく。
 何時も通り僕の服を身に纏い、その代わりにボロボロとなった巫女装束を手渡してきたのを見て、僕は小さく息を吐く。
 何時もの事とはいえ、霊夢は一方的だ。何時もの事故に、諦めてもいるが。

「……君ももう良い歳なんだ。裁縫の一つ位覚えたらどうだ?」

「嫌よめんどくさい。家事なんて、自分でするのは料理だけで充分よ」

 料理もする必要がない霖之助さんは楽で良いわね――そんな怠惰の極みともいえる発言に、僕はただ肩を竦めるだけに止めた。




「……そういえば、今日はなんでこんなになったんだ?」

 チクタク、ずずぅ、と時計の音と霊夢が(勝手に淹れた)お茶を啜る音だけが響く中、僕がふと思い出したように訊ねる。  特に深い意味はない。何となく気になっただけだ。

「んー? 宝船にちょっと乗り込んできただけよ?」

 しかし霊夢の方も暇だったのだろう。僕の殆ど独り言のような呟きに、気だるそうにしながらも答えてきた。

「宝船? 今里で噂になってる奴かい?」

「宝船が二つも三つもなければそうね」

 ずず、と再び湯呑みを傾けている霊夢に、僕はての動きを止めずに訊ね返す。

「という事は、また何か異変だったのか」

 そもそも宝船が出た時点で異変とも言えるかもしれないが、だからといって霊夢がボロボロになる直接的な原因にはなり得ない。

「えぇ。鼠とか船幽霊とか色々いてね。最終的には魔界まで旅行してきたわ」

 それはそれは……さぞかし愉快な旅行だったのだろう。
 それにしても鼠か……。
 少し前に鼠の妖怪が訪ねてきたが、もしかして関係があるのだろうか? あるような気がしてならないが、まぁ気にしないようにしよう。霊夢に比べれば大した事ない僕の勘ではあるが、今はそうするのが最善だと告げていた。
 下手に藪を突くと蛇が出るからな。




「――ふぅ」

 今回の霊夢がボロボロとなった顛末を聞いてから、幾暫く。特に会話もなく作業に没頭していた僕であったが、丁度作業も一段落つき、コキコキと首を鳴らす。
 見ればもうすっかり良い時間で、窓から差し込む光は太陽ではなく月明かりへと変わっていた。

「……あら、もう終わったの?」

 と、長時間の作業で凝り固まった身体を伸ばしていると、横から声を描けられる。
 見れば、もう結構な時間が経っているにも関わらず、未だに湯呑みを持った霊夢が。
 ずっとそうしていたのか、と訊ねると、

「そうね、他にする事もなかったし、ずっと霖之助さんを見てたわ」

「……そうか」

 何の躊躇いもなく頷かれてしまい、逆に僕の方が少し戸惑ってしまった。
 別に、見られていたからどうだ、という訳でもあるまいに……。

「それよりも霖之助さん、私お腹が空いたわ」

 その言葉を証明するかのように、タイミング良く霊夢のお腹がくぅ、と小さく鳴いた。……やれやれ、作れって事か?

「僕の事なんて見てないで、自分で作ってれば良かったんじゃないか?」

「それもそうかもね。でも、何となく目が離せなかったのよ」

 何でかしらね、と続ける彼女に対して、僕は知らないよ、とだけ返す。
 その間にも霊夢のお腹は幾度も鳴り続け、食事を要求し続けてきた。……一応は霊夢も年頃の娘なのに、それもどうなのだろうか?

「良いのよ。霖之助さんの前だもの」

「……ッ、そうかい」

 何故だろうか。今の彼女の言葉に、一瞬胸が締め付けられるような感覚に陥ったのは。
 それはまるで、僕がもう随分と抱いた記憶のない感情のようで。そして数多の物語において描かれてきたそれのようであった。
 恐らくは、霊夢の本音はまるで正反対の位置にあるのだろうに。

「……とりあえず、何かないか見てくるよ」

 しかし一度高鳴った鼓動は簡単には治まってはくれず、僕はまるで彼女から逃げるように台所へと向かう。

 ――決してそれは、嫌なものではなかったのだけれど。





 夕食を作り終える頃には、すっかり胸の内の妙な感覚も消え、単純に食事を楽しむ事が出来た。
 今晩のメニューは白米に菜の花の味噌汁。それに山菜の天麩羅と自家製の漬物を少々。そして、岩魚の骨酒だ。
 本来食事の必要がない故に、普段は比較的質素な物で済ませる僕にしては、豪勢な夕食といえるだろう。
 まぁ、結構な頻度で霊夢や魔理沙が来て、ついでに食事をして行くので然程珍しくもないのだが。

