ZOIDS ORIGINAL BATTLE STORY

【竜帝騎兵隊】

第五章 〜 極北 〜










――ZAC2107年11月




 人込みで雑多する都市の大通りを、少女は日傘を手に一人歩む。その歩み方を含めた一挙一動の上品さと、日傘の陰から覗く一目見て高級と解る紫色のドレスが、少女が単なる子供ではない事をありありと示していた。
 やがて少女は、大通りから外れて裏路地へと入って行く。表の喧騒からは想像出来ない、ゴミとホームレスで溢れ彼ったそこは、大都市であるが故の暗部。光が強ければ強いほど、闇もまた濃くなるのだ。そんな汚れた場所を、しかし少女は迷う事なくまっすぐ進む。本来であれば、彼女のように明らかに裕福な者が此処を訪れれば、物乞いや追剥の絶好のカモとなるだろう。だが、まるで見えない壁によって世界が分けられているかの如く、少女に誰も近寄ろうとはしなかった。
 そして彼女は、ある建物の前で立ち止まる。あらゆる物を内包する大都市にあって尚、異質なその建物。この地では然程珍しくない和風のようでもあり、洋風の要素もある。兎に角異国風≠ニいう形容詞しか浮かばないその建物を前にして、少女は小さな笑みを浮かべ、そして戸を開いた。

 ――カランカラン。





* * *




「…………ぶぇっくしッ!」

 ビュオォォッ! と激しく吹き荒ぶ風に、レクスは恥もへったくれもなく、どでかいクシャミを放つ。
 今の彼は、普段から愛用している白い袖なしコートの上に、ガイロス帝国製の防寒コートをがっちりと羽織った状態だ――極北の地ニクス大陸に存在する為、ガイロス帝国は一年の大半を雪と氷に覆われて過ごす。その想像を絶する寒さは、温暖な他の大陸の民にとっては正に氷地獄コキュートス≠ニ言ったところか。それ故に、ガイロス帝国の民は寒さへの耐性が高く、また防寒具が非常に優秀な事でも知られていた。

「それでも寒いもんは寒いけどな」

「……? 何か言ったお兄ちゃん?」

「何でもない」

 差し出されたティッシュで鼻をかみながら、レクスは隣に立つリアに視線を向けずぶっきらぼうに返した。そんな彼を変なの、と小さく肩を竦めた彼女は、見上げるようにして見ていたレクスから視線を動かし、彼同様正面を見据える。そこにあるのは、全てを覆い尽くす白。文字通り何処までも果てしなく、雪原が広がっていた。

「……凄いね、お兄ちゃん」

「あぁ、一面の銀世界、なんてニクスでも見慣れてた……と思ってたんだけどな。これが、数十年に渡って人を拒み続けてきたテュルクなのか……」

 そう、彼等が今立っているのは、かつてはニクスと陸続きであり、しかし大異変によって分断された暗黒大陸の片割れ――テュルク大陸≠ナあった。





* * *





 それはおよそ一月前。ネオゼネバス帝国がニクス大陸から撤退して、暫く経った頃であった。
 未だに逃げ遅れた、或いは切り捨てられた残党によるゲリラ攻撃が行われているものの、所詮は残党。大半は残党狩りによって粉砕され、一部は物資が底をついた等の理由から降伏の白旗を上げていた。事実上、ニクス大陸はガイロス帝国の手に完全に戻った、と言って良いだろう。

「束の間の平和、って奴か……だが、この様子だとそれもじき終わりそうだな」

「あぁ、今回の招集は次の作戦に関しての会議となる。面子は《三首の竜》と……そして皇帝直々だ」

 レクスがやれやれと肩を竦めて見せると、隣に座るトーマも神妙な面持ちで頷く。ヴァシコード・アカデミーの地下にて新型機のお披露目を済ませた後、彼等はそのまま皇帝官邸へと向かっていた。レクスの運転する車の窓からは、人混みで雑多する帝都の様子がありありと見て取れる。心なしか、人々の表情は皆晴れやかであった。

