【『秋雨』】










「――ん? 雨、か……」

 シトシトと雫の降り注ぐ音に僕が気づいたのは、読んでいた本が丁度章の終りという区切りの良い所に達した頃であった。かなり本の方に集中していたから、何時降りだしたのかは解らないが……然程勢いはないようだ。これなら、遠からず降り止む事だろう。

「ま、別に降りやんだからといって、何か外に用事がある訳でもないんだけどね」

 そう僕が肩を竦めたのと同時であった、カランカランと来訪者を告げるカウベルの音が店に響き渡ったのは。

「……おやおや、こんな雨の日に訪れるとは物好きな」

「あら、折角のお客様に対していらっしゃいませの一言もなしかしら?」

 僕の我ながら失礼かな、と思わないでもない挨拶に呆れた風に返したのは、葡萄を飾り付けた帽子を被った少女だ。名を秋穣子と云い、一見唯の人間の少女にしか見えない姿ながらその正体は、秋という季節を司る二柱の片割れたる豊穣神――即ち八百万の神の一人だ。  見れば、その全身からはぽたぽたと滴が零れ落ち、床に染みを作っていた。どうやら、雨宿りの為に寄った、という所だろう。

「はは、それはすまない。こんな天気で誰か来るとは思ってなかったし、何より君が来たのも珍しかったからね」

「文字通りお客様は神様でした、という訳ね。という訳で、その神様に是非とも身体を拭くものと替えの服と冷えた体を温めるものを出して頂きたいわね」

 やれやれ、随分と態度の大きい神様だ。聞いていた話では秋の二柱は、その性質上人に近しいから性格も軽いと聞いたが……ま、濡れた服が気持ち悪くて気が立ってる、と言った所なのだろうか? 僕としても何時までも彼女の事を放っておいて、店を必要以上に汚されても困るからとりあえずはタオルと服を取りに店の奥に引っ込んだ訳だが。




「うぅん……ちょっと大きいわねェ。もう少し丁度良いのはなかったのかしら?」

 僕がタオルと服を取りに行ってから十分程か、青と黒を基調とした明らかにサイズの大きい服――まぁ要するに僕の服な訳だが――を身に纏った穣子は、少し不満げにやはり僕が用意した椅子に腰かけて言った。

「急だからね。それに、他のは売り物だからな。君が代金を払えるなら変えても良いが?」

「んー……じゃあ、貴方の食糧事情を豊かにして差し上げましょうかしら?」

「ふむ……」

 彼女の提案に、僕は一考する。先も述べた通り彼女は豊かさと稔りの象徴たる存在だ。その恩恵を受ける事が出来るのであれば、僕はより食事というものを楽しむ事が出来るであろう。僕は生命維持の為の食事を必要とはしないが、だからこそより美味しいものを食べたいのである。

「ま、ようするに今晩の貴方のおゆはんでも作ってあげようかしら?という事なのだけど」

「なるほど……って、は?」

 彼女の口から続けて零れた言葉に僕はガクッと肩が崩れる。僕も小さいながら自分の畑を裏庭に持っているから、てっきりそれを豊作にしてくれるのかと思ったのだが……。

「あら、それじゃあ些か時間が掛かるでしょう? こういうのは、待たせずにさっさと払った方が良いんじゃないかしら?」

「まぁ、確かに……」

 予想とは大分違った為に軽く肩すかしを受けたが、しかし確かに彼女の言う通りだろう。ツケにして碌な事はないからな。そんな訳で(?)本日の夕食は豊穣神お手製料理と成ったのであった。




「それにしても、雨やまないわね……」

 コトコトと鍋の煮える音に混じって響くシトシトという雨の音に、僕の服の上からエプロンを身に付けた穣子は、卓袱台に料理を盛り付けた皿を置きながら、ポツリと呟く。確かに、見てみれば彼女が来た時に比べて少し勢いが増しているように思える。すぐに降りやむだろう、という僕の予想はあっさり外れてしまった訳だ。

「秋雨、という奴だね。この時期はまぁ仕方ないんじゃないかな? 実際、最近はこんな天気が多いし」

「そうなんだけどね……でも朝は凄く良い天気だったから何だか裏切られた感がするわ」

 確かに、朝はからっとした実に秋らしい良い天気だった……ような気がする。

「……もう、時間は残り少ないんだしもっと色々飛び回りたかったんだけどね……」

「…………え?」

 唐突に、彼女のトーンが下がった。その静かで小さな言葉は、しかししっかりと僕の耳にまで届く。

「こういう風に晴れと雨が交互に訪れるのは秋雨の終わりを意味してるの。そして秋雨が終わるっていうのは、秋もまた終わりに近づいてる頃なのよ」

「あぁ……なるほど」

 秋の神である彼女にとって、それは確かに憂鬱となるのに充分な理由であった。これからまた来年の秋まで、彼女とその姉は何処かでひっそりと過ごしているのだろう。見れば、さっき一瞬見せた陰鬱な表情はすっかりと消えていた。

「ま、そんな事よりも今はお料理ね! ふっふ、今日のは自信作よ! 代金代わりどころか貴方の方が代金を支払いたくなる事必死ね!」

「へぇ、それは楽しみだな」

 確かに、彼女の作った料理はどれもこれも美味そうだ。流石は豊穣神、と言ったところであろうか? 試しに、僕は卓袱台の中央に堂々と居座るじゃが芋の煮付けに箸を伸ばす。うん、美味い。それを切っ掛けに、僕はもう箸が止まらなくなった――




「ふぅ、満腹だ……」

「本当に良く食べたわねェ」

 呆れたように笑う穣子に、僕は苦笑で返す。そして、食事中頭の片隅でひっそりと考えていた事を、口にした。

「……店の裏に、小さいけれど畑があるんだ。折角だし、そこに君の力を与えてもらえないかな?」

「え……でも、この時期じゃあもう間に合わないわよ? 来年になっちゃうわ」

 確かに、僕の畑もつい最近収穫を終えた所だ。それが、今日の夕食の食材になった訳である。

「それで良いんだよ。そして来年になったら、また君に食事を作って貰いたいかな。普通の食材であれほどだったんだ。豊穣神の加護を受けて育った食材で作った料理……どれほど美味いのか、試してみたいからね」

「あらあら……!」

 仄かに、彼女の頬が染まる。そして嬉しそうに小さく笑みを浮かべて、

「それじゃあ、また来年。秋雨の終わる頃に、ね?」

「あぁ、お待ちしているよ」











2010/10/16:執筆 2010/10/17:掲載






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