「「頂きます」」

 合図をした訳でもなく、しかし自然に僕と霊夢は言葉を重ね、箸を手に取る。
 僕が最初に口にしたのは菜の花の味噌汁だ。ずず、と軽く啜る。……うん、旨い。和食の基本は味噌汁だ。僕も時折里の食事処を利用する事があるが、その際良い店かの判断の基準としているのが、味噌汁である。味噌汁が旨い店は他の料理も旨い、という事だ。
 続いてほかほかと湯気を立てるご飯を口に運び、今日のメインである山菜の天麩羅に齧りついた。サクサクとした食感が心地良く、中身が山菜である為に見た目ほど胃に重くもない。これなら幾らでも行けそうだ。
 そう思っていたのは霊夢も同じのようで、次から次へと天麩羅を口に運んで行く。……おいおい、少しは僕の分も残しておけよ。とはいえ、言ったところで無駄だろうから、僕も負けじと天麩羅に箸を伸ばす。結果、二人分にしては少し多いかと思う程度に盛られていた天麩羅は、あっという間に互いの腹の中に消えてしまった。




「……ふぅ」

 特に会話もない淡々とした、しかしそれでいて何処か心地良さを感じさせた食事も済み、僕等は岩魚の骨酒をちびちびと口に運ぶ。食事の間に岩魚のエキスが染み出し、コップの中の酒は黄金色に染まっていた。それを箸で岩魚の実を解していく事で、更にエキスを絞り出しながら呑んでいく。

「はむ」

 一方の霊夢は既に酒を飲み干し、残った岩魚の身にパクリと齧り付いていた。既に出汁が全部出てしまった岩魚だが、残しては勿体ないだろう……という訳で、僕もひょいと口に運ぶ。出汁が全部出てしまっている代わりに、酒がほど良く染み込んでいて、旨い。

「……そういえば、今日はどうするんだい?」

 食後の酒も堪能し、一息吐いたところで僕はふと思い出したように訊ねる。
 すると霊夢はボリボリと岩魚を齧りながら、んー、と首を傾げ、

「そうね……今から帰るのも面倒だし、泊って行くわ」

 と、余り悩んだ様子もなく頷いた。さては、最初からそのつもりだったな?
 僕が内心で呆れるのを余所に、岩魚を全て食べきった霊夢は『ご馳走様』と手を合わせて立ち上がる。風呂にでも行くつもりだろう。

「お風呂、入れるわよね?」

「やれやれ、態々聞かなくても知ってるだろう?」

 先の間欠泉異変の際にこの近くにも温泉が湧いて、以来此処の風呂はそれを利用している事に。

「そうね、それじゃあお先に頂くわよ」

 そういうなり、彼女はさっさと風呂場の方へと行ってしまった。箪笥から、僕の寝巻を勝手に取って。
 まったく……もう少し遠慮というものを知ってほしいものだ。果てしなく今更な気もするが。





 霊夢に続いて僕も風呂に入った後、僕等は早速布団の用意をした。
 特に何かをする事がある訳でもないので、さっさと寝る事にしたのだ。これが魔理沙なら『夜はまだまだこれからだぜ』とか妖怪みたいな事を言いそうだが、幸いというべきか、霊夢は比較的人間らしい生活リズムの持ち主だった。

「それじゃあ、おやすみなさい」

 布団も敷き終り、僕等は就寝のあいさつを交わす。当然といえば当然だが、それぞれ寝る部屋は別々だ。
 ……別にそれ自体は前からの事とはいえ、最近は妙に意識してしまうな。そしてそれは霊夢も同様らしく、やけにそわそわとして落ち着きがない。何か言いたそうに、しかし結局何も言わず、自分が寝る部屋へと行ってしまった。何となく気になるが、しかし何と声を掛ければ良いのか僕自身解らず、結局そのまま布団を被るのだった。





 ――しかし、

「…………眠れん」

 ホォ、ホォ、と森から響く梟の声は子守唄とはならず、却って僕の目を覚まさせていた。
 身体は睡眠を欲しているのに、意識は闇に落ちてはくれない。普段であれば、何もせずに静かに時を過ごすのは寧ろ好きな方だが、今はただただ苦痛を感じるだけであった。

「少し、夜風にでも当たるか……」

 結局、眠れそうになかった僕は布団から出る事にした。元より多少の無茶は気にならない頑丈な身体だ。朝まで本を読んでるのも良いかもしれないな。
 そう思い、襖を開けると、

「あ、霖之助さん……」

 霊夢が、縁側に腰掛けていた。
 夜風にそよそよと揺れる、宵闇よりも尚濃い漆黒の髪は、降り注ぐ月明かりを浴びてキラキラと輝く。

「綺麗だ」

「え……?」

 ポカン、と呆け顔の霊夢に、僕は自分が何を言ったのか今更ながらに気付く。夜の闇の所為で良く見なければ解らないが、うっすらと彼女の頬に紅が差していた。

「あ、いや……何でもない」

 思わぬ失態に僕の頬も熱を持ち始めたが、それが表面に出るのは何とか抑えて、僕は霊夢の隣に腰掛けた。……時折吹く風が、心地良い。
 そんな雰囲気にあてられたのか、それとも先の言葉の所為か、僕達の間に言葉はなく、ただ沈黙だけが辺りを支配していた。