「呑気なもんだな。……まぁ、それも仕方ないか。彼等にとってはもう戦争は終わったんだから」

「そうだな……だが、それで良い。あんなものに関わるのは、我等軍属だけで充分だ」

 無意識のうちに零していたのだろうレクスの呟きにも、トーマは律義に返す。尤も、狭い車の中だ。聞くな、と言う方が無理なのだろう。
 そうこうしているうちに、目的地へと辿り着く。ガイロス帝国皇帝ルドルフの官邸であった。




「レクス・クラスト中尉、トーマ・リヒャルト・シュバルツ両名、只今到着しました」

 皇帝官邸に到着して数分、レクスとトーマの二人は官邸の一角に存在する皇帝執務室へと入った。見れば、そこには既に先客がいる。

 部屋の奥にて椅子に腰かける漂う青年は、若くしてガイロス帝国を治める皇帝ルドルフ=B
 その傍らに立つ赤毛の大男は、皇帝親衛隊蒼空虹団¢熬キのロッソ=B
 そして、まるで影に溶けるように壁際に寄りかかる細身の男――通称カラス=B

「皇帝陛下に《三首の竜》の頭が勢揃い、か……流石に壮観だな」

 部屋に入った途端、急激に重みを増した空気の所為か、思わずレクスはそんな呟きを零していた。見れば、隣に立つトーマも額からうっすらと汗が滲んでいる。

「ふふ、そんな緊張しなくても大丈夫ですよ」

 そんな二人の心情を把握してか、ルドルフが皇帝とは思えない、しかし若者らしい穏やかな笑みを浮かべる。そのおかげか、途端に部屋の中の空気が和らいでいった。

「……実力はあれどやはり餓鬼だな。この程度のプレッシャーに臆するとは」

 一息吐いたレクス達を嘲笑うかのような声……カラスだ。一見するとレクスやトーマより少し年上、といった程度の外見だが、しかしその目に宿る輝きは歴戦の戦士の如く研ぎ澄まされている。流石は、ガイロス帝国最強の諜報部隊の筆頭、と言うべきだろう。
 そんな彼の挑発を無視して、二人は部屋の中央へと歩を進める。カラスの毒舌は今に始まった事ではない。頻度は少ないとはいえ、少なからず顔を合しているレクスにとっては今更慣れたものである。寧ろ挨拶代わりだ。カラスもまたそんなレクスを見て、フンと不満げにも満足そうにも見える小さな笑みを零す。

「……さて、そろそろ良いようですね」

 部下達の挨拶が終わったのを見計らって、ルドルフが口を開いた。そこには先程見せたような穏やかさはなりを潜め、皇帝としての重さを含ませた声である。再び、部屋の中の空気が重さを増す。

「皆さんの活躍により、無事ニクス大陸は我々ガイロスの手に戻りました。その事を、まずは感謝します」

 皇帝という立場上頭こそ下げなかったものの、ルドルフの言葉は、動作は、それが本心からのものである事を伝えている。その事に一同は、小さくも満足げな笑みを浮かべていた。

「未だネオゼネバスの残党は残っているようですが、そちらももう殆ど壊滅状態。じき完全にこの大陸での戦闘は終結するでしょう」

 ブゥン、と小さな起動音と共にレクスとトーマの背後……部屋の扉側に映像が映し出される。惑星Ziの地図だ。一部色分けされているのは勢力図なのだろう。ニクス全域に広がる緑はガイロス帝国。中央大陸のおよそ八十五パーセントを支配するネオゼネバス帝国が赤。そして、中央大陸の東に僅かにある青がヘリック共和国だ。

「皆も知っての通り、東方大陸の共和国軍本隊による中央大陸奪還作戦が始動しました。凱龍輝を始めとした、我々やZOITECの支援により作戦の第一段階となる中央大陸上陸も無事成功。現在は旧ヘリックシティに向かって進軍しています」

 ルドルフの説明に従って、映像の中央大陸部分が拡大され、より細かい勢力図が表示される。旧ヘリックシティへと一直線に進む青く太い凸と、同様に旧ヘリックシティを目指して大陸南部から北上する小さな白い凸はヘリッククルセイダーズ=\―ZAC2106年、セイスモサウルスによってその大半が中央大陸から追い落とされた共和国軍の中で、それでもなお中央大陸に残り続けた部隊とそれを支援する共和国派民衆によるゲリラ部隊――と呼ばれる一団だ。そして、それらを阻止しようと無数に展開する赤い凸。現状は、勢いに勝る共和国軍優勢、と言ったところか。