「……ねぇ、霖之助さん」

 それがどの程度続いた頃だろうか、ポツリと、霊夢が僕の名を呼んだ。

「……何だい?」

 それに振り向く事なく応える僕に、霊夢もまた動く気配なく言葉を続けた。

「桜、綺麗ね」

「……あぁ、そうだな」

 ひらり、はらりと舞い散る桜の花びら。幻想郷でもこの香霖堂の裏庭にだけ咲く白い桜は、蘭々と輝く月光を浴びて、何とも言いようのない美しさを醸し出していた。

「まるで雪みたいね」

「うちの桜の花弁は白いからね。尚更そう見える」

 そよそよと優しく吹く夜風。それに流されて舞う白い花弁は、確かに彼女の言う通り雪のように見えた。桜吹雪、と言うには些か勢いが足りないけれど、この光景を表現する他の言葉が、僕には思い浮かばなかった――





 それから、どれくらいの時間が経過しただろうか。
 気づけば僕等は互いに言葉を交わす事もなく、しかし決して居心地の悪さを感じるでもなく、ただ桜の花が舞い散る様子をじっと眺めていた。
 そうしているうちに、ゆっくりと睡魔が僕の意識を侵食し始め、瞼が重くなりつつある。流石に、もうそろそろ部屋に戻った方が良いだろう。そう、傍らの霊夢にも言おうとした時だった。
 コテン、と僕の肩に重みが掛かった。見るまでもない、霊夢だ。耳元に微かに届く穏やかな息吹に、眠ってしまったのだろうと判断する。どうやら、少しばかり遅かったようだ。
 最初僕の肩の上にあった霊夢の頭は、気づけばずるずると下に転がってしまい、僕の脚の上に乗っかっていた。肩に寄り掛かるよりも楽なのか、彼女の口元は穏やかに緩んでいる。思わず、僕もそれに釣られて小さく笑みが浮かぶ。

「ふぁ……」

 釣られたのは、笑みばかりではなかったようだ。元々忍び寄っていた睡魔の軍勢が、爆発的に勢いを増して進行してくる。このままでは、陥落は免れないだろう。
 その前に霊夢を部屋に……と思うも、既に幾つもの防衛ラインを突破した眠気の所為で思考の働きが鈍い。身体が言う事を聞かない。
 ――ほどなくして、僕は降伏の白旗を上げたのであった。





   
* * *





 ――ふわふわゆらり。
 まるで宙に浮かぶように、水の中を揺らめくように、私の意識は舞い踊る。それが夢だと気付いたのは、果たして何時の事か。
 夢と現の境界に立つ私の意識は、瞼を刺す朝陽と耳に届く小鳥の鳴き声で、覚醒へと歩み始める。

「ん……」

 未だに睡魔はしぶとく抵抗を続けているけど、一度目覚め始めた意識は、そう簡単に陥落を許さなかった。ふぁ、と一つ息を吐いて、私は起きる事にした。
 最近はもうすっかり暖かくなってきた。
 とはいっても、まだまだ朝方や夜は少し肌寒い。……にも拘らず、私は結構な……寧ろ少し暑いくらいの温もりを感じていた。
 何だろう、と瞼を開いてみればすぐ目の前には、視界を埋め尽くす藍色。何処かで見たような色。それだけでは何なのか判別出来ないから、視線を上げてみると、それはやがて肌色となり、良く見知った顔だと私は気づいた。

「ッ!?」

 それが誰なのかを私の脳が認識した瞬間、ビクリと身体が小さく震える。だが、まるで見えない手で頭を押さえられているかのように、そこから視線を外す事は出来なかった。

「……すぅ」

 普段の仏頂面からは想像出来ない、とても穏やかで純粋な霖之助さんの寝顔。それはまるで少年のように幼い印象すら与えてきた。
 彼の寝顔を見る事自体は、別にこれが初めてという訳ではない。時には一人で、時には魔理沙と共に香霖堂に泊まったのは割と珍しい事ではなく、こういう機会もまた多々あった。
 けれど、こんな風にマジマジと眺めるのは初めてだった。……いや、他にもあったか。確か、霖之助さんが大怪我をして、それを私が手当てした時だったと思う。
 ……あの時は事態が事態だから、のんびりと霖之助さんの顔を眺める余裕なんかある訳がなかったけど、手当てしているうちに苦しげなものから徐々に表情が穏やかになって行くのを、私は今でもはっきりと憶えている。
 そっと、彼を起こさない程度に優しく、私は手を伸ばして彼の顔を撫でる。すると擽ったそうに彼の顔が歪むが、しかしまだ起きるような様子はない。
 何となく、もう少しそれを眺めていたい気分だった。でも、
 ――カランカラン。
 少し離れた――店の入り口からカウベルの音が響くのが、微かにではあるものの確かに耳に届いた。誰かが来たのだ。
 その瞬間、私は意識が一瞬で覚醒した。何となく、しかし確かな確信として、この姿を見られてはいけない気がしたのだ。

「おぉーい香霖まだ寝てるのかー!? 朝だぜ魔理沙様だぜッ!」

 しかし私がなに顔をするよりも早く、その来訪者――私も良く知る普通の魔法使いは、ズカズカと店の奥に上がってきたようだ。それが彼女の普通≠セと解っていても、焦りを覚えずにはいられない。
 ……はて、何で私はこんなに焦っているのだろう? そう、冷静に分析する気持ちも僅かにあった。けど、答えを出すには何よりも時間が足りな過ぎた。

「お、此処にいたの、か……ッ?」

 私が何か行動を起こすよりも早く、彼女は私達を見つけてしまった。何か嬉しい事でもあったのか、満面の笑みを浮かべていたその顔は、しかし凍りついたように一瞬で冷たくなる。

「霊夢……?」

 何かがおかしかった。  別に、私が香霖堂に泊るのは今回が初めてではない。魔理沙と一緒の事も多かったが、私一人で泊まる事も少なくはなかった。それは彼女も良く知っている。にも拘らず、こうして凍った笑みを浮かべる彼女が、そしてそれに恐怖にも近い感情を抱く自分が、おかしかった。

「「……」」

 互いに何か言いたい事があるけれど、しかしそれが言葉として口から出てこない。そんな状態がどれほど続いた頃であっただろうか。

「う……ん……?」

 それまで穏やかな寝息を立てていた霖之助さんが、もぞもぞと動き始めた。どうやら、目が覚めるらしい。
 それと同時に、半ば固まっていた私と魔理沙の時間も動き出した。

「魔理沙……?」

 突然、彼女のその大きな瞳の淵から、大粒の涙がポロポロと零れ始めたのだ。しかしすぐにギュッと帽子を目深に被り、私達に背を向けて走り去って行ってしまった。
 追おうと思えば、それも出来たと思う。しかし、私は何故かそれをしなかった。する必要がないと感じたからなのか、それとも出来なかった≠フか……今の私には解らなかった。

「ん、む…………あぁ、おはよう、霊夢」

 ただ一つ解ったのは、

「…………おはよう、霖之助さん」

 寝起き特有の少し呆けた――何処となく幼さを感じさせる表情でおはようと言う彼に、心地の良い温かさを、私はこの胸で感じていた事であった。





 香霖堂に泊った日から、数日が経った。あれ以来私は香霖堂を訪れてはいない。何となく、そんな気分にはなれなかったからだ。
 その原因を、私は理解している。あの朝見た、魔理沙の涙だ。あれ以来、香霖堂へ行こうと思うと罪悪感のようなものを抱いてしまう。
 そしてもう一つ、私の脚を竦めさせるものがあった。それはやはり、あの朝感じた霖之助さんに対する温かい感情。この上なく心地良いと思った筈なのに、しかし一方でそれは、私の何かを決定的に壊してしまうようで恐ろしかった。
 そういえば、と私は思い出す。この矛盾した感情を、以前にも抱いた事があったのを。その時は、眠っている時に夢として見たもので、起きて暫くしたら忘れてしまった程度の事だった。
 その時は、夢の終わり――目覚めの直前に、何か一つの答え≠ノ辿り着いた気がするが……いかんせん夢の話だから、そこまでは思い出せなかった。

「…………はぁ」

 一つ、息を吐く。
 魔理沙の事、霖之助さんの事、そして……私自身の事。色々な事柄が複雑に絡まり合い、混ざり合い、私を苛立たせた。

「…………はぁ」

 もう一度、私は息を吐く。
 このまま神社でぼうっとしていても、恐らく何も変化は訪れないだろう。なら、気晴らしに何処かに行くのも良いかもしれない。
 思い立ったが吉日と、私は早速立ち上がり空へと上がる。そして私は、自然と香霖堂の方へ向かい始めた――





   
* * *





 パタン、と僕はそれまで開いていた本を閉じた。今日は特に誰かが訪れる事もなく、静かなものだったので一気に全部読んでしまった。要するに、それくらい暇だったという事だ。
 まったくもって何時も通りである。

「しかし……」

 どうにも落ち着かない。何というか……静か過ぎるのだ。
 そういえば、最近は霊夢も魔理沙もうちを訪れていないな……いたらいたで面倒だが、いないとこうも物足りなさを感じるとは。僕らしくもない。
 ――カランカラン。
 カウベルの音が店に響いたのは、僕が小さく肩を竦めたのと同時であった。
 扉から差し込む逆光によって細部は見えないが、しかしその先が尖った大きな帽子のシルエットによって、僕は来訪者が良く知る黒白だと判断する。

「魔理沙か、久しぶりだね」

 つい先ほどまであんな事を考えていたからか、微かに嬉しさのようなものを感じつつ、僕は彼女に挨拶の言葉を投げ掛ける。しかし、そんな僕とは対照的に、

「…………」

 妙に彼女は静かであった。何か嫌な事でもあったのか、或いは何処か具合でも悪いのか……どちらにしろ様子のおかしい彼女に、僕は少し心配になってきた。なので椅子から立ち上がって彼女の側に行ってみると――