「とはいえ、それはあくまで局地的に見た場合の話です。全体的に見れば、総合兵力に勝るネオゼネバスの優勢は未だ揺らいでいません」

 広大な中央大陸の防衛に気を回さなければならいネオゼネバスと異なり、共和国軍は全戦力をこの作戦に投入する事が出来る。それ故に現在の快進撃が続いている訳だが、それは逆に言えば後がないという事に他ならない。
 それを理解しているのだろう。ネオゼネバス側の防衛線は、日々増強され厚みを増しているそうだ。

「もしこの作戦が失敗すれば、今度こそヘリック共和国は滅亡。中央大陸の支配権を完全なものとしたネオゼネバス軍が再びニクス侵攻に――というのも有り得ない話ではありません」

 それを防ぐ為にも、ヘリック共和国への更なる支援は必要不可欠。というのが先日の帝国議会で承認された。現在は、共和国軍ニクス駐留部隊と共に中央大陸へ向かう為の準備が進められている。

「しかし、ネオゼネバスがそれを許す訳がありません。恐らくは、西方大陸で激突する事になるでしょう」

 第二次大陸間戦争時に、強電磁海域トライアングルダラスの航路が発見されたとはいえ、そこを通り抜けるには色々と危険が伴う。ネオゼネバス海軍の要であったホエールキング級大型母艦マリンカイザー≠ノよる外洋守備構想トライデント≠ヘ、ZAC2104年時点で既に崩壊しているものの、黙って通しくれる筈がない。そして、ニクスから直接中央大陸に向かおうとすれば、トライアングルダラスにて両軍が激突する事は目に見えていた。

「もしそうなれば、勝利も敗北もない、酷い被害が出る事でしょう。それは、我々だけでなく向こうも避けたい筈です」

 或いは、その考えを逆手にとってトライアングルダラスを進む、というのもありではあるが、しかしリスクの方が大きすぎる。となれば、自然と利用するのは西方大陸を経由するルートとなった。

「しかし、当然ネオゼネバス帝国も西方大陸にて防衛線を張る事でしょう。総兵力では我々連合軍を上回ると言われる彼らでも、これ以上敵が増強されるのは遠慮願いたい筈です」

 故に、ネオゼネバス軍はこれを全力で排除に掛かるだろう。そして互いに譲れぬ戦いだ。一日や二日で済むような簡単な話にはなるまい。下手をすれば中央大陸の方で決着が付くまで戦りあう事になりかねないだろう。

「……ですが、この作戦の目的は正にそれです。ネオゼネバス帝国の目と戦力を西方大陸に引き付ける事で、中央大陸の共和国軍を進撃をしやすくします」

 勿論、それだけではなく直接的な援護も行う。

「その為にも、西方大陸ともトライアングルダラスとも異なる、新たなるルートを構築します。……それが此処です」

 その言葉に合わせて、モニターがある個所をズームする。それは、

「此処は……テュルク大陸、ですか?」

 微かに唖然とした表情を浮かべるレクスに、ルドルフは自信を込めた笑みで頷いて見せる。それは確かに、盲点ともいうべきルートであった。

 ――暗黒大陸テュルク。
 かつてはニクスと陸続きであったテュルクは、しかし大異変の際に分断されてしまった惑星Zi最北の地である。大異変の影響で、以前に比べて環境が安定し僅かながらにも住みやすい環境になったニクス――あくまで大異変以前に比べて、だが――と異なり、此方はより劣悪な環境へと変貌していた。本来大陸全域――現在のニクスも含む――に広がる筈だった電磁嵐はテュルク山脈に阻まれ、留められからだ。
 こうしてテュルク大陸は、人は元よりゾイドも住まう事が出来ない死の大地と化した。

「――そう、少し前までは考えられていました」

 だが実際には違った。テュルク大陸には今尚、野生のゾイドが決して多くはないものの、確かに存在していたのだ。それは、この地に生息していたゾイドは元々強靭な生命力を持っていた事。そしてその源であるディオリハルコン≠ェ、テュルクでは現存していたからである。