「……香霖ッ」

「ッ!?」

 彼女が、ギュッと僕の身体に抱きついてきた。その突然の行動に僕は上手く反応出来ず、思わず押し倒されそうになってしまった。

「うお……ッ!? いきなり何をするんだ魔理沙……」

「…………」

 困惑半分、何かあったのかと心配半分な僕が声を掛けてみても、しかし彼女は何も言わずに僕の服に顔を埋めるのみ。
 そんな彼女に、僕は小さく息を零す。魔理沙の行動は何時でも唐突で、そして僕には理解出来ないからな。
 暫く好きにさせてやろう、そう思ったのと丁度同時に、彼女は顔を上げる。相当泣いていたのだろうか、彼女の眼の周りは赤く腫れあがっており、瞳は微かに潤んでいるように見える。しかし同時に、何か強い意志のようなものも感じられた。
 様子がおかしい――流石に、僕もそれに気付いた。

「魔理――」

「香霖ッ!」

 どうかしたのか、と訊ねようとした、その時だ。グイッ、と胸を引っ張られ、そして視界が一気に狭まるのを感じたのは。
 しかしそれに驚くよりも先に、今度は口に何かを押しつけられた。柔らかい、何かを。

「ん……ッ!?」

 それが何なのか、一瞬僕は理解出来なかった。しかし、すぐ間近にある魔理沙の顔が、ギュッと閉じられた大きな目が、僕を答えへと導いていく。

「……ぷは……ッ」

 僕が、はっきりとそれを認識すると同時に、彼女はようやく顔を離した。

「ま、魔理沙……?」

「へへ、私の初めてなんだぜ……?」

 混乱で頭を支配された僕とは対照的に、魔理沙はまるで酔っているかのように浮ついた笑顔だ。そこに、狂気の色が見え隠れしているように思えるのは、果たして僕の気の所為であろうか?

「何で……こんな事を……?」

「そりゃ勿論……香霖の事が好きだからに決まってるんだぜ」

「……ッ!?」

 未だ混乱の醒めぬ僕に、更に畳み掛けるように放たれたその言葉。先の行動を抜きにしても、それは決して、冗談で言っているような顔ではなかった。

「……本当はもっと時間を掛けて行きたかったんだけどな……そういう訳にも行かなくなった」

 一人で納得したように頷き、彼女は僕の首にそっと腕を回す。

「まり、さ……?」

「あいつに盗られる前に、香霖を私で染めてやるんだぜ……」

 あいつって誰だ? 盗られるってなんだ? 一瞬、僕の脳裏に何かが過ったような気がするけど、一瞬過ぎて何なのかまでは把握出来ない。
 何処か焦点の合っていない、熱っぽい表情で彼女はそう言い、再び唇を重ねようと顔をゆっくりと近づけ始めた。
 そんな彼女に、未だ混乱から立ち直れない僕はどう反応すれば良いのか解らなかった。そのまま、魔理沙にされるがままになりかけた、その時、
 ――カランカラン。
 店に、カウベルの音が響いた。

「ッ!」

「わッ!?」

 その音でようやく我に返った僕は、半ば突き飛ばすようにして魔理沙から距離を取る。彼女もカウベルの音に気を取られたのだろう。何の抵抗もなく、尻餅をついた。……悪い事をしたか、とも思わないでもないが、状況が状況だし仕方ないだろう。

「霖之助さん……? それに魔理沙も、何してるの……?」

 ホッと一息吐いた所に投げ掛けられたのは、良く聞き覚えのある少女の声。魔理沙同様客じゃない常連筆頭の霊夢だ。

「……あぁ君か」

「随分な御挨拶ねェ、折角来てあげたのに」

「君がちゃんとしたお客様なら僕も喜んで歓迎するけどね」

 自分でも意外なほどに、何時も通りのやり取り。それが返って僕の心を落ち着かせてくれた。

「で、魔理沙とは何してたの?」

「……それは僕の方が訊きたいさ」

 霊夢と同時に視線を向けたその先では、既に魔理沙が立ち上がっていた。互いの視線が交差する。

「……なんだ、霊夢か」

 瞳に仄暗い光を宿して、魔理沙はそう吐き捨てる。あからさまに、霊夢に対して敵意のようなものを抱いている様子だ。
 一体何故……そう思った僕の脳裏に、先程の魔理沙の言葉が過る。 『香霖の事が好きだから』 『あいつに盗られる前に』  ……まさか、それが霊夢の事だとでも言うのだろうか? 仮にそれが正しかったとして、それが意味するのは――馬鹿な、有り得ない、と首を振ろうとするも、しかしその瞬間、僕の胸が不自然に大きく波打つ。

「なんだ、とはあんたも随分な挨拶ね」

 僕が、らしくもない自身の様子に戸惑いを覚えている横で、霊夢は何時も通りの調子――少なくとも僕にはそう見える――で魔理沙に声を掛けた。

「…………」

 一方で、魔理沙は何も言わずに押し黙っている。実に対照的な光景であり……少し、不気味だ。それがどの程度続いただろうか。やがて、魔理沙がくいっと顎で入口の方を差した。外に出ろ、という合図だろう。そうして店の外に出る魔理沙を、霊夢は何も言わずに追った。
 割と日常的に弾幕ごっこをしている二人であり、僕も普段ならば店に被害を与えない限りは特に気にしたりしないが……今回は事が事だ。店の奥でのんびり本を読む気になどとてもなれず、僕は彼女らを追って店の外に出る。僕が外に出た時には、既に彼女らは空に浮かび、それぞれの獲物を手に臨戦態勢を取っていた。

「……まさか、そういうのに一番縁遠いと思ってたお前が、私の一番の障害になるなんてな」

「……何の話よ」

「とぼけるか……まぁ良いぜ。私がやる事に変わりはないからな」

 そう言うや否や、魔理沙は勢い良く両手を振り、得意の星型弾幕を霊夢に向けて放った。それは弾幕という言葉に相応しい、圧倒的な物量で降り注ぐ。
 一見とても避け切れないようなそれを、しかし霊夢はまるで弾が来ない場所が解っているかのように、軽やかに躱して行く。その様はさながら、舞っているかのようですらあった。

「ち、やっぱ霊夢にはこれぐらいじゃ避けられちまうか……。じゃあこれならどうだ!? 光符

「アースライトレイ」

=I」

 スペルカード宣言と同時に、魔理沙は無数の小瓶を投げつける。それは地面に落ちて割れると、そこから光線が天へと向かって奔った。
 星弾と光柱による二段攻撃。しかしそれらが本命でない事は、僕にも解った。あくまで、それは霊夢の動きを制限する為のものだ。
 その狙いに違わず、霊夢の動きが一瞬止まる。それは本当に一瞬ではあったが、しかしそれを見逃す魔理沙ではない。既に構えていたミニ八卦炉から強烈な光が迸る。彼女お得意のマスタースパークだ。
 一瞬の隙を突かれた霊夢は、回避行動に移る間もなく圧倒的な光の奔流に呑み込まれる。決まったか――戦闘に関して素人な僕は勿論、魔理沙もそう思ったのだろう。微かに口元が緩んでいるように見えた。だが、次の瞬間、

「……がッ!?」

 魔理沙の身体が突然地に墜ちた。見れば、彼女の背後にはマスタースパークに呑まれた筈の霊夢が。恐らくは、零時間移動だろう。それによって魔理沙の背後へと転移し、攻撃を仕掛けたのだ。  魔理沙もその事を知らなかった筈がないが、しかし勝利を確信して僅かに油断してしまったのだろう。その隙を突かれたのだ。
 地に伏す魔理沙のすぐ傍らに降り立つ霊夢。悔しげに顔を歪める魔理沙に対し、霊夢の表情は何処までも冷たい。

「……あんたが何でこんな事をしてきたのかは、まぁ大体解るけどね。……多分、それは正解よ。私自身意外だと思ってるけどね」

 そう言って、彼女は僕の方へと一瞬視線を向ける。何を思っているのかは、やはり読み取る事が出来ない。

「……正直、まだ全部を解ってる訳じゃないけど……それでもはっきりと解る事があるわ。……あんたのこの行動は唯の自己満足よ」

「…………ッ!」

 霊夢のその、オブラートに包む事もなくはっきりと告げられた言葉に、魔理沙は悔しげに唇を噛む。そして、絞り出すように言葉を零し始めた。

「……解ってるさ、それくらい。私がどれだけ想っていたって、必ずしもそれに応えてもらえるとは限らないって」

 顔を俯かせたまま、魔理沙はゆっくりと立ち上がる。そして……僕の方へと身体を向けた。

「……なぁ香霖……さっきの返事、まだ訊いてなかったよな……? 今、訊いても良いかな……?」

「…………」

 そう言って顔を上げた彼女の眼差しは何時になく真剣で、そして悲痛な色を宿していた。
 魔理沙は、僕の事を好きだと言い、口づけをした。それは僕という異性に対する、一人の女性としての好意。それが解らないほど、僕は鈍くはなかった。

「僕は」

 だからこそ、はっきりと告げてやらねばならない。

「君の気持ちには応えられない」

「…………ッ!」

 小さく、しかしはっきりと届けられたその言葉に、魔理沙の身体がビクンと小さく震える。自分でも酷い事を言っているのは理解していた。彼女の求めるそれとは違っても、魔理沙は僕にとっても大切な相手だ。だからこそ、一時の同情でその気持ちに応えてやる事は出来なかった。
 そんな僕の答えに対して、彼女は、

「……はは、そっか」

 ただ一言、そう呟いた。
 その瞳からは、抑えようとしても抑えきれぬほどの大粒の涙が、ボロボロと溢れだし、彼女の顔を、そして足元を濡らして行く。
 そして、

「…………ごめん」

「まり――ッ」

 まるで僕らから逃げるかのように、背を向けて箒を跨ぎ、幻想郷の空へと飛び上がる。思わず。僕は彼女の名を呼び掛けそうになるが……しかし、ぎりぎりでそれを抑えた。
 今の僕に、彼女を呼び止める資格はない。……そう思ったのと、