「大異変による気候変動で、此処ニクスには陽の光が差すようになった代わりに、日光に弱いディオハリコンは全滅してしまいました」

 八年前の第二次大陸間戦争勃発時、かつてのガイロスオリジナルのゾイドがヘルディガンナーしかおらず、他は全て旧ゼネバスのゾイドだったのは、その為だ。ディオハリコンの恩恵で強大な戦闘力を誇った暗黒ゾイドは、ディオハリコンの消失と運命を共にしたのである。

「が、それはあくまでこのニクスにおいて、の話です」

 ニクスと違い、大異変以前と然程変わらない環境を残したテュルク大陸には、このディオハリコンも大量に存在する事が、最近の調査で解ったのだ。テュルク大陸のゾイド達は、このディオハリコンを摂取する事で、あの大異変、そしてそれによって環境の悪化したテュルクを生き延びてきたのだろう。
 その強靭なテュルクのゾイド達、そしてディオハリコンを利用したのが、先の対ネオゼネバス戦で表舞台に姿を現した、ガイロス帝国軍備再編計画――《Project Generation》である。

「話を戻しますが……今回の作戦では、この計画に際し設置された各施設を経由する形でテュルク大陸を横断します」

 モニター上のテュルク大陸に、幾つかの点が表示される。幾つもある小さな点がディオハリコン採掘基地で、それを統括するのが大陸中央部、大きな点で表示されたガイロス帝国軍テュルク方面司令部だ。それらの一部に重なるようにして、大陸の西端から東端まで矢印が引かれる。

「これがテュルク方面部隊の進路です。これにはクラスト中尉、貴方の部隊にも参加してもらいます」

「はッ!」

「そしてカラス等天狐≠ヘ、彼等テュルク方面部隊の援護を中心に行動してください」

「御意」

 皇帝から直々に下される指令に、レクスは勢い良く、カラスは恭しく賛同の意を示す。その様子を、ルドルフ、そしてその傍らに立つロッソは満足げな笑みを浮かべて眺めていた。




「やれやれ……流石に疲れたな」

「あぁ、我等と変わらない年頃だというのに、あの凄まじい存在感――流石は皇帝陛下だ。格が違う」

 会議が終わった後、レクスとトーマは皇帝官邸を後にする為廊下を進んでいた。周囲には警備の為だろう。ロッソ率いる蒼空虹団の隊員がぽつぽつと見られる程度で人影は殆どない。最新の警備装置も完備しているとはいえ、一国の指導者の屋敷にしては警備がざる過ぎるようにも一見思える、しかし警備兵達の眼光は鋭く、そして隙がない。

「流石はロッソ・レオーネ殿だな。部下への教育もしっかり行き届いているようだ」

「あぁ、並の賊程度なら侵入すら許さなそうだ。……尤も、あのおっさん自体が元々は盗賊だったらしいけど」

 何の因果か元盗賊が国家元首の親衛隊隊長。ガイロス帝国の威信にも関わる話なので、余りに公にはなっていないが……彼等のようにルドルフと親しい者達の間では、割と知られている事であった。

「――そうだな、元盗賊だからこそ解る手口、というのもある」

「おわッ!?」

 突如背後から届いた声にレクスがビクッと身体を震わせて振り向いて見れば、そこにはレクスよりも頭一つ分は大きいだろう巨漢――ロッソ・レオーネだ。どうやら、二人の後を追ってきたらしい。

「ふむ、少しは成長したかと思えばまだまだだな。こう簡単に背後を取られるとは」

「ぐっ……」

 やれやれ、と大袈裟なほどに呆れて見せるロッソに、レクスは悔しげに眉を顰めていた。彼にとってロッソは育ての親とも言うべき相手なのだ。こうして今軍にいるのも、先の第二次暗黒大陸戦争の際に両親を失い孤児となったレクスとリアを彼が引き取ってくれたからである。