「霊夢……」

「…………」

 霊夢が、何を言うでもなく唯そっと、僕の袖を握っていたのだから――




 ホォホォ、と何処からか梟の声が届く夜更け。僕は店の中庭に面した縁側から、静かに月を見上げていた。
 そんな僕のすぐ背後には、布団に包まり穏やかな寝息を立てる霊夢が。魔理沙が去った後、そのまま倒れ込むように眠りに入ってしまったのだ。平静を保っているように見えて、彼女も相当緊張していたのだろう。
 そんな彼女を数秒、眺めてから僕は再び月を見上げる。

「――今宵は誠に綺麗な月ですわね」

 その時だ。すぐ傍らからそんな言葉が投げ掛けられたのは。

「……君か、紫」

「あら、今日は何時もみたいに驚いてくれないんですのね」

「……今日は色々とあったからね。もう驚くのも億劫なくらい疲れたよ」

「あらあら」

 冗談でも何でもなく、素でそう吐露した僕に、彼女はくすくすと如何にも愉しげな様子で笑みを零す。あぁ、嫌な笑みだ。

「……それで、如何だったかしら? 娘のように可愛がっていた少女から想いを告げられた気分は」

 覗いてたのか、なんて言葉は彼女には今更で、且つ無意味だろう。

「……大いに困惑したさ。でも少し嬉しくもあった」

「あら、嬉しかったんですの?」

 意外だ、と言わんばかりの彼女に、僕は小さく頷いて返す。

「そりゃ、あれだけ純粋でまっすぐな想いを向けられて嬉しくないなんて思えるほど、僕は捻くれているつもりはないよ」

「ふぅん……でも」

 彼女の言葉の続きは、言われずとも解った。
 そう、僕は魔理沙の想いに応える事はしなかったのだ。決して彼女の事を嫌っていた訳ではない。寧ろ好いていた。だが、僕のそれは彼女の求めるものとは違う。だから、応えなかった。

「……最後、魔理沙を呼び止めなかったのは正解。あそこで呼び止められてたら、彼女は余計惨めになってたでしょうね」

「…………」

「今のあの娘に必要なのは、心を落ち着かせるための時間。そして、今貴方が考えるべきは自身の事……違って?」

「解っているさ」

 そっと、僕は背後の霊夢へと視線を向ける。未だ彼女は夢の中だ。あの調子では、恐らく朝まで寝てる事だろう。その穏やかな寝顔に、僕は微かに頬が緩むのを感じる。

「惹かれているのでしょう? 霊夢に」

「…………あぁ」

 今更『違う』、『解らない』などと否定しても仕方ないだろう。僕は、小さく頷いた。そして、それが魔理沙を拒んだ一番の理由なのだろうと、今更ながらに僕は思う。
 それを抱き始めたのが何時の頃からだったかは、正直解らない。しかし、意識し始めたのは年明けの頃の事だろう。

「あの時の私の言葉……憶えていらして?」

「あぁ、勿論だ」

 逢うは別れの始め――それがあの時、紫が『忠告』と称して投げ掛けてきた言葉であった。文字通り、何時か必ず別れが来る、という意味だ。恐らくは、半人半妖である僕と人間である霊夢の寿命の差を言っているのだろう。

「妖に連なる者にとって、人の時間は短すぎる。その想いが強ければ強いほどに、終わりを迎えた後訪れる絶望は深くなりますわ。それを理解して尚、貴方はあの娘をその腕に抱く事が出来ますか?」

 気づけば、紫から普段のような胡散臭い笑みは消え、何処までも真摯な眼差しで僕を見つめていた。それはさながら……我が子を想う母のようだ、と僕は思った。
 それに対して僕は、

「……あぁ」

 小さく、だがしっかりと頷いて返した。
 確かに、彼女の言う事は尤もで何時か僕はこの選択を後悔する事になるかもしれないだろう。だけど、何時か≠怖れていては前に進む事は決して出来ない。

「…………そう」

 僕の答えに、紫は何処となく満足気な笑みを浮かべる。

「それならこれ以上私から言う事はありませんわ」

「……良いのかい?」

「えぇ、これは結局貴方達の問題。私が横からあれこれ言う事ではありませんもの」

 そう言って、彼女はゆっくりと立ち上がる。と同時に、彼女の傍らの空間が裂けた。

「霖之助さん、私はこの幻想郷を愛しています。そして、幻想郷に住まう者達の事も」

「…………」

「愛おしき貴方達が幸せになれる事を……祈っていますわ」

「…………あぁ」

 そう言って、彼女は自らが作りだした隙間へと入って行く。……と思いきや、

「あ、そうそう。子供が出来たらその時は是非とも抱っこさせてくださいね?」

 ひょこりと隙間から頭だけ出して、彼女はそんな事を言ってきた。そしてそれだけ言うと、僕が何か返すのも待たずに、今度こそ隙間の中へと帰って行く。
 そんな彼女に、届きはしないと解りつつも……僕はこう返さずにいられなかった。

「…………気が早い」

 と。





 
* * *





 目が覚めたら、陽はすっかり高くなっていた。随分のんびり寝てたものだ、と私が目を覚ましたのに気づいた霖之助さんは、呆れ気味に笑う。
 確かに、と私も思った。昨日は色々あって心身共に疲弊していたとはいえ、丸一日近く眠っていたのは流石に意外である。
 そんな事を考えていたら、くぅ、と小さく腹の虫が鳴った。