「……それで、なんの用だよ? ただの挨拶、って訳じゃないんだろ?」

「会うのは久しぶりだからそれもあるんだがな……。まぁ確かに、お前達に伝えときたい事がある」

 そこで一旦言葉を切ったロッソは、それまで浮かべていた笑みを消して、そっとレクス達だけに聞こえるよう囁く。

「最近、テュルクにある基地の幾つかと連絡が取れなくなっている。詳しい事はまだ調査中だが、充分注意しておけ。残されていた通信記録からは『魔物が襲ってきた』なんてのも混じってる」

「……了解」

 『魔物』という言葉の意味はレクスやトーマは無論、それを告げてきたロッソも良くは解っていなかった。だが、それが単なる妄言ではない――そんな、確信にも似た予感が三人の脳裏を掠めた。




「……あ、お兄ちゃん」

「リア……?」

 ロッソとの会話も終わり、皇帝官邸を出たレクス等を出迎えた意外な人物。それはリアであった。レクスは会議があったものの、彼女を含む他の竜帝騎兵隊の面々は今日は休暇扱いであり、その為リアの服装も普段見慣れた軍服ではなく、一見地味ながらも所々可愛らしく装飾されたワンピースである。十七歳、という事を差し引いても幼い顔立ちの彼女は、普段から軍服が似合わないとレクスは常々感じていたが、こうして見れば戦争などとは無縁な、正に極普通の少女にしか見えなかった。

「こんな所でなにしてるんだよ? 今日は家でのんびりしてるんじゃなかったのか?」

「んー、そのつもりだったんだけど……天気が良かったから、お散歩したくなって」

 そして特に目的もなく街をぶらぶらとしているうちに、この皇帝官邸の近くまで来たから、ついでにレクスを待っていたらしい。

「……何だ、俺を待ってたのはついでかよ」

 妹分のその説明に、レクスは何処か不貞腐れたように口をへの字に曲げて見せる。しかしあくまでそれはジョークだ。リアもそれはちゃんと解っているのだろう。クスクスと楽しげに笑みを零していた。

「まぁ良いや。こっちも終わったし、飯でも食いに行かないか? 丁度良い時間だしな」

 時間を確認して見れば、午後一時を少し過ぎたくらいの頃だ。まだ充分に昼時と言える頃合いではあるが、同時に書き入れ時も過ぎてレストランやコンビニが空き始める頃である。確かに、食事をするには丁度良い時間だろう。

「そうだねぇ。私もお腹すいちゃった」

 てへ、と舌を出す彼女の仕草に、思わずレクスは頬が緩む。態々待ってくれていたのだろう。

「おし、それじゃあ行くか。……どっか良い店知ってるか?」

「あ、うん。丁度、行ってみたいお店があったんだけど――」

「……やれやれ」

 そうこう話し合って、じゃあ車に乗るか……となったその時、ようやくレクスは先程まで隣にいたトーマがいない事に気付いた。はて、トイレか? 等と首を傾げていると、

 ――ピピピ。

 レクスのコートの胸ポケットから、小さな振動と機械音が届いてきた。携帯電話だ。見れば、そこには『トーマ』と出ている。

「はいはい……お前、今何処にいるんだ?」

「何、アカデミーの方に先に戻らせてもらった。長くなりそうだし、それに……俺は馬に蹴られて死にたくはないからな」

「…………は?」

 レクスが訊ね返すよりも先に、トーマの方で電話が切られてしまう。

「…………何だったんだ、あいつ?」

「どうしたの? お兄ちゃん?」

「いや……馬に蹴り殺されたくないから先に帰る、だってよ。何の事だか……?」

「…………ッ!?」

 レクスがそう言って首を傾げた途端、ボッ、とまるで爆発するかのような勢いでリアの顔が紅潮した。そんな彼女の反応に、レクスはどうしたのかと訊ねたが……リアは何でもない、と力む余り無駄に大きくなってしまった声で反論するのであった。拳交じりで。




「――それにしても、此処も懐かしいな」

 遅めの昼食も終え、のんびりと市街をドライブしていたレクスとリアは、とある建物の近くに車を止めていた。門の向こうに見える庭では、幾人かの子供達が球遊びに興じている。
 学校と言うには些か小さいそこは、孤児院であった。第二次大陸間戦争の末期――ニクス本土決戦の際に両親を亡くしたレクスとリアも、ロッソに引き取られるまでの短い間であったが、そこで過ごしていた。
 そんな経緯がある為か、二人は時折こうして孤児院の近くまで来る。自分達が護るものを、胸に刻み込む為に。