「……ふむ、丁度良い時間だし、食事にするかい?」

「そうね、お願いするわ」

 丸一日眠っていたと言う事は、その間何も食べていないと言う事だ。お腹が空いているのも、当り前というものだろう。

「やれやれ、僕が作るのか……」

「あら、此処の主は霖之助さんで、私はお客様でしょう?」

「客を名乗るなら、せめてツケは払ってほしいものだね」

「お賽銭が入ったらね」

 実に何時も通りのやり取り。まるで、昨日の事などなかったかのようだ。その日常が心地良く、でも一方でそれが妙に落ち着かない。まるで、それだけでは満足出来ないというかのように。
 だからか、私は、

「……霊夢?」

 そっと霖之助さんに寄り添った。
 そんな私の行動に、彼は一瞬驚きで身体を震えさせたものの、すぐに私を受け入れるように身体から力が抜けた。
 それから暫く、私達は言葉を交わすでもなく唯互いの体温を感じていた。

「……霊夢」

 その穏やかな沈黙を破ったのは、霖之助さんの方であった。

「……何?」

 その微かに真剣さの混ざった声音に、私は微かに心音が高鳴るのを感じた。

「あー……」

 数瞬、躊躇うような仕草を見せた霖之助さんであったが……やがて深く息を突いて、口を開いた。

「霊夢、僕が幻想郷の歴史書を書いているのは知ってたよな?」

「……歴史書、なんて大袈裟に言ってるけど要するに日記でしょう?」

 何を急に、と私は露骨に呆れて見せる。そんな私に、霖之助さんは困ったような表情を作りつつも、尚も言葉を続けた。

「そうも言うが……まぁそれは良い。……この歴史書に、君の物語を記させてほしい」

「え……っと、それって……?」

 最初、霖之助さんが何を言いたいのか、私は素で解らなかった。私がぽかんとしてるのに気づいたのだろう。若干慌て気味に霖之助さんは言葉を続けた。

「要するに、だ……君の傍で、ずっと君の事を見させてほしい……という事だ」

「…………」

 後半尻すぼみになったが……それでも、その言葉は私の耳にしっかり届いた。つまり、それが意味するのは――

「…………ッ!?」

 数秒の間を経て、ボッ、と私の頭が爆発したような錯覚を覚える。それはつまり、そういう事……なのだろう。それを理解した途端、私の頬をポロポロと涙が零れるのを感じた。でも、それは決して否定的な意味のものではない。何故なら、その一方で私の顔は、笑みを形作っていたのだから。

「……ッ!」

 魔理沙に対して罪悪感がない訳ではない。でも、これは私にとっても譲れない想い。だから私は、肯定の言葉を掛けるでもなく、頷くでもなく、唯無言で霖之助さんの胸へと飛び込んだ――




   
* * *





 それから数年の時が流れた。
 姓を森近≠ヨと変えた先代の博麗の巫女は、今はこの香霖堂の中庭に面した縁側で、のんびりと茶を啜りながら日光浴を楽しんでいるのだろう。
 数年という時間は人間にとって長く、かつてはまだ幼さも残していた少女が、女性≠ヨと変わるのに充分であった。

「やっぱり此処か」

「此処が一番心地が良いのよ」

「知ってるよ。此処は元から僕の家なんだからね」

 そういえばそうだったわね、と笑う霊夢の横へと、僕は腰を下ろす。そして、チラリと視線を横に向けた。
 既に巫女を止めて結構経つにも拘らず、相変わらず好んで纏うのは紅白の衣装で、その下の身体も年相応な程度に凹凸が出来ている。が、何より目立つのはその膨らんだ腹部だろう。


 ――そう、新しい命が、そこに在った。

「もう少し、かしらね」

「……あぁ、八意女史の診断でも、特に問題はないみたいだしね」

 穏やかな、母として笑みで自らの腹部を優しく撫でる霊夢。暫く彼女はそれを続けていたが、ふと何かを思い出したように顔を上げた。

「……そういえば、何してたの? 朝からずっと工房に籠ってたみたいだけど」

「ん? あぁこれを作ってたんだ」

 そう言って僕は、腰元の鞄からある物を取り出した。

「それは……ペンダント?」

「あぁ、紅玉をあしらったね」

 紅玉の紅は血や炎、即ち命と活力の色。そして魔除けの力も持つとされている。これから生まれてくる子に、健やかに育ってほしいと思い作ったのだ。
 そう説明すると、霊夢は少し呆れ気味に、でも嬉しそうに笑みを零した。

「まだ生まれてもないのに、気が早いわねェ。……でも、そうね……きっとその願いは叶うわ。いいえ、私達で叶える。……違う?」

「……違いない」

 そう笑い返し、僕はそっと彼女の腹部に手を添える。そこから、彼女の中の命の脈動が伝わってきて……自然と、頬が緩んだ――









2010/9/13






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