「また当分戻ってこれないし……見納めかもしれないからな、しっかり眼に焼き付けておかないと」

「もう、またそんな事言って……」

 冗談を交わし合いながら、二人は子供達を、とても穏やかな眼差しで眺めていた――





* * *





 ガイロス・ヘリック連合軍テュルク方面部隊第一陣――竜帝騎兵隊や共和国軍第32小隊等を含む、およそ五個師団。昨今のテュルク大陸での異変を調査及び安全の確保を目的としている――がテュルク大陸に上陸してから、既に十日が経過していた。本来の予定であれば二日前には、一つ目のガイロス軍施設に到着している予定である。しかし、ニクスより尚厳しいテュルクの自然は、圧倒的な暴力となって彼等の行く手を遮り、連合軍の歩みは亀の如くゆっくりしたものとなっていた。

「だけど今日には着く筈だ。……ようやく休めるな」

 新たなる力を得た愛機ジェノカイザー≠フコックピットの中で、レクスは小さく安堵の息を吐く。幾ら寒さに強いガイロスの民とはいえ、このテュルク大陸の極寒ぶりは想像を絶するものであった。寒冷地仕様を施されたゾイドの中でも、冷気が押し寄せてくるほどである。しかし、施設につけばそれなりの暖房機能があるだろう。正にそれは希望であった。決して大袈裟な話ではなく。
 しかし、そんな淡い希望は呆気なく打ち砕かれる。

「――ッ!」

 突如ビーッ、とコックピット内に警報が響き渡る。続いて、モニターの一角に豊かな髭を蓄えた、初老の男性が浮かび上がる。このテュルク方面部隊の指揮官を務める、マテウス・ウルブル大佐だ。平時は好々爺として部下らから慕われる彼だが、今浮かべている表情からはそんな印象は一切見受けられない。それが、非常事態である事を十二分に知らせていた。

『全部隊に通達。現在我等が向かっている、ガイロス帝国軍テュルク第七基地より救難信号が発信されているのを確認した。どうやら何者かの襲撃を受けているらしい。よって、これより我等は第七基地の救援に向かう。全隊戦闘態勢!』

「sir yes sir!」

 そして……テュルク大陸を舞台とした、ネオゼネバスとの戦争とは全く無縁の……しかし惑星Ziの命運を掛けた、新たな戦いが勃発したのであった。





* * *




「――テュルク大陸に? やれやれ、また面倒な」

「そう言えば、貴方達は少し前までニクスに行ってらしたんですわね。ご足労をおかけしますわ」

 まだ受けるとは言ってないよ、と男は気だるげに少女に返す。ニクスの件に加えて、つい先日も彼――彼らは一仕事終えたばかりだ。この依頼を断っても、当分は食うのには困らないだろう。しかし、そんな事を思うも一方で男は既に思考を仕事のそれに切り替えていた。別に、彼が仕事熱心な訳ではない。ただ、こういった仕事関係の話を含めて、目の前の少女に口で勝てた事がない故の、諦めにも似た感情であった。

「勿論報酬は弾みますわ。……前金代わりに、面白いものを提供しようかとも思いますし」

「……面白いもの?」

 そう言って差し出された記憶媒体を、彼は脇に置かれたPCへと差し込み、中に置かれたファイルを開く。途端、彼の眼差しは鋭いものとなった。

「……ほぉ、これはこれは……。良いのかい? こんなものを勝手に持ち出して?」

「構いませんわ。貴方には何時もお世話になってますもの」

 ニヤリと、嫌な笑みを浮かべる少女に男はやれやれと肩を竦める。彼女の言葉を信じた訳ではない。だが、それ≠ノ興味を引かれているのは間違いがなかった。先日の仕事で愛機を失ってしまっていた事もあるだろう。
 既に結論が出ていた彼は、しかし暫く考えるふりをして、そして頷いた。

「……はぁ、寒いのは苦手なんだけどな」

 そんな彼に、少女はクスリと、笑みを零していた――









2010/4/23